ルーマニアン・タイムストレンジア ~アルビノ女子が黒貴族に溺愛されるまで、あと500年~
私は、生まれも育ちもルーマニア。
そして私は、アルビノ体質だ。
肌も髪も真っ白で、瞳は真っ赤。
紫外線への耐性が低いので、日光に弱い。
周囲とは違う私を、同年代の子たちは不気味がった。
初等教育時代のあだ名は吸血鬼。あんまりだと思う。
そんな私が二十歳になった、ある日のこと。
私はルーマニア南部、ワラキア地方の辺境に住んでいる。このあたりはそこそこ田舎町で、中世から続く町並みもいくらか残っている。歴史的な価値もあるらしく、国内外から観光客もやって来る。
夕焼け空の下、私がそんな古い町並みの中を歩いていると。
ふと、急に周囲が静かになったのだ。
下を向いて歩いていた私は、顔を上げた、
町から、ほとんどの人々が消えていたのだ。
いやそもそも、周囲の建物の様子が変だ。
妙に古いというか。
石造りの家は黒くくすみ、苔むしている。
立ち並ぶ家々の壁色は赤、黄、緑とバリエーション豊かだったはずだが、いつの間にか全ての家が石の色だ。
もう少し周囲を探索してみると、住宅地だったはずのエリアが大きな麦畑になっていた。麦わら帽子を被った古臭い服装の人たちが鋤や鍬で農作業をしている。
信じられないことだけど……私はこの町の過去、本当の中世にタイムスリップしてしまったのかもしれない。
どうして? いつの間に?
どうすれば帰れるの?
スマホで誰かに連絡を……できるわけがない。
ひとまず、どこか寝泊まりできるホテルの確保? それとも食事?
それも無理だ。私が持っているお金はこの時代じゃ使えない。
現状を理解した瞬間、私の中でたくさんの感情がものすごい勢いで押し寄せてきて、これからどうすれば良いのかと思うと胸が苦しくなって。
いつの間にか私は、その場で座り込んで泣いていた。
そんな時だった。
私の後ろから一台の真っ黒な馬車がやって来て、その馬車から一人の男性が出てきて、私に声をかけてきたのだ。
「娘。大丈夫か。泣いているようだが、何かあったのか」
声をかけてきた男性は、貴族のようだった。
金糸で模様が描かれた、真っ黒なコートを着ている。
髪色は薄いブロンドで、背中まで届くほどに長い。
肌は色白で、瞳は赤色。
私と同じアルビノ体質のようにも見える。
顔は端正で、女性かと一瞬見紛うほど。
若く見えるが威厳のありそうな雰囲気で、年齢は三十歳手前ほどだろうか。
私はもう藁にも縋る思いで、今の私の状況を打ち明けた。
私の話を聞いた貴族様は、困惑しているようだった。
しかし、それからすぐに。
「行く当てが無いなら、私の屋敷に来るか?」
そう、声をかけてくれた。
◆
貴族様の屋敷は、彼の服装と同じくらい真っ黒で真っ暗だった。屋敷中のカーテンは閉められ、日の光が一切入って来ない。廊下の灯りは、設置されているランプだけだ。
そんな屋敷の一室に、私は通された。
一通りの家具と大きなベッドがある、誰かの個室のような部屋だ。
「姪が使っていた部屋だ。ここのカーテンは開けてもいいが、廊下のカーテンはあまり開けないでくれ。私は日の光が苦手でな」
そう語りながら、貴族様はクローゼットの戸を開けていた。
私が着れそうな服を見繕っているらしい。
「それと、其方は肌や髪が妙に白いな。瞳も赤色だ。吸血鬼の類か?」
「いいえ、アルビノです」
「アルビノ? 聞かない名前だな」
当の貴族様がアルビノみたいな見た目なのだが、彼はアルビノ体質のことを知らないようだった。
「身体的特徴みたいなものです」
「そうか。其方は吸血鬼とは違うのだな」
「はい。むしろ、そう呼ばれて苦労してきました。吸血鬼は嫌いです」
「そうか」
一瞬、貴族様の表情が暗くなったように見えた。
何か気に障ることでも言ってしまっただろうか。
でもやはり、ここでも吸血鬼と呼ばれるのは心外だ。
それから貴族様は、真っ白なドレスを私に持ってきてくれた。
「これに着替えるといい」
「いやでも、そんな素敵なドレス、よそ者の私が着るわけには」
「構わない。今は他に着る者もいない。埃を被るだけだ」
貴族様がそう言うので、仕方なく私はそのドレスを着ることにした。
着替え終わってから、改めて貴族様を部屋に招き入れる。
「ええと、どうでしょう?」
「綺麗だ。白無垢という言葉は其方のためにあるかのようだ」
「なっ……!?」
まさかそんな言葉をかけられると思っていなかった私は、面食らってしまった。
その一方で、貴族様は表情一つ変えていなかった。
なんか、悔しかった。
◆
この時代は、私が生きていた時代から五百年ほど前の時代のようだ。あのヴラド三世が亡くなって三十年と貴族様は言っていたので、恐らく今は十六世紀初頭で間違いない筈だ。
私がこの時代に迷い込んだあの場所では、よく神隠しが発生するそうだ。特定のタイミングで空間のひずみが生じ、別の時間帯へのトンネルが繋がるのだろう、と貴族様は推測していた。
貴族様は家人に命じて、私が帰るための時間のトンネルを探し始めてくれた。そしてその間、私はこの屋敷でお世話になることになった。
