第八話 ~決着~
勝った……。遥は率直にそう感じていた。場はまだ南一局であるが、ここでの親のマンガンを取った意味は非常に大きい。
得点もそうだが、嫌な流れを払拭するには充分なアガリだったからだ。
(あとはこのリードを守るだけ……なのですが、ここで気を抜くわけにはいきません)
遥は気を引き締め直すように、グッと唇を噛んだ。現状でも優位なことに変わりはないが、もう一度アガることが出来れば、より勝利は確実なものとなる。
遥は手にしたサイコロを勢いよく放り投げた。
「巡……」
良子は呆然と俯く巡に声かけていた。巡はよほどショックだったのだろう。半ば放心状態となっている。
「ごめん良子。私のせいで……」
謝る巡に、首を横に振ってから答える。
「ううん! そんなことないよ! リーチかけてたんだし、仕方ないじゃない!」
確かに良子の言う通りではあったのだが、先ほどのアガリは得点以上に大きなものであることを、巡は感じていた。今までは実力差を『流れ』という運の要素で埋めてきた。
ここでアガリを取られたということは、ここから先は、本来の実力による勝負になることを意味していたのだ。
(もう……ダメかもしれない)
巡は諦めにも似た想いを浮かべていた。その時、不意に巡の頭に、父である傑とのやり取りが思い起こされる。
★
「父さん。私もう……ダメかもしれない」
それは高校受験を控えた数日前の出来事だった。巡は最終確認として受けた実力テストで、D判定を受けてしまったのである。
「あー? 何がダメだって?」
傑は落ち込んだ様子の巡を見ると、ゆっくりと歩み寄ってきた。不意に巡の前に顔を近づけると、両手で巡の頬を勢いよく挟み込んだ。
「い……ったーい! いきなり何するの!?」
自分を襲った痛みに、巡は思わず頬を擦ったのだが、傑はフンッと鼻を鳴らすと、腕組み状態で立っていた。
「巡。そいつは負け犬が抱く感情だぜ。いいか? いいことを教えてやる」
傑は後ずさった巡に再び近づくと、眼前に人差し指を突き付けてきた。
「もうダメだって思った時はな。視点を変えてみるんだ。ようするに、そう思わされた要因の方から自分を見るんだ。意外と勝ってる方も、余裕ってわけじゃないんだ」
「……どういうこと?」
そもそも試験に勝ち負けなど関係ないとも思ったが、傑の言葉の先が気になった巡は、とりあえず聞いてみることにした。
「そういう時は、勝ってる側の視点で、最も嫌がることを考えて、実行するんだ。すると案外立場はあっさりひっくり返ったりするもんなんだぜ?」
傑はどうだとばかりに胸を張ったが、巡は大きくため息をついた。
「ごめん父さん。そもそも試験に勝ち負けとかないから……」
「何? 勝負事の話じゃなかったのか!?」
傑とのやり取りは勘違いによるものだったが、インパクトがあったので、巡は覚えていたのである。
★
(相手視点から見た、嫌がること……)
巡はふと顔をあげると、真っ直ぐに前を見た。そこには少しほほ笑む遥の顔があったが、よく見ると、額が少し汗ばんでいる様子が見てとれた。
(そうか、遥さんも決して余裕ってわけじゃないんだ……)
そして巡は考えてみた。もし自分が遥の立場だったら、一番嫌がる状況は何であるか、と。そうして持ってきた牌を並べながら、現在の状況をもう一度考えてみた。
『南一局 一本場』 親:『遥』 ドラ:『②』 リーチ棒:一本
【現在の点数】
巡:10,000 良子:29,000 遥:36,000 麻雀部員:24,000
(私が遥さんの立場だったら、今一番困るのは、二番手の良子に追いつかれること。何よりせっかく取った点数を、奪われることが一番困る……はず)
【巡の手牌】
七①②②③⑨145東西白中②
大きな失点の後だ。やむを得ないかもしれないが、巡の配牌は決してよいものではなかった。ただ一つだけ救いもある。手牌にドラが三つあることだ。
(この手、普通に進めていけばあがれるかもしれない……けど!)
