バレンタインが近づくと、どこからともなく美代子がやってくる(推定70代)
皆さまごきげんよう。もしくは初めまして。くろつです。
今日のエッセイは、恋人がふと漏らした愚痴から始まりました。
「あー、今年もそろそろ美代子がやってくんのかぁ」
美代子って何?
私の恋人は名前をハルヒと言いまして、関西でホストをしておりますが、その美代子がお客様でないことはすぐにわかりました。
普段、彼が自分のお客様のことをそんなふうに言うことは決してないからです。
「この時期になるとなぁ、いるんよ。一昨年もおったし去年もおったな」
だから美代子って何?
聞いてみると、美代子はバレンタインの時期になると夜の街に現れるんだそうです。
さらに美代子は大きな袋を持っているんだそうです。
その中にはチョコレートが入っているんだそうです。
チョコ、チョコ、チョコあげるで。
そう言いながらうろつくんだそうです。
「ハルヒくん助けて! 変なおばはんにチョコ貰いましたあ!」
去年の今頃、新しく入ったヘルプのホストがそう言って店に駆け込んできたらしいんです。
「なんや、どうしたん」
「チョコ握らせてきて、知らないおばはんが言うんですわ。これやるからな、あんた、ホワイトデーはよろしく頼むでって! しかも片手でチョコを渡して、もう片手で股間さわってきよりましたあ!」
「あいつか!」
ピンときた彼がすぐさま店の外に出てあたりを見回すと、果たして、美代子がいます。
大きな袋を肘に下げて、チョコを渡す男性を物色しているところです。
みなさんだったらどうですか?
貰いますか、美代子のチョコ?
私は実際遭遇したことはないんですが、ユーチューブなんかで見たことあります。「百円ちょうだい」って誰にでも話しかける人とか。
美代子も多分その手のやつ。
この時期になると繁華街に出てくるので、界隈では有名なんだそうです。
年齢は推定七十代で、見た目はあれに似ているそうです。映画のインクレディブルに出てくる、黒ぶちメガネの黒おかっぱのデザイナーキャラ。
彼のお母さんはスナックをやっているのですが、そのお店の付近にも出没するため情報が家族内で共有されているとのこと。
美代子は伝説が多く、止まっている車だけでなく、走っている車にも突撃していって窓を叩いてチョコを渡そうとするそうです。
そしてうっかり受け取ると、しつこくお返しを要求するとのこと。
「こらぁ、美代子! お前また何やっとんねん!」
彼の大声にも美代子は動じることなく、くるりと振り向いて言ったそうです。
「お兄ちゃん、あんたにもチョコあげるわ」
「いらん!」
「これあげるからな、ホワイトデーにはお返しよろしくやで」
「そういうもんとちゃうやろバレンタインってのは!」
えっ、なに言いだすんだろうこの人。
聞いてた私は思いました。
道端でうちの若い子に絡むのやめい、セクハラやめろ、ってそういう話だと思ってたんですけど。
「バレンタインってのは、心を込めて、本当に好きな相手にチョコやるもんやろ! あとちゃんとした箱のチョコあげたれ!」
聞いてた私は沈黙しました。
いえね、この子、間違ったことは言ってないんですよ。むしろ正論なんですよ。
でもね、君、ホストよね?
ホストにそういう正論言われるとなんか次元がずれた気がするんですけどこれ私の気のせいですかね。
あと、箱のチョコってどういうこと?
聞いたら、美代子の袋に入っているチョコは、あれだそうです。
よくスーパーなんかで大袋に入ったチョコレートあるじゃないですか。298円くらいの。両端をひねって包んであるような、上と下とで色違うような、ああいうやつ。
あれをバラしていっぱい袋に入れてるらしいんです。
で、すれ違った男性を呼び止めては、ふたつみっつ手に握らせてくるんですって。
彼自身は、トラブル防止のために徒歩通勤禁止令を店のオーナーから出されているため、毎日タクシーで出勤しているんですね。だから直接美代子と遭遇することはない。
でも下の子たちは普通に歩いてお店に来るので、ターゲットになると。
きっとお店の子もチョコ握らされて怖かったんでしょうね。それでハルヒくんに泣きついたと。
私の恋人は若い頃にケンカ慣れしているので、とっさの時にはかなりの迫力があります。
え、なんで知ってるかって?
彼が飼ってる保護犬のプードルがいたずらした時に叱る声とか聞いてるからですよ……。
電話で聞いてる私も思わずびくっとなります。多分電話の向こうで叱られたプードルもびくっとしてるはず。
ですが美代子、さすが七十代。酸いも甘いも噛みわけてきた年齢。動じることなく言い返したそうです。
「お兄ちゃん。あんたはチョコ貰ったん?」
「当たり前やろ、貰わんわけあるかい」
うわぁ、しれっと言いよったこいつ。
「ほな、お兄ちゃんが貰ったチョコ、あたしにちょうだい」
「なんでお前にやらなならんねん!」
「お兄ちゃんが貰うチョコなら上等やろ。それをあたしが配ったら、ホワイトデーのお返しも豪華になるやんか!」
「せやからバレンタインはそういうものとちゃう!」
店のドアを細めにあけて様子を見ている新人ホストと、往来でわあわあ言い争う二十六歳ホストと推定七十代の女性。
その様子を想像して、私は思いました。
なにかに似てる。
そうだ、これ、サファリパーク……。
美代子は毎年この時期になると必ず繁華街に出没するそうで、彼は今日、しみじみと言ってました。
「あー、美代子今日いるのかなあ、明日かなあ。でも今年はコロナで店ことごとく閉まってるからなぁ。美代子も年やし、年寄りは一年一年が大事やし、来年はおらんかもしれんしなー」
美代子は自分より若い男性を見るともれなく声をかけてくるらしいので、関西方面でご興味ある方は、是非どうぞ。
って言いたいけど、多分、間違ってもらってしまうと相当しつこく絡まれると思うので、振り切って逃げる自信のある方だけ、どうぞ!
ただ、美代子も走って追いかけてこない保証はないので、足に自信のある方だけ、ちょっぴりホラーなバレンタインをどうぞ!