1 オウム真理教の崩壊
先日、オウム真理教の幹部だった早川紀代秀という人の「私にとってオウムとは何だったのか」を読んだ。その話から始めようと思う。
この本はオウム真理教の中枢にいた早川紀代秀という人物が、オウムの内部について語った本で非常に興味深かった。オウム真理教と言えば、麻原彰晃を頭として、カルト宗教団体のような形で数々の犯罪を犯して悪名を広めた存在だ。若い世代には知らない人もいるだろうから一応書いておく。
早川という人はそこの幹部だったのだが、この本を読んでようやくオウム真理教というものがあるイメージとして捉えられた。そこにあったのは「グル」麻原彰晃が絶対的な権力を握っている世界で、麻原は途中からは妄想の世界に移行していたようだ。その妄想を具現化する為に信者らは手足になって働いたが、それらが犯罪という形で結実し、社会に開かれた形で現れた時、この集団が見ていたのがただの幻想であるのが暴露された。この幻想に関しては、私は戦時中にも起こっていたと思う。つまり、幻想のインフレであり、幻想が現実とされるメンタリティである。
早川紀代秀という人は、利口で賢い人物であると思う。私はオウム関連の本をいくつか読んだが、オウム真理教には非常に優秀な人が結構入っている。私の印象では、彼らは普通の日常生活の幸福では我慢できずに、それ以上の高い幸福や理想を望んだが、自分でそれを思惟する力や創造する力がなかったが為に、麻原彰晃という悪魔的というか、妄想的な強い力を持った人間に惹きつけられ、入信した。そしてあのような事態が引き起こされた。
早川紀代秀もそうだが、オウムに入った人は普通よりも鋭敏な神経を持った人が多かったのではないか。普通の生活以上の、より高い理想を求めたからこそ、現れたのは毒ガスの散布であり、死体の始末という泥仕事であり……彼らのした事は愚かであったが、彼らの願望それ自体が愚かであったかどうかは早計に判断する事は難しいだろう。ドストエフスキーの「悪霊」はまさにそのような問題をテーマとしている。