第五話 ~揺れる想い~
四月九日火曜日の放課後。誰もいなくなった教室に、巡達は集められていた。
「さて、新しい麻雀部を設立して、本日が初めての部活動となるわけだが。まずは、二人が私の指導をどれだけ理解出来ているか、確認するとしよう」
(指導って、まだ何も教わってないんだけどな……)
巡の不満は当たり前のものだった。黄泉が新麻雀部結成を宣言したあの日、巡達は一冊ずつ麻雀入門用の本を渡されていた。それを見て「ルールを覚えてこい」とだけ言われていたのだ。
「どうした巡。何やら不満そうだが?」
「えっと、私達、各自で麻雀のルールを覚えてくるように言われただけですよ」
良子も思いは同じだったらしい。ザックリと本は読んでは見たものの、実際にやってみないと実感が沸かないというのが本音だった。
「うむ。人から教わった知識など実戦では何の役にも立たん。本来であれば、ひたすら実戦経験を重ね、徐々に腕を上げていくものだ」
黄泉は腕を組んだまま、ウンウンと頷いていた。やがて組んでいた腕を解くと、ゆっくりと人差し指を巡へと突きつける。
「だが今回は、時間がない。決戦はすぐそこに迫っている。最低限ルールくらいは把握しておかないと、戦うことすら出来んからな」
「時間がない……って。その決戦というのは、いつなんですか?」
「明日だ」
黄泉のこれまた唐突な宣言に、巡は頭から血が引く思いだった。どうやらそれは良子も同じだったらしい。両手で口元を抑えて、驚いている。
「唐突過ぎますよ! 勝てるわけないじゃないですか!」
「勝てる。恐らく楽勝だろう」
巡の当然の反論に、自信満々の黄泉。彼女のそういった態度はいつも通りだったこともあり、巡は疑いの眼差しを向ける。
「どうして、そんなにキッパリ言い切れるんですか……」
「あ、でもきっと、私たちが勝つための、何か作戦が……」
良子が何か思いついた、とばかりに両手を打った。だが、黄泉はため息をつきながら首を横に振る。
「作戦などあるか。真正面からぶつかるだけだ。心配せずとも、あんな奴らを倒すことなど、赤子の手を捻るよりたやすいぞ」
「わ……私達、思いっきり素人なんですけど……」
「少なくとも……まともにやって、勝てる可能性は低いと思います」
巡の現状発言と、良子の全くの正論。その二つを受けても、黄泉は全く怯む様子を見せない。
「やれやれ情けない奴らだ。麻雀に限ってのことではないが、勝負事とは自信を持って挑まねば、勝てるものも、勝てなくなってしまうのだぞ」
黄泉は近くにあった椅子を引くと、ドカッと乱暴に腰かけた。机に両腕を乗せて頬杖をつくと、そのまま巡に視線を向ける。
「まあいい。それで、ちゃんとルールは覚えてきたのか?」
「え、ええと……、いくつかの役とリーチくらいは……」
「私は、牌の揃え方くらい……」
「何だと!? 三日も与えたではないか。一体お前達は、今まで何をやっていたのだ!?」
黄泉は目を見開くと、驚いた様子で席を立った。反射的に巡と良子は、同時に一歩その場から後ずさる。
(だって、ちゃんと教えてくれるものだとばかり……ぶっつけ本番だなんて、思ってなかったよ)
「やむをえん。とにかく明日までに、揃え方とリーチだけは完璧に覚えてこい。話はそれからだ!」
黄泉は少し怒った様子で、教室の出口に向かって歩いていくと、そのまま扉に手をかけた。その様子を見た巡が、慌てて黄泉を呼び止める。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「何だ? 私は忙しいのだ」
巡の呼び声を受けて、黄泉はゆっくりと振