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怪談百物語  作者: 安城朱理
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第八十八夜 違和感

 Oさんは三月に大学を卒業した。そして決まっていた都内での就職のため、上京して初めて一人暮らしをすることになった時のことである。

 両親が遠く見知らぬ土地で若い女性一人だけで住むのは心配だということもあって、オートロックのあるセキュリティ性の高い部屋を選ぶことにした。少し値は張るが、築年も浅く内装も綺麗なマンションだ。おおむね満足のいく部屋だった。

 引っ越しがひと段落付き、作業を手伝ってくれた両親とも別れた。いままで親元を離れたことがなかったOさんにとってしたら、この静かなワンルームにひとりでいると余計に寂しい気持ちになる。もうすでに軽いホームシックを感じる。ダンボールを整理したらもっと空間が広くなるのだろう。決して広くないはずなのに。

 そんな気持ちを抑えるためにもOさんは引っ越しの後始末もそこそこに眠ることにした。壁に掛けた丸時計は十一時を指している。組み立てられたベッドに横たわると、一日中慣れない土地で動き回っていた疲れのせいか、入眠までは長くなかった。夢も見ないくらい深い眠りだった。


 新居での生活が始まって一週間たったころ、部屋はだいぶ片付いてきて、生活リズムもどうにか掴むことができた。いつもは親に頼りっぱなしだった家事や料理、ゴミ捨てのことまで全部自分でやらなければならない。それでも近場にスーパーや手ごろな飲食店やショッピングセンターを見つけ、生活の準備は整いつつあった。

 仕事が始まったらきっと大変なんだろうな。そう思いながらふと部屋を見渡す。白を基調としたなんの変哲もない部屋。家具は少な目で、ベッドと小さな机を挟んでテレビが置いてある。ただそれだけの小さな部屋。ただそれだけなのに……

 Oさんはどこか知らない人の家に上がり込んでしまったかのような落ち着かなさを感じた。明確にはわからないが、この部屋のどこかに場違いなものがあるようなそんな違和感を覚える。しかし、それを見つけることができなかった。きっと新しい環境に慣れていないだけで気のせいであろうと、特に深く考えることはなかった。

 翌朝、Oさんが目覚めて顔を洗おうと洗面所に向かうと、再び猛烈な違和感に襲われた。昨日とどこかが違う。あるべき場所になくて、ないはずの場所に何かがあるような気持ちの悪さ。

 しかし、やはりその違和感の正体というものはわからなかった。

 そんな日が何度もあった。昨日とは何かが違う……どこかがおかしい。Oさんは次第にその違和感に憑りつかれるようになってしまった。


 彼女がその部屋を出ることになったのはその年の四月のこと。

 両親のもとにOさんの勤め先から電話が入った。

「Oさんが初日から出勤されていないようでして、携帯電話も通じないのですが……」

 そんな連絡を受け、両親はすぐにOさんの住む部屋へ飛んで行った。

 スペアキーで部屋のドアを開けると、生ごみの饐えた臭いがつんとこぼれ出る。コバエが部屋中を飛び交い、汚れた衣服が床一面に散乱している。カーテンはびりびりに破れて、その爪痕のような隙間から外の明かりが差し込んでいた。部屋を照らしていたはずの蛍光灯は外され、その死んだ白い円形の管はベランダに吊られている。

 Oさんはそんな部屋の中にポツンと座っていた。何日も洗っていないような油ぎった髪。落ちくぼんだ虚ろな目は開いてはいるがそこに何も映してはいなかった。

 両親はそんな娘の変わり果てた姿を見たとき、大切に育ててきたあの愛くるしい娘ではないように見えたという。もっと別の、汚らわしい化け物のような……

「何かが違う……何かが違う……」

 そう呟くOさんはまるで狂人だった。


 Oさんは両親によって部屋から出された。その身体はしばらくの間ろくに食事も摂っていないようでひどく痩せていた。そのまま病院に担ぎ込まれたOさんは、環境が変わったことによる精神的負担から来るノイローゼと診断され、しばらく入院することになった。

 それからOさんはみるみるうちに快復していった。それまでの抜け殻のような姿が嘘だったかのように、体調も今までの元気な姿に戻っていった。

 Oさんはあの部屋で過ごした日々のことをあまり覚えていないという。もしあのまま住み続けていたら……? もしかすると、Oさんは輪郭のない違和感というものに取り込まれてしまっていたかもしれない。そしてその正体というものは、Oさん自身にもいまだにわかっていないという。


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