巡は一瞬迷ったが、やがて意を決したかのように、顔を上げた。
その局の中盤に差し掛かった九順目。遥は自身の手牌を見ると、薄く微笑んでいた。
【遥の手牌】
三四六六②④⑤⑥346789
(どうやら、不運の波は越えたようですね……)
遥の手牌は良形のイーシャンテンだった。リーチをかけてドラが絡めば、タンヤオとピンフがついて、マンガンまで届く手である。
(これをあがれば私達の勝ちはほぼ決まる。ドラの②が絡むのが理想ではありますが、ここは確実にアガリにいくべきですね)
そうして遥が選んだ捨て牌は②だった。彼女にしてみれば、誰かがリーチをかける前に捨てておこうと思ったのだろう。
「……カン!!」
しかしその時、巡が思ってもみなかった宣言をする。遥は突然のことに、動揺を抑えきれない。
(ドラを明カン? 一体何を……)
巡の意図を考えようとした遥だったが、残念ながらその時間は与えられなかった。遥は有効牌を引いてこれなかったので、一番不要と思われた9を河へと捨てる。
「ポン!」
すかさず宣言される巡のポン。いきなりの急展開に周囲は再びザワめき始めた。
【巡の手牌】 新ドラ:『発』
??????? 999②②②②
(バカな。こんな……)
遥は動揺を抑えきれなかった。巡の形は遥から見れば先ほどの形。役はトイトイ以外ほぼ考えられないが、ハネマンが確定している手だ。しかも厄介なことに、トイトイの待ち牌は非常に読みづらいのだ。
そして十二順目、有効牌を引き入れた遥は、一つの選択肢を迫られていた。
【遥の手牌】
三四六六④⑤⑥334678五
(リーチはさすがに……出来ませんね)
③を引いてくれば三色に移行できるということもあるが、一番問題なのは、巡の危険牌を引いてきた時である。
万が一巡に振り込んでしまえば、先ほど手にいれたアドバンテージが一瞬にして崩壊してしまう。
(幸い役は既にあります。ここはタンヤオピンフで充分……)
幸い3は巡の現物(既に捨ててある牌のこと)だったので、3を切って25待ちのテンパイを選択する。「ツモあがれば問題ない」。そう考えた遥だったが、次順、頭から一気に血の気が引く。
【遥の手牌】
三四五六六④⑤⑥34678白
(なんてこと。よりよってここで、ションパイの「白」を引くなんて……)
悩む遥の額から、一筋の汗が流れ落ちる。巡の手をトイトイと考えた場合、既にドラが四つあるので、ハネマン確定である。この手に振り込んでしまえば、せっかく奪ったリードを一気に取り戻されかねない。
(さすがにここで、勝負は出来ない……)
遥が選択したのは、『降りる』ことだった。とりあえず先ほど通っている3を捨て牌として選択する。テンパイは崩れてしまうが、とりあえず振り込んでしまう危険性は回避できるだろう。
ツモ牌が全てなくなり、結果その局は流局となった。結局手を戻せなかった遥はノーテンを宣言したが、遥の注目は巡の手牌へと注がれていた。
しかし、巡が発したのは意外な一言だった。
「……ノーテン」
「なっ!?」
驚いた遥は思わず身を乗り出してしまった。終盤ツモ切りを繰り返していたこともあり、巡の手はテンパイ以外考えられなかったからだ。
「そんな! その形でノーテンということがありますか!?」
「ええ、だって私、アガる気なんてありませんでしたから」
巡の言葉に、遥は絶句するしかなかった。確かにドラのカンは、単なる脅しだということは充分考えられる。しかしそれだと、終盤の危険牌連打に説明がつかないのだ。
「では何故あなたは終盤、周囲の現物を切らなかったのですか? そんな手に意地を張って、フリコミでもしたら、目も当てられないでしょう!?」
「はい、そうですけど……それだと遥さんが引いてくれないと思って。私の目的は初めから、遥さんの親を『流す』ことだったから……」
巡はバツが悪そうに笑っていたが、これはそんな単純な話ではなかった。巡が行った行為は「ブラフ」といって、上級者同士でたまに見られる高度な駆け引きだ。それをこんな素人同然の人物が行ったことに、遥は納得がいかなかった。
「考えてみたんです。今遥さんの立場で一番困ることってなんだろう……って。たぶん『高い手に振り込む』ことなんじゃないかって思ったんです」
遥は驚きを隠しきれなかったが、同時に自分がやってはいけないミスを犯してしまったことに気づいていた。何故なら、あのままリーチをかけてあがっていれば、九分九厘、この勝負は自分達の勝利に終わっていたはずだったからだ。
案の定というか、次の局、遥に流れは訪れなかった。南二局はそのまま流局したが、続く南三局、不意にかけた巡のリーチを、彼女は三巡後に、引き上がる。
結果、全員の得点は、かなり接近した状態へと差し迫っていた。
【現在の点数】
巡:18,000 良子:28,000 遥:33,000 麻雀部員:21,000
『オーラス 南四局』 親:『麻雀部員』 ドラ:『4』
(まさかここまで切迫した内容になるとは……思いませんでした)
遥は深呼吸した後、ゆっくりと目を開いた。現状遥はトップをキープしているものの、二位の良子とはわずか五千点差だ。直撃なら二千九百、ツモなら四千で届く計算になる。
(結局この事態は、私の弱さが招いたということですね……)
なんにしても悔やまれるのはあの南一局だ。あそこで降りていなければ……は結果論ではあるが、弱気になってしまった自分に責任があることを、遥は重々承知していた。
(ならば私はもう逃げない。最後のこの一局、堂々とあがって決着をつけてみせる!!)
