第九十二夜 天井
Bさんは大学を卒業し都内のとある会社に入社した。上京したてて資金が心許なかったBさんは社員寮に住むことになった。四畳半の狭い部屋であるが、家賃を浮かせることができるのはかなり大きい。Bさんは空いていた二階建ての真ん中の部屋――二〇四号室を使うことになった。
同じ寮を使う先輩社員に共用部分の使い方を一通り教わったあと、こう忠告された。
「別に怖がらせるつもりはないんだが、もし何か奇妙なことが起きたらすぐに俺に電話してくれ。もし起きたら、でいいから」
何が起こるんですか? そう訊いても、先輩は言葉を濁してまともに答えてはくれなかった。
Bさん自身、心霊体験をしたことはなかったし、そういった類のものを信じるたちではなかったため、特に気にしなかった。
その日の夜、部屋で眠っていた時のことである。
なんだかうなされるような夢を見て、夜中にふっと目が覚めた。じとりとした汗が身体中にまとわりついて気持ちが悪い。水を一口飲もうと立った時だった。
天井いっぱいに引き延ばした、巨大な男の顔が敷き詰められているのに気付いたのである。
「うわ!」
思わず声が出る。その輪郭はぼんやりとした青白い光に照らされて、まるでプロジェクターで映し出した平たい画面のよう。天井の顔は黄色い歯を剥きだして笑っていた。その表情は怒っているようにも、泣いているようにも見えた。何かを伝えたそうにBさんを見つめているが、そのあまりの恐ろしさにBさんはしばらくの間動けなかった。
ようやく手を動かし、覚束ない指先で先輩に電話する。
「先輩、で、出ました!」
Bさんは抜けた腰を引きずってようやく扉の鍵を開けるや否や、先輩が顔を見せた。
「大丈夫か?」
「て、天井に、男の、顔が!」
先輩は部屋に入って天井を見上げたが、その時にはすでに男の顔は消え、もとの真っ白な天井があるだけだった。
結局その部屋で眠ることができず、Bさんは先輩の部屋に泊まることにした。
翌朝、先輩に話を聞くと「お前、見えるんだな」と言われた。
「先輩には見えないんですか?」
「ああ、俺にはな」
二〇四号室の怪は、なぜか“見える者”と“見えない者”がはっきりしているらしい。実際“見えない者”が住むには全く問題が起こらないため、入居時にはあえて詳しくは説明しないという。
「事前に言わなかったのは悪かったけど、ま、ちょっとした新人のテストってやつだよ。お前には別の部屋を用意してもらうように言っておく。くれぐれも新しく来た奴には言うなよ?」
今は“見えない”社員がそこに住んでいるという。




