ランキングに【ヤレヤレ系主人公】と【即堕ち系ヒロイン】が並ぶ理由を考察してみた
ちょっと内容が散らかっている部分もありますが、ご了承の上で読んでください。
本エッセイのタイトルを見てクリックした方のため、ヤレヤレ系主人公と即堕ち系ヒロインばかり並ぶ理由を、
1なろう作家が、『羞恥』を書けないから。
2書けない理由は、『そもそも想像できない』から。
ということを筆者が結論としていることを記載した上で、話を勧めよう。
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ヤレヤレ系主人公。
要するに、自分に対する評価の全てを、『やれやれ、そんなつもりじゃなかったんだがな』で済ませる主人公たちだ。
個人的に、『俺、なんかやっちゃいました?』レベルで、新人なろう作家が取り扱う際に注意しなければならない概念である。
おそらくパターンとしては、クール系、鈍感系、無自覚系と呼ばれる主人公を書こうとして上手くいかずに、『ヤレヤレ』という言葉だけでそれらを表現しようとした結果だろう。
まあ、そんな歴史は置いておく。
ただ、現実的に考えて、男として無理な精神性だと筆者は思う。
男なんて言うのは、隣にスタイル抜群の美少女がいれば、自分の目の前にあることすら集中できない単純な生き物だ。
だが、ヤレヤレ系主人公は、とても大切なものが欠落したような精神で美少女というものを認識するため、そういった恥じらいの部分がないのだ。
だって現実的に考えて、『十年に一人の美少女!』などという存在が目の前にいて、『やれやれ』なんていう奴がいたら『?』となるだろう。
別にフィクションにリアルなど求めていないが、リアリティの方も放棄されている気がする。
そして即堕ち系ヒロイン。
こっちもこっちで、冷静になってしまうとそりゃないでしょ。というレベルだ。
女性の恋の感情は複雑怪奇なので詳しい部分は分からないが、『好き』という感情との付き合い方がわからずに、暴走したり静まったりを繰り返して、『時間以外の薬がない感情』である『好意』との折り合いをつけて、惚れた主人公に付き合う。
というのが、リアリティはともかく、ラブコメに求められる要素ではあるだろう。
だが、即堕ち系ヒロインにそんなものはない。
主人公に対して初対面なのに、『好き!大好き!』となってスキンシップにすら拒否感が消失する。
好意がカンストするのは構わないし、『ヒロインは主人公のモノ!』となった方が、主人公に自己投影する読者にとって快楽を得やすいのも分かる。
だがそれをするのなら、最初にヒロインを徹底的にいじめて、それを主人公が解決するくらいじゃないとダメだろ。と思わなくもない。
一体どうなっているんだ。
圧倒的に、『何か』が欠如している。
これに対して考察した時、あることに気が付いた。
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ヤレヤレ系主人公と即堕ち系ヒロインの共通点は、『羞恥がない』という点である。
ヤレヤレ系主人公は、羞恥という概念がないからこそ、『自分に欠点がない』という感覚を持つ。
その影響で、一般的な男性が持っている『自分がどう見られているのか』が一切気にならないのだ。
加えて、恥じらいがないからこそ、美少女の頭だって平気で撫でられるし、抱き着いてきてもちょっと驚く程度でほぼ感情が動かない。
ナルシストの極みでもこうはならないが、何度でもいう、ヤレヤレ系主人公に、羞恥は搭載されていない。
即堕ち系ヒロインも羞恥はない。
羞恥がないからこそ、『悶々』とすることがない。恋なのか愛なのかは不明だが、それを主人公に対して抱いた瞬間、後はその欲を満たすために主人公に接する。
時々、即堕ち系ヒロインが『えへへ』とか言っている描写で『羞恥だな』と考えている人がいるが、これは『主人公成分という薬を極めた奴が快楽を得ている』だけで、羞恥ではなく歓喜なのだ。
双方ともに、恋愛面において、踏みとどまるということを知らない。
『羞恥』がないのは確定である。
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さて、なぜこんな奴ばっかりがランキングにいるのかということだが。
簡単にまとめれば、筆者は『ランキング作家でも羞恥を書けないから』だと考えている。特に一人称小説の主人公!
