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怪談百物語  作者: 安城朱理
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第十五夜 ともだち

 Oさんはさらにこんな話もしてくれた。


 これは小学生に入ったばかりのときの話である。Oさんはそのころからもう幽霊が見えていたという。しかし、幼いうちには生きているものと死んでいるものの区別なんて曖昧で、どれが一番初めに見た幽霊なのかはわからない。街でいつもすれ違っていたあのひともそうだったかもしれないし、あるいはそうでないかもしれない。

 そういう意味で、初めてこの世ならざるものの存在を認識したのはこの時だったと思う。

 Oさんたち一年生の教室は西側にある教室棟の一階にある。どこかに移動しての授業はないためその一階から出ることは、渡り廊下を挟んで東側の体育館に行く以外ほとんどない。二年生以上の学年は二階から四階の教室が当てられているため、上級生と触れ合うのは朝の登校と、週に一回の全校レクリエーションの機会くらいだった。

 ある日、Oさんは無垢な好奇心から階段を上ってみたくなった。人見知りしない性格だったOさんは上級生ばかりの教室や、理科室や音楽室といった真新しい環境に魅力を感じたのである。思い立ってすぐ行動した。リノリウムでコーティングされた階段を踏み込むたびに上履きのソールが軽快な音を立てる。二階、三階、四階……最上階まで一気にたどり着くと、誰一人として、自分を知らないひとたちばかりである。みんな身体が大きくて頭を上げなければ顔も見えなかった。

「あれ、一年生の子かな? かわいいー」

 Oさんはそれから上級生の間で可愛がられることになった。これは年少の特権である、と言わんばかりにみんなの人気者だった。休み時間になると可愛がられるためにいつも階段を駆け上がる。一人っ子で兄妹に憧れていたOさんは同じクラスの子たちより、お姉さんやお兄さんと一緒に遊ぶのが毎日の楽しみだった。

 その時も休み時間が終わる頃になってOさんが階段を下りていた時のこと、三階の渡り廊下の中腹で一人の女の子が手すりに肘をかけて立っている。もうすぐ授業が始まるころなのに、のんびりしているなあ。Oさんはそう思いながらも、自分も授業に遅れないように急いで階段を駆け下りた。

 それから何度か渡り廊下で彼女を見かけた。午前中も給食を食べ終わった後の休み時間も、彼女はいつもそこに立って外を眺めていた。ストレートの黒髪に、ピンク色のカチューシャを着けている。いつも同じ白いブラウスにベージュのスクールベスト、紺色のチェック柄のスカートが膝上で風になびいている。綺麗な横顔。好奇心の強いOさんはある日のこと、彼女に話しかけてみることにした。

「ねえ、そんなところでなにしてるの?」

 Oさんは彼女にそう問いかけた。彼女は驚いた顔をして背の低いOさんを見下ろした。大きく見開かれた丸くてまつ毛の長い眼、小ぶりな鼻の下には赤くふっくらとした唇が何か言いたげに震えている。怯えているような表情だ。しかし、安堵し微笑んでいるようにも見える。

「別に、ここから見る景色が好きなの。ここなら誰も邪魔されず、誰も何も言わないから」

「ふうん」

「一年生? もう休み時間は終わりだよ。教室に戻ったほうがいいよ」

「うん。お姉ちゃんもいそいでね」

「ああ……うん」

 ふと振り返ると、彼女はまだ外を眺めていた。


 Oさんはそれから三階の渡り廊下を気にするようになった。昼休みも、下校の時間も覗いてみれば彼女はいた。手を振ると、それに気づいて手を振り返してくれる。そんなやりとりが何度も続いた。会話することはあまりなかったような気がする。それでも言葉は少ないながらも、彼女との関係は日常に溶け込みつつあった。

「ねえ、三階の渡り廊下にいるお姉ちゃんってだれだか知ってる?」

 Oさんはいつかいつも遊んでくれる六年生に訊いたことがある。

「え、そんなひといる?」

「私音楽クラブでよくその渡り廊下使うけど見たことないなあ」

「やだ、怖いこと言わないでよー」

 誰も知らないようだった。Oさんは冗談を言っていると思われているのが気に入らず、むきになって手を引いて渡り廊下まで上級生たちを連れ出したが、いつもいるはずの場所に彼女はいなかった。