【良子の手牌】
三五八八②③④⑥⑥⑥22南2
「リーチ!」
先手を打ったのは、二位の良子だった。現在は七巡目だが、リーチを宣言すると、不要牌である「南」をクルッと横に向けた。
【遥の手牌】
一二三③④⑤⑧⑧⑨77西西7
更にその二巡後、遥もテンパイ状態へとたどり着いていた。面倒なことにリーチをかけなければ、アガれない形である。
(一応ペンチャン待ちorシャボ待ちへの選択肢がありますが……)
結局遥は⑧と西のシャボ待ちを選んだようだ。『西』がまだ見えていないから、誰も持っていなければ出やすいと思われたことと、打ち出される⑨が良子の捨て牌にあったことが、理由としてあげられる。
「リーチ!」
良子と同様、不要牌の⑨を横向けると、遥もリーチを宣言した。最終戦、場は一位と二位の直接対決の様相を見せていた。
【巡の手牌】
九九①③③⑦⑦116東西西6
更に二巡後、巡もまたテンパイへと辿り着いていた。自分の手牌を見ながら、うーん、と唸る。
(どうしよう……もしかしたら良子の邪魔をしない方がいいのかもしれないけど……)
巡はそこで、自分の点棒を確認してみた。持ち点が一万八千点の自分は、よほどいい手であがらない限り、トップにはなれないだろう。無駄にアガって勝利のチャンスをつぶすよりは、傍観者の道を選んだ方が賢明なのは間違いない。
(とりあえずいらない「東」を……)
巡が不要牌の「東」を手にした時、不意に何かに背中を押された気がした。そして気づくと巡はこう叫んでいたのである。
「……リーチ!!」
最終的な巡の決断は、リーチをかけることだった。一瞬巡の捨て牌に全員の視線が集中したが、「東」が誰のアガリ牌でもなかったため、勝負は続行される。
現在の状況を見た麻雀部員は無理と判断したのか、場に捨てられている安全牌を切ることを選択したようだ。
ちなみに彼女は、巡のリーチによってテンパイを崩したのだが、降りていなければ次の牌でツモあがりしていたはずだった。
誰にも知られることはなかったが、とんだ運命の悪戯である。
(高岡さんがリーチを……)
遥は巡のリーチを受けて、笑っていた。彼女が何を考えているか、遥はもうどうでもよかったのだが、純粋な勝負になった今の状態に、楽しさすら覚えていたのである。
持ってきた自分のツモ牌を見た遥は、スッと目を細める。自分のアガリ牌でないことを確認すると、ゆっくりとその場に置いた。そうして打ち出された牌は「四」だった。
「……ロン!」
一瞬の静寂の後、その場に良子の声がハッキリと響き渡る。それは、長かった戦いの決着を告げるものだった。
プチ麻雀講座
・アガリに至る前の手牌の呼び方について
アガリの一歩手前の状態を『テンパイ』と呼ぶことは以前記述したけど、テンパイに至る前の状態にも、それぞれ呼び名があるよ! テンパイ一つ前の状態を『イーシャンテン』、二つ前の状態を『リャンシャンテン』と呼ぶんだ。絶対覚えなきゃいけないってほどでもないけど、覚えておくと、状況を理解はしやすいかもね!
・最終的な待ち牌の形について
『テンパイ』の形は本当に色々なものがあるんだけど、最終的な待ち形は全部で五種類に分類されるよ!