ただ、これの解釈は『羞恥というものを書けるけど低クオリティだからあえてやらない』ことと『羞恥という感情がそもそも書けない』の二つに分かれるが、筆者は後者が断然多いと考えている。
美少女の頭を撫でるだとか、クサいことを言うだとか、それらに対して恥ずかしさという『内面』を描写できるかということだ。
これがね。出来ないのである。できたとしても状況の『説明』が限度、決して『描写』はできない。
……いや、まあ、ト書きに少し修飾するくらいがランキングではちょうどいいのは事実ではあるが、特に『悶々』など、説明しか本当に書けないだろう。
では、ヤレヤレ系主人公や即堕ち系ヒロインがすぐに書けるのかということに関して言えば、これはね。もう慣れればすぐに書ける。
こんなはずじゃなかったんだけどな。と無意味に偉そうにして、美少女の頭を撫でて『えへへ~』と言わせる。
まさに『願望』だろう。
とはいえ、『人間が持っている叶えたい願望の中に、羞恥など入り込まない』という仮説を立てれば、納得できなくはない。
どういうことか。
あなたが好きなR-18シーンを思い浮かべてください。可愛い女の子が目の前にいるでしょ?おそらくあなたはその女の子にあんなことやこんなことをするだろう。
……その時、あなたはその女の子に対して羞恥を感じるか?
感じているというのであれば、それを言葉にして書いてみるといい。それだけで『悶々』を書ける。
ただ、想像の中にいる女の子に対して、自分が羞恥を感じるなどということはないだろう。
で、その羞恥を感じていない自分を一人称視点で書けば、そりゃ『主人公が羞恥を搭載しない』に決まっている。
先ほど『ヤレヤレ系主人公』や『即堕ち系ヒロイン』は慣れればすぐに書けるといったが、これはそれが影響している。
……この段階で認識してほしいことは伝わったと思うが、要するに、『羞恥を感じる主人公を描写する』ということが、相当難易度が高いということが分かったと思う。
なお、筆者はこれについて考えているとき、『羞恥を書けないのは、自分の願望をぶちまけるみたいで恥ずかしいからだ』と考えていたが、よくよく考えればそんなことはない。
というか、小説家になりたいと言っているのに、願望を晒すのが嫌とか、本質的に矛盾している。我々は本来、露出狂だろう。
恥ずかしいから書けないのではない。
そもそも『羞恥』を想像することができないのである。
だからこそ、なれれば書きやすいヤレヤレ系主人公と即堕ち系ヒロインばかりを書いていき、その結果として、現在のランキングが形成されて行ったというわけだ。
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ここまで書いておいてアレだが、クソ問題なことを言うと、ここから先、おそらく悶々とする主人公を書く必要はない。
悶々というと人間らしいが、軽く読みに来ている読者からすれば、そんなものは全部『優柔不断なヘタレ』なのだ。
先ほども使った表現だが、『無意味に偉そうにしたい』というのが『願望』なのだ。
美少女と触れ合うのに一々段階を踏んでいる主人公を見ても、『読者の快楽は満たされない』のである。
本エッセイを執筆するに至ったのは、『羞恥がない』という視点を共有したいということ。
もう一つ、ランキングに載る小説を書こうとする場合において、『昨今のハイファンランキングの描写において、恋愛面の羞恥を感じる必要はない』ということを知らせたいと考えたからだ。
……まあ、そもそも、『恋愛』というより『心酔』と言う方が昨今のヒロインには正しいのだが、悶々が書けないのなら恋愛なんて書けないし、それなら心酔を書く方が無難だろう。
ただ、これらの状況が、なろう特有の軽さや薄っぺらさに直結しているという因果関係を、真っ向から否定できるものもそういないと考えている。
『人間』を書きたいという方は、一度、考えてみてほしい。