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怪談百物語  作者: 安城朱理
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第七十六夜 臨海学校

 Tさんが小学校五年生の時のこと。臨海学校でN市にある宿泊施設に行くことになった。日本海に面しているそこでは他校の生徒と共同で使用するため、総勢で二百人近い参加者となった。

 二泊三日のしっかりとした遠足。小学校生活の大きなイベントであるため、生徒たちはみな楽しみにしていた。昼は海に出て海水浴を楽しみ、地元で獲れた海産物を食べ、夜になったら体育館で他校の生徒たちと交流会――海とは縁遠い土地に住んでいるTさんたちにとってはどれも新鮮な体験だった。

 二日目の日程をすべて終えた夜。Tさんを含めた十五人の班は、二十畳ほどある大部屋で就寝することになっていた。部屋は二階にあり、昼間は綺麗な海を眺めることができたが、夜には代わりに空に星々がきらめいているのが見えた。しかし、そんな風景を楽しむこともなく、時間になれば布団を敷いてそれぞれが寝床についた。一日中はしゃいでいたせいで疲れていたのか、消灯してからはみなすぐに寝静まってしまった。

 大部屋は小さな寝息が聞こえてくるだけになった。廊下からは『非常口』ランプのほのかな緑色が漏れ出ている。網戸にしてある窓からひんやりとした潮風が子供たちのいる部屋の熱をさらっていく。布団の感触が、疲労を優しく拭ってくれるようで気持ちがいい。Tさんも明日で最終日となってしまうことを寂しく思いながらも、ゆっくりと眠りに落ちる瞬間――

 Tさんの目の端に白い手が飛び込んでくるのが見えた。はっとして目を見開くと、それはどうやら窓の方に抜けていったらしい。しかし、窓には白いカーテンが風でゆらりと靡いている。きっと、寝ぼけてそれを手だと錯覚したのだろう。少し早くなった心臓をゆっくりと整え、再び睡眠に入ろうとしたとき、今度ははっきりとした輪郭を持つ手を見た。

「うわ!」

 しかし、そんな叫び声を出そうとしても喉から先には出てこない。全身を何かにのしかかられているような強い重力を感じて身動きが取れなくなった。金縛りだ。Tさんは目だけを忙しなく部屋の隅々まで見張らすと、窓の外にぼんやりと白く光る子供の姿を見た。それはTさんたちと同じくらいの男の子で、前髪は額で切りそろえられている。白いシャツと紺の半ズボンを着て、網戸の向こうから悲しそうな目でこちらを見つめている。

 不思議と怖くなかった。なんだかずっと昔から知っている友達のように、懐かしい気持ちにさえなった。Tさんはいつのまにか自由に動かせられるようになった体を起こして、そっと窓辺に歩いていく。これは本当に自分の意志なのか……そんなことは何も考えていなかった。ただ自然と突き動かされる衝動に身を任せ、じりじりと外にいる少年に近づいていく。

 すると、その白い少年はにやりと笑った。右腕をこちらへ伸ばすと、Tさんの体はがしっと掴まれたように自由が利かなくなる。前へ、前へと、まるで操られてしまったかのように意思とは関係なく足が差し出される。畳を擦る音が激しく響くが、そこにいる誰もがこの事態に気付くことはない。

 Tさんは無我夢中で振り切ろうとしたが体は網戸に触れる寸前。その先には少年の顔がもう間近に迫っている。もうダメだ、向こうに連れていかれる……! そう思った瞬間、目の前の景色がふっと明るくなった。

「おい、大丈夫か?」

 見回りに来た先生が部屋の電気を点けて、Tさんの体を揺さぶっている。周りを見れば、心配そうな面持ちでクラスメイトが覗き込んでいた。

 Tさんは布団の中で横になっていた。どうやら大きな声で何か寝言を言っていたらしく、先生が様子を見に来たのだという。

 夢だった。しかし、それにしては体じゅうが締め付けられていたような生々しい感覚が残っている。

「先生、あそこの窓の外に男の子がいて、向こうに引きずり込まれそうになったんです」

 そう言ってみても、ただ怖い夢を見たのだろうという風に捉えられるだけだった。ここは二階だし、窓の外には人が立てるスペースはない。大部屋は一瞬子供たちの笑い声に包まれたが、憔悴したTさんの顔を見かねて、先生は「じゃあ、落ち着くまでは先生たちの部屋で寝るか?」と提案した。それもどうだろう……と思いながらも、あんな怖い思いをするのは絶対に嫌だと思ってその部屋を出た。


 翌朝、明るくなってから全体のラジオ体操をするために、全員が外に集められた。宿泊棟のすぐ隣には開けた場所に芝生が広がっている。目をこすりながらサンダルを履いて外に出る子供たち。Tさんはその中に混じりながらどこかまだ昨夜の悪夢を引きずっていた。

 そっと外からTさんの眠っていたあの大部屋を見上げる。部屋には誰もいない。それなのに、どうしてだかそこに誰かがいるような気がしてならない。しばらく見ていると、ラジオ体操の音楽が鳴り始めた。

その時、風に靡く白いカーテンがふわりと翻った。

 そして、Tさんは昨夜のことが夢ではないことを知った。

 カーテンの向こうに、あの白い顔がこちらを見ているのが見えたからだ。にやりと、不気味に口角を上げて。


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