タンキ待ち:②③④⑦⑧⑨555789北 待ち牌「北」
リャンメン待ち:②③ ⑦⑧⑨555789北北 待ち牌「①」「④」
カンチャン待ち:②④ ⑦⑧⑨555789北北 待ち牌「③」
ペンチャン待ち:②③④ ⑧⑨555789北北 待ち牌「⑦」
シャボ待ち:②③④⑦⑧⑨55 789北北 待ち牌「5」「北」
一番アガれる可能性が高い、有利な待ちは「リャンメン」待ちだよ! 牌の数を数えてみるとわかるんだけど、アガリ牌は合計八枚あることになるね。最終的な待ち牌は、可能であれば、「リャンメン」で待つようにしよう!
・「タンヤオ」について
麻雀の基本と言われる役の一つだよ! 揃え方は簡単で、数牌の2~8だけで構成されるようにすればいいんだ。それ以外の牌は「19字牌」という風に呼ばれるんだけど、「19字牌」は揃えにくい牌なので、それ以外で構成されるタンヤオはすごく作りやすい役なんだ!
とりあえず作る役に困った時は狙ってみるといいよ! ちなみに鳴いてもOKな場合とNGな場合があるから、対局前に確認しておこうね!
・「ピンフ」について
タンヤオと同様、麻雀の基本と言われる役の一つだよ! 揃え方自体は簡単で、アタマ以外の牌を全て並び数字で作ればいいんだ!(同じ牌が三つある状態だとダメ)。ただ、待ち形とアタマに注意点があるので、一つずつ説明するね!
1.待ち形が「リャンメン待ち」であること
2.アタマが三つ揃えて「飜牌にならない」ものであること。
この二点が少しだけ難しいけど、すごく狙い安い上にアガリやすい役なので、積極的に狙っていくといいよ! ちなみに鳴いた場合は無効になるから、そこだけは注意してね!
・「三色(同順)」について
マンズ、ピンズ、ソーズの三種類の牌で、同じ並びを作る役のことを言うよ! 例えば下のような形だね!
二三四②③④234888北北
基本的には役が二つつくんだけど、鳴いて作った場合は一つに役が下がっちゃうんだ。ピンフと同時に作りやすいので、点が高い&アガリやすい手としてすごくオススメの役なんだ。
・「リーチ」についての補足
以前、リーチは「鳴いていないテンパイの状態で行える役」と説明したんだけど、リーチ実行する時には、自分の点棒を千点場に提供する必要があるよ! これはアガることが出来れば戻ってくるんだけど、アガれなかった場合は、他の人に取られちゃうんだ! ちなみに本編では「リーチをかけてあがればリーチ棒を取得出来る」ルールが採用されているので、巡のリーチ棒は一旦場に残ってしまっているよ(その後、リーチをかけてあがったので回収はしている)
リーチ棒が場に溜まってくると、それだけでも大きな収入になりえるから、リーチをかけるタイミングはよく検討するようにしようね!
・「カン」についての補足
以前、同じ牌を三つ持っていて、捨てられた時に行えるものと説明していたけど、それをカンはカンでも「明カン」って言って、鳴きに該当されるんだ。他にも「暗カン」と「加カン」があって、それぞれ次のような特徴があるよ!
「暗カン」:同じ牌を四つ持っている時に実行可能。鳴き扱いされないため、暗カン後にリーチすることが可能。
「明カン」:同じ牌を三つ持っている&誰かが捨てた際に実行可能。扱いはポンと全く同じ。
「加カン」:ポンしている牌を引いてきた時に実行可能。扱いはポンと全く同じ。
これだけ見ると、カンって何のためにするのかよくわからないと思うんだけど、カンを実行することで、場にドラが一つ増えるんだ!(いずれのカンも実行すると手牌が一つ足りなくなるので、ツモとは別に牌を一つ引いてこれる)
全員にチャンスがあるので、メリットにもデメリットにもなりえるけど、カンすることで、逆転のチャンスが生まれるよ! 一発逆転に賭けたい時に実行しよう!
・「~本場」について
親が上がると継続されることは以前説明したけど、その際に場に百点棒が置かれるんだ。これを「積み棒」って言って、置かれた本数*三百点があがった点数に加算されるようになるよ! 一本だけだと微々たるものだけど、数本溜まると千点単位で得点が変わってるから、今場に積み棒がいくつあるかは確認するようにしよう!
・「降り」について
誰かにリーチをかけられると、何を捨てればよいか困っちゃうんだよね! 自分もアガリに向かうなら不要牌を切るしかないんだけど、いっそのことアガるのを諦めて、その人の捨てている牌(現物)を切っていく方法もあるんだ。これを「降りる」って言って、勝ち目がないと思われる時に失点を防ぐための方法だよ! 「引く」と判断した時の行動が「降り」というわけだね。