屋敷のカーテンといい、顔以外の肌が一切見えない服といい、貴族様は徹底的に日光を避けている。食事の際はやたらと赤くてドロリとした血のようなワインをいつも飲んでおり、私よりもよっぽど吸血鬼だ。
けれどお昼の時間に、私を連れて外を案内してくれたこともあるので、吸血鬼ではないだろう。そもそも吸血鬼がいるはずなどないのだが。
貴族様は表情の変化が乏しいけど、優しかった。
私が不安にならないようにか、よく私のことを気にかけてくれた。
吸血鬼と呼ばれた私の見た目も、全く気にしなかった。
「城下町で宝石の装飾品を購入した。其方に似合うと思うのだが」
「こ、困ります、そんな高そうなもの……」
「実際高かった。…………高かった」
「二回言うほど高かったのですね……」
「今日は暑いですね。私は日の光は苦手ですけど、こうも暑いと水浴びとかしたくなっちゃいます」
「水浴びだと」
「あと、川で泳いだりとか。貴族様は泳ぐのは好きですか?」
「私は泳げない」
「え、意外……」
「貴族様。お世話になっているお礼に、台所を借りてキャベツピクルスのパイを作ってみたんです。私の時代とは台所の勝手もすごく違っていて、上手くできているといいのですが……どうですか、お味は?」
「……其方、料理の天才か?」
「そ、それほどですか? 普段通りに作っただけなんですけど」
「あるいは、未来ではこれほどの味が普通なのか」
「よかったら、給仕の皆様にレシピを教えますけど」
「是非頼む。是非」
(無表情だけど、貴族様の目がかつてないほどに輝いている……)
普段は威厳たっぷりで、でもどこか抜けている黒貴族様。
いつの間にか、この人との時間を過ごすのが私の安らぎになっていた。
この屋敷での生活が、ずっと続けば。
そんなことも、考えてしまうようになっていたり。
だが、しかし。
その時は急に訪れた。
私がここに来て一か月。
貴族様が調査に出していた家人の一人が、時間のトンネルを発見したというのだ。
私は急いで荷物をまとめ、元の服装に着替え、貴族様と一緒に時間のトンネルが発生した場所へ。空間のひずみの先には、たしかに私が暮らしていた町と同じ景色が映っている。
ようやく帰れる。
それなのに、私は嬉しさが湧いてこなかった。
「どうした。元の時代に戻れるのに嬉しくなさそうだが」
「ええと……」
もっと、この貴族様と一緒にいたい。
しかしその気持ちを伝えても、彼は困るだけだろう。
彼の地位から見ても。私の容姿から見ても。
だから、帰りたくない理由さえ言い出せない。
黙る私に、貴族様は言葉をかけてきた。
「別れが辛いか」
「それは……」
「其方の気持ちは嬉しいが、元の時代には其方を待っている家族もいるのだろう。行くがいい」
そして私は貴族様に促されるまま、時間のトンネルをくぐった。
くぐって、しまった。
視界が真っ白な光に包まれる。
気が付けば、私は元の時代に戻っていた。
空は、満天の星月夜。
いや、もしかしたら少しずれた時代に到着した可能性もある。
確認するため、私は近くの通行人に声をかけた。
黒いコートを羽織り、黒いスーツに身を包んだ、薄いブロンドのロングヘアーの男性だった。
「すみません。今、何年何月の何日ですか?」
「ん? 今は……」
男性はスマホを取り出し、日時を確認してくれた。
私はちゃんと元の時代に戻っていた。
しかし、その一方で。
いま声をかけた黒コートの男性が、私を見て目を丸くしていたのだ。
「君は……いや、其方は、あの時のアルビノの娘か?」
「え? き、貴族様?」
「この日、ここで待っていれば其方に会えると思っていたが。無事に元の時代に帰りついたようだな」
信じられなかった。
私が声をかけたその男性は、今では五百年前の人間のはずの貴族様だったのだ。
「どうして、まだ生きて……?」
「もう言ってしまうがな、私は吸血鬼だ。五百年程度の時間で私の寿命は尽きない」
「き、吸血鬼!?」
「黙っていてすまなかった。しかし其方が『吸血鬼は嫌い』と言うので、打ち明けるタイミングを逃した」
「いや言いましたけど! でも貴族様、お日様が出ている時間に、私と一緒に外に出てましたよね? 灰になるんじゃ……」
「あれは最近の創作だ。確かに日光は苦手だが、灰になるほどではない。ウィ〇ペディアにもそう書いてある」
「貴族様の口からウィキ〇ディアって!」
「現代社会に精通した結果だな。ところで白無垢の君。五百年前、其方に伝え損ねた言葉がある」
「な、何ですか改まって」
「これを言うと、其方がこの時代に帰り辛くなるのではと思ってな」
そう言うと、貴族様は。
私の赤い瞳をまっすぐ見つめて、こう言った。
「Te iubesc.」
二つの意味で、私は生まれて初めて吸血鬼が好きになった。
最後に余談だが、このルーマニアの歴史に名を刻む護国の英雄ヴラド三世は、ドラキュラのモデルとして取り上げられた。そのため、一部の人はこのルーマニアを「吸血鬼ドラキュラの故郷」と呼ぶことがある。