第12回書き出し祭参加作品「ラダーマン ~落ち物回収の簡単なお仕事~」
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古今東西、異世界譚というものは枚挙に暇がない。それは筆者の憧れや夢が詰め込まれた産物であるがしかし、中には実際にそうとしか表現しえないものも存在する。俗に言う『神隠し』という現象だ。
ある日突然姿を消す、というだけならば事件事故の類と片付けられるだろうが、極々稀に、それ以外の不可思議な現象も起きる。
ある日目の前で家族、もしくは知人友人が掻き消える、あるいは、いつの間にかいなくなっていた人間がひょっこり帰ってくる。後者に至っては数年、数十年の時を経てである上に全く歳をとっていない昔のままの姿でというありえない状態で、だったりする。
それ故に、人知の及ばざる現象であるが故に、予防も根絶もできない。そんな理不尽極まりない事象は確かに『ある日突然』起きるのである。
―― そう、今まさにビジネススーツで濃霧立ち込める森らしき未知の場所に立ち尽くす彼女のように。
「―― なんで?」
彼女、立花あおいはポカンと開けた口から洩れた己の声にようやく我に返った。
「いや、ちょっと、マジで何 !? なんで電車から降りたらこーなってんの !? きさらぎ駅 !? サイレント○ルなんてお呼びじゃないんですけど!?」
けど … !? けどー … !? けどー …!
うっすらと青みがかって見える程に濃密な霧の中にあおいの絶叫が吸い込まれていく。それで却って静けさが際立ち、ぞくりと怖気を誘う。
「もう …。ホント、マジで誰か説明してよぉ~」
一度混乱をぶちまけてしまったからか、静寂の圧に負けたあおいは、心情のままに通勤カバンのストラップを両手で握りしめながら怖々と周囲を見回した。だが視界は霧で閉ざされ、そこかしこにうっすらと樹木のそれのような影が数本見えるだけである。
「ホラーは嫌、ホラーは嫌 …!」
ふるふると小刻みに頭を振りながら左右に視線を彷徨わせるあおいの願いを拒否するかのように、突然近くでガサリと大きな音がした。
「ひぃっ!」
文字通りぴょこんと飛び上がったあおいの右手から、彼女の怯えをものともせずガサリガサリと近づいてきた何かは、さして間も置かずにぬっと姿を現した。
「qwertyert?」
「ひぃぃぃぃっ!」
とにかく何か出た! と腰を抜かしてへたり込んだあおいは、打ち付けた臀部の痛みに気絶もできず、ガタガタと震えながら自分に覆いかぶさるように覗き込んできた影の主を見上げた。
「え、人間 …?」
たぶんあおいが立っていたとしても頭一つか二つは大きいであろう人物は、きょとんとした顔で彼女を見下ろしていた。
「fghjk?」
「いや何言ってるか判んないし。それに何、そのカッコ。マタギ? え、じゃあここ北海道とかいう? 摩周湖の近くとか?」
あおいの第一印象の通り、というにはやや違和感があるものの、ポリポリと無精ひげの生えた顎を指でかいている男の格好は確かに何というか、戦前の写真やマンガに描かれているマタギっぽい素朴なものだった。ただ胸元に下げた大きなガラス玉のような物だけがその印象を裏切っている。そのガラス玉が、あおいが叫ぶたびにゆっくりと色づいていっているのだが、それに気づく余裕なぞ彼女にはない。
「yuioplkか?」
「は? え? もしかして北海道じゃなくてアラスカとかいう?」
「cvbnmghjkかなあ?」
「え !? 日本語判るんですか、もしかして !? そうです、日本人です私! ここどこなんですか !?」
ほんのわずか、語尾に日本語らしきものを聞き取るや怒涛の勢いで食いついたあおいを片手で制し、男はもう片方の手で胸元のガラス玉(のような物)を持ち上げて眺めた後で「よし!」とばかりに頷いた。その玉は、いつしか赤く染まっていた。
「そろそろ通じるか? 俺の言葉が判るか?」
「わっ、判ります! やった、良かった、通じた! ねえ、ここホントどこなんですか私会社に遅刻しちゃうんですけどぉぉ !!」
男は、腰を抜かしていたはずのあおいに胸倉をつかまれたまま、頭を掻いた。
「まあ、無理かとは思うが、ちーっとだけ落ち着いてくれや。―― あのな、ここは界の狭間ってやつだ。お前さんは自分の世界から落っこっちまったんだよ」
「は …?」
あおいの手が、男の胸倉から力なく落ちる。それを気の毒そうに見下ろした彼の表情が、すぐに呆れに変わった。
「じゃ、何 !? これ今流行の異世界なんたらって奴 !? モテモテで大金持ちになれちゃうってアレ !?」
「いや、違う」
「―― え゛?」
「あー、もしかしてニホンジンってのか? お前さん。何か最近落ちてくるのにそーゆー思い込むのが多いって聞いた事ある」
「え …、だって言葉が通じるのとか、チートってやつじゃないの?」
「あー、それ、コイツ」
と男は、さっき眺めていたガラス玉(のような物)をあおいに指し示した。
「コイツは言ってみりゃ翻訳アイテムってやつだ。いくらか相手の言葉サンプルを聞かせたら言語層を合わせてくれる。俺達『ラダーマン』にとっちゃ必需品だ」
「らだーまん …?」
あおいにアブない人を見るような目で見られた男がこてりと首を傾げる。
「あれ? 翻訳されてねぇか? 要はお前さん達のような連中を元の世界に戻す役目なんだが」
「戻れるの?」
「戻りたいだろ? ニホンジンの言うチート転生とか転移じゃないんだぜ? 仮に別世界に渡っても酷い目に遭うだけだぞ?」
「戻るわ …。ないわー、チート無しなんてないわー …そんな鋼鉄メンタル持ってないわー …。らだーまんでもベター○ンでもミ○ーマンでもいいから戻してー …」
「お、おう、判った」
男は、あおいの一喜一憂の落差の激しさに戦きつつも、右手を横にかざした。白霧の中から光の粒子がするすると集まり、うっすら輝く梯子が現れる。
「はしご … ああ、梯子か。ちょ、安直な」
「判りやすくていいだろ?」
呆然とするあおい逆に何故か胸を張った男は、彼女を促した。
「さ、こいつを上った先がお前さんの世界だ。そっちに足を付いた瞬間にここでの記憶は消えるし、時間もなかった事になる。つまり、落ちた瞬間に戻るってこった。遅刻しないで済むぜ?」
「―― ありがとう」
「絶対に倒れないが、一応支えておいてやるから安心して上りな」
言われて恐る恐る片足をかけた梯子は本当にビクともせず、あおいは知らず詰めていた息を吐いて男を見上げた。
「本当にありがとう。落ち着いてみたらすごく恥ずかしい事口走ってたね、私。あなたも忘れてくれると嬉しいんだけど」
「気にすんな。お前さんだけじゃないし。それより気をつけてな。もう落ちんなよ?」
「うん」
あおいは、ふわりと笑ってくれた男に笑い返し、ゆっくりと梯子を上り始めた。
白霧の先は遠いように思えたのに、十段も上らないうちにあおいの足は梯子ではなく、慣れたコンクリートのホームを踏みしめていた。
「―― あれ?」
一瞬、ホームじゃない何かを予想していたのは何でだったっけ?
そんな疑問が頭に浮かんだ瞬間、横からの衝撃にあおいの体はホーム下へと投げ出されていた。
「さあて、今回のねーちゃんは楽だったな」
男はあおいが本来の世界に戻ったと同時に消えた梯子の名残である光の粒子を手で散らし、踵を返した。
落ちてくる人間の事情は様々で、中には戻りたくない、戻らないと暴れる者も居る。だが、ラダーマン達に見つかるという事は『戻る』という選択肢しかないのだ。諦めさせて梯子を上らせる苦労は並大抵のものではない。その点、あおいは実にレアなケースだった。
「いつもこうだと楽なんだがなあ」
と、後頭部を掻いたその時、背後でどさりと何かが落ちる音がした。
「―― 嘘だろ?」