第四十八夜 狸の怪 その二
Eさんが遭遇した山道にあるという信楽焼の狸だが、同じ地区にある蕎麦屋の店主が興味深い話をしてくれた。
骨董品蒐集の趣味を持つ蕎麦屋の店主は、地元の古物商のもとにあったひとつの信楽焼の狸の置物に目を奪われた。何とも言いようのない魅力を感じ、その場で購入を即決、蕎麦屋の軒先に置いておくことにした。
その夜のことである。店主がトイレに行こうと起き上がると、玄関先で小さな女の子のすすり泣くような声が聞こえることに気付いた。こんな時間に……? きっと気のせいだろうと思ったが、耳を澄ますとやはり外から声がする。
店主がおそるおそる玄関の戸を開けると、声はぴたりと止まった。遠くで虫が鳴いているのがかすかに聞こえるくらいである。ふと横を見れば、軒先に今日購入した狸の置物が置かれているだけで、誰かがいるような気配は、ましてや女の子がいるわけがなかった。
「おかしいな」
不思議に思いながら戸を閉めると、やはり外からすすり泣く声がする。店主はなんだか気味が悪くなってそのまま布団をかぶって眠ってしまった。
翌朝、声はすっかり消えてしまっていたため、寝ぼけていたのだろうと思うことにしていつも通り店を開けると、いつになってもお客さんが一人も入らない。いつもならお昼時には満席と言わないまでもそこそこ込み合うくらいなのだが、今日になっては寂しいくらいに閑散としている。
「みな閉店していると勘違いしているのか?」
しかし、外に出てみるときちんと暖簾は掛かっている。どこにも異常はない。昨日と違うのはこの狸だけだが……。
結局その日、お客さんはひとりも入らなかった。
その夜、店主が再びトイレに行こうと起き上がると、また外から女の子のすすり泣く声が聞こえてきた。ああ、寝ぼけていたわけではなかった。これは確かに聞こえてくる。
戸を開けるとぴたりと止む。狸の置物がぽつんと佇んでいる。
「これは何か不吉なものなんじゃ……」
店主は信楽焼の狸を抱えて車の助手席に乗せると、そのまま発進させた。どこか遠くへ捨ててしまおう。と、そんなことを思いながら隣市まで行くと、適当なゴミ捨て場に放置してそのまま帰宅した。
翌朝、店主は今日こそはお客さんを呼ばなければならないと気合を入れて仕込みをした。暖簾を掛けようと戸を開けると、店主は仰天した。
昨夜捨てたはずの信楽焼の狸が何食わぬ顔でそこに立っているのである。
店主は取り扱っていた古物商に問い合わせて、どのようにして流通していたものなのかを聞いたが、回答はあっさりしたものだった。
「いや、自分でもよくわからないんだがね、こんなもの仕入れた記憶が全くないんだ。倉庫の片隅にいつの間にかあったような、そんな感じさ。なにせまるで印象がないんだから」
しかし、どんないわくがあるのかは知らないが、これが店にある限りは何かしらの不幸に見舞われる。毎晩すすり泣く声を聞くのも忍び難い。店主は近くのお寺を訪問して引き取ってもらうことにした。
住職はその信楽焼の置物をみるなり、何かを察したように快諾した。
「この置物には確かに霊が憑りついておる。しかし、ご安心なさい。私がきちんと供養しておきましょう」
「よろしくお願いします」
店主はその夜、再びトイレに行こうと起きたが、すすり泣く声は聞こえなかった。よかった。今夜はゆっくり眠れそうだ。
翌朝、ひとつ肩の荷が下りたような気持ちで清々しく目覚めると、今日こそはお客さんを入れなければと再び仕込みをした。しかし、なんだか胸騒ぎがする。店主は開店時間になって暖簾を掛けようと戸を開けると―—
狸である。昨日と同じように何食わぬ顔をして軒先に立っているのである。
もう説明がつかない出来事の連続ですっかり参ってしまった店主は、狸を預かってもらったはずのお寺に電話で問い合わせた。
「昨日預かってもらった狸の置物なんですが」
と、すべてを言うまでもなく住職は何もかも承知のようだった。
「ああ、昨日の。不思議なことに今朝見たらどこにもいなくなっていたので心配だったんですよ。やはりそちらに行っていましたか……」
「やはり、というと?」
「すみません。その置物は到底私のようなレベルの者が扱えるものではなかったようです。もっと私よりも霊験あらたかなひとを知っていますから紹介いたしましょう。そちらに預けていただけますか?」
店主は教えてもらったお寺に信楽焼の狸を持っていくと、そこの住職は何も言わずに了承した。
それから店主のもとにその置物が戻ってくることは一度もなかった。