「ほら、やっぱり誰もいないよ。見間違えたんじゃない? あ、そろそろ時間だ。教室戻ろう?」

 いつもはいるのに。手すりに肘をついて、物憂げな顔で外を眺めているじゃないか……どうしてだろう。Oさんにはうまく理解が出来なかった。

 その日の帰る時間になって、外から三階の渡り廊下を見上げたら、彼女は何食わぬ顔でそこにいた。どうしてあのときいなかったの? おかげで私が嘘ついたみたいになったじゃん。彼女はOさんに気付いて手を振ったが、Oさんはそれを無視して学校を後にした。


 そこからしばらく渡り廊下の彼女についてはあまり記憶がない。おそらく興味が薄れたからというのが第一の理由である。上級生と遊んでいるほうがずっと心地よかったし、楽しかったのである。次第に気にすることもなくなり、いつしか記憶の片隅からも消えていたこともある。

 一年、また一年と時間が経つと、よくかわいがってくれた上級生も卒業し、Oさんも進級に合わせて二階の教室に移動することになった。すると、上の階に行くことも減り、同級生と一緒に過ごすことが増えた。

 そして三年生になった時のことである。教育課程も拡充し、新しく科目も増えて勉強することが増えた。音楽の時間になれば音楽室に、理科の授業になれば理科室で授業を受けることになった。

 Oさんが東棟の音楽室に向かっていると、あの三階の渡り廊下を通らなければならないことに気付いた。そしてかつてそこで髪の長いあの綺麗な横顔の女の子と手を振りあったことも。そんなこともあったなあ。でも、きっともう卒業していることだろう。三階は五年生と六年生の教室があるところだから、あの場所にいるとしたらきっとそうだ。Oさんがその渡り廊下を通ろうとした瞬間、中腹に彼女はいたのである。姿は変わらずあのときのままと同じで。

 Oさんはゾッとした。今まで感じたことのない感覚だ。異質、彼女を取り巻いているのはこの世ならざる異質なオーラに包まれている。

 しかし、音楽室に行くにはここを通るほかない。迂回して二階の渡り廊下から行くには時間が足りない。Oさんはそっと足を忍ばせて彼女の後ろを通り抜けようとした。

 風がさわりと吹き抜ける。すると、ツンとする腐った生モノのにおいが鼻をついた。

「気づいてるよね。知ってるもん、君の顔」

 彼女は振り返らず、後ろ向きにそう言った。

「私はここから動けないから。君がここに来てくれることを待ってたの。初めて気づいてくれた。初めて気づいてくれた、初めて気づいてくれた……ともだち、ともだち、ともだち、ともだち、ともだち、ともだち、ともだち、ともだち……」

 その声は次第に歪んで、壊れたラジオカセットから流れる音のようになんども同じ箇所をリピート再生する。Oさんはただならぬ危険を感じて渡り廊下を一気に走り抜けた。一心不乱に音楽室に飛び込む。

「ギリギリセーフ。遅かったわね。もう少しで遅刻だったわよ」

 時計を指さす音楽の先生。もうクラスメイトのみんなは着席していた。

「あの、リコーダー、教室に忘れちゃって……」

 Oさんは誰にも言えず、そのまま席に着いた。そこから覗き込めば渡り廊下は見渡せるが、Oさんは怖くてずっと顔を上げることができなかった。


 授業が終わってクラスメイトと一緒に渡り廊下を通ったが、そこに彼女はいなかった。それからOさんは必ず誰かと一緒に通るように心掛けた。彼女に出会わないために。


 後に訊いた話である。しかし、これはあくまで噂話でどこまでが本当で、どこまでが作り話なのかはわからない。

 長年その小学校に勤めている先生の話によると、昔、ひとりの生徒の女の子が自殺してしまったらしい。三階の渡り廊下に靴を並べて飛び降り、直下のコンクリートに体を打ち付けて、ほぼ即死だったという。原因は家庭の問題があったとか、クラスにいじめがあったとか、いろいろと物議を醸したそうだが実際のところはよくわからない。

「そういえば、このごろお花を供えているのを見たことがないなあ」


 Oさんは毎年、お盆の時期になると母校の小学校に一束の花を送っているという。渡り廊下の彼女に向けて、とメッセージを添えて。

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