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短編・童話集

きみのバレンタインデー~ドジっ娘とぼくの2月のはじめ~

 金森歩美はいわゆる「ドジっ娘」だ。

 落ち着かないことこの上ない。


 ぼくが彼女とはじめて顔を合わせたのは幼稚園に入園したころのことで、ぼくらはいわゆる幼なじみという間柄だった。

 で、そのはじめての記憶によると歩美はぼくのことを自分の兄貴だと間違えていた。

 何があったのか今ではわからないけれど怒り狂っていた。

 大声で叫んでぼくを叱責し、戸惑う先生たちの目の前でぼくに痛烈な頭突きを食らわせ、その後は勝手に泣き出してどこかへ走り去っていた。

 とんだ人違いだ。


 歩美の兄貴、金森雄一はぼくらの一つ上であり、ぼくにもたまに話す機会があるのだけれど、彼から聞く歩美の素っ頓狂なエピソードには事欠かない。

 そのうちの一つ。金森家では風呂場のタライがしばしばなくなる。

 探してみると大概歩美の部屋の机の上に乗っており、そのそばで歩美がドライヤーで髪を乾かしている。


 どうしてそんなことになるのかというと、歩美にいわせると「銭湯からあがるときって、タライを持っているイメージじゃない。だからたぶんそうなるんだと思う」。

 なぜそれが原因になるのかぼくにはまったく理解が及ばないのだけれど、ともかく、わかっていても彼女は湯上りにタライを持っていってしまう。

 そうしてタライを目にしているはずなのに、人から言われるまでそれがおかしいとは気がつかない。


 とまあ、これと似たようなエピソードが多数存在するのだからおそれ入る。

 ちなみに金森雄一は、いま現在、ぼくと似ても似つかない。

 彼の方が男前である。たぶん昔だって、似ても似つかなかったに違いない。



   ※※※



 その歩美が、ちょっと家に来て欲しい、と電話をかけてきたのは二月初旬のことだった。

 その日はちょうど休日で、ぼくも部屋でごろごろしているだけだったから、まあいいよ、と請け負って出かけた。

 出かけるといってもわずか二軒隣の家に行くだけだから、電話を受けて五分後にはもう歩美と対面していた。


 幼いころから出入りしていただけあって、勝手知ったる家だった。

 ぼくもよく知っている金森家の両親は出かけており、雄一は部活動に行っているらしく、家にいるのは歩美だけだった。

 玄関の扉を開けてみると、キッチンの方から甘い匂いがした。

 ぼくの名を呼びかける歩美の声がキッチンからしたので、ぼくはそちらへ歩いていった。


 キッチンのガラス戸を開けると、エプロン姿の歩美が立っていた。

 頭の上には三角巾が乗っている。甘い匂いがさらに濃くなる。

 その匂いと、コンロの上の鍋の中で暖められているものの色と、彼女の姿で大体何をしているのか察しがついた。

 しかも、時期が時期だ。


「来てもらって悪いね。ちょっと、味見をして欲しくて」


振り向きながら歩美が口を開いた。


「何しろこういうの、作るのはじめてだからさ」


「いまのところ、鍋はひっくり返してないみたいだな」


 きれいなキッチンの床を確認してからぼくは言った。歩美は恥ずかしそうに頭を掻き、それで指先についていた柔らかいチョコの固まりが白い三角巾にべっとりとついた。

 あ、と彼女が息を漏らすようにいい、それから笑ってつづけた。


「一応慎重にやってるから。だってやっぱり、もう本番だもんね」


「バレンタインデー、誰かに渡すつもり?」


「そそ、本命」


 あの歩美がねえ、とぼくはキッチンの椅子に腰を下ろしながら腕組みをした。

 そうは言っても金森家は結構美形な一家だ。その上落ち着いており頭の回転も速い。


 両親のいい特性を受け継いで、雄一の方はかなりモテる。

 かわいい彼女と一緒にそのへんをふらついているのをぼくが見たのは二度、三度では収まらない。

 少なくともこれまで数人の美人とお付き合いがあるのは間違いない。


 一方で歩美はどうも、頭の回転は速いのだけれど速過ぎて落着きを欠くきらいがある。

 顔こそ問題ないのだけれども人気がない。

 人気がないというより異性として扱われることが少ないらしい。

 どうも、男であれ女であれ彼女と接する人間は彼女をマスコット的な存在として見てしまうらしい。

 高校では昼休みになるとしょっちゅう弁当をひっくり返しているそうだからそうなっても当然かもしれない。


 そうして歩美の方でも、ごくたまに告白なんぞを受けるらしいけれど、すべて断っているようである。

 まだそういうのは考えられないから、というのが理由らしいが、ぼくからすればもったいない話である。

 若いうちは短いのだから早く嫁の貰い手を見つけなさいと口をすっぱくしていっている。

 容姿で騙せるうちに、というわけだ。


 けれどその歩美が本気になったらしい。これはなかなかいい兆候ではあるまいか。


「ふーん。誰?」


 歩美の気になる男というのをこれまで聞いたことがなかったので、ぼくはそうたずねてみた。


「教えない。何で教えなきゃいけないの」


 歩美はにこにこ笑って鍋をかき混ぜている。

 手つきがかなり怪しい。

 そんな彼女を見ながら、ぼくは相手を想像してみた。

 歩美のことだから、どうせ、やたらイケメンの先輩に一目ぼれしたってところだろうか。


「つまんないな。まあ、いいけどさ」



   ※※※



 それから歩美はしばらく、鼻歌を歌いながらチョコを作り続けていた。

 まだ冷やす作業まで行き着かないのに電話をかけてくるなんて、かなり気が早い。

 大して話題も思いつかなかったので、ぼくは隣のリビングに行ってソファーに腰を下ろし、テレビをつけた。


 やがて歩美が、キッチンの方からやってきた。

 エプロンと三角巾を外しており、若干他所行きの服装をしていた。


「いつ味見をさせてくれるんだよ」


「待って、もうすぐできるから」


 そう言うとぼくの隣に腰をおろし、両腕を組んだ。


「渡すのもいいけど、相手を間違えないようにしろよ」


 からかい混じりでそう注意する。

 しかし、歩美にはありえないことではない。


「大丈夫。さすがに間違えないよ」


「チョコの代わりに別のもの渡したり」


 歩美は少し難しげな顔になり首を傾けた。


「それはありそうだけど、まあ、ちゃんと確認するから」


 話していて、今日の歩美は非常に機嫌がいいように感じた。

 当日に自信があるのだろうか。


「うまくいくといいな、どんなやつかは知らないけどさ」


「そうだね。緊張してる」


「自信は?」


「どうなのかなあ」


 しばし、午前のワイドショーをながめて過ごした。


「ん。もうちょっとかな」


 そう言うと、歩美はちらちらと時計を確認した。

 そろそろチョコができる時間なのだろう。

 じゃあ仕上げてくる、そういい残すと歩美はソファーから離れた。


 歩美が帰ってくるまで、少しの間があった。


 ぼくは戻ってくるまでの間、歩美のことを考えていた。

 そうしてこれから告白を受けるらしい、歩美の相手の男のことを考えた。

 告白が成功すればいいと考える反面、中途半端なやつではあって欲しくない。

 少なくとも友人としての歩美は悪いやつじゃない。

 面白くて可愛いやつだ。たまには味噌汁をぶっかけられたりもするだろうが。


 しかし、もしも彼と歩美が上手くいったのなら、ぼくもこの家には来づらくなるのだろうか。

 一体どうなるのかわからないけれど、それは少し、残念な話だった。


 歩美がこちらへ歩いてくる音がする。

 胸の中にあったどこかもやもやとする気持ちを振り払いつつ、扉が開くと、歩美を迎えるようにぼくは言った。


「ちゃんと日曜に渡すんだぞ。来週の、土曜じゃなくて日曜だからな、本番は」


「え?」


 扉が開いたところで歩美は固まっていた。

 その手の中にあったものをぼくは見た。

 赤とピンクのハートに彩られたその包み紙は、ぼくの中にあった歩美の印象には若干そぐわなかった。

 そうして歩美は目をぱちぱちとやっていた。


「あれ、今日ってバレンタインデーじゃないっけ」


「……いや、その一週間前だけど」


「おかしいな」


 歩美は不思議そうにつぶやいて、なぜか壁にかかっている時計を見た。

 当然、アナログ式のその時計には日付は入っていない。


「それ、味見していいのか」


 そう聞くと、歩美はあわてて首を振って否定した。


「いや、これは駄目」


「なんで?」


 そのためにぼくはここに来たはずだった。


 なんだそれ、と思った瞬間、ぼくはある可能性に気づいた。

 答えに窮するような間があって、それから歩美がキッチンへ向けて振り返った。


「ちょっと待ってね、いま持ってくるから」


「いや、お前がちょっと待て」


 ぼくは彼女の肩をつかんで止めた。

 ぼくにあったいくつかの材料が頭の中に結びついていた。

 それに気づいて知らん顔をしているほど、ぼくは演技が上手くない。

 歩美にそういうしらじらしい対応ができる自信がない。


 歩美が背を向けている間、頭の中で少し整理をした。


 バレンタインデーの日、歩美は本命のチョコレートを渡すつもりだった。

 歩美はバレンタインデーを今日だと勘違いしていた。

 そうしてここにいたのはぼくだけだった。


 勘違いやドジを踏んだ時によくする、照れ隠しの笑顔を浮かべつつ歩美はゆっくりと振り向いた。

 その笑顔を見た瞬間、ぼくの中に確かな理解が広がった。

 そしてそれとはまた別の、妙な感情も。

 これからその感情の扱いに手をこまねくだろう自分を想像して、ぼくはつい、ため息をついた。


 それから、ぼくの頭の中にある諸々のことを解明しようとする前に、とりあえずぼくはこう口にした。


「バレンタインデー、今日にしようか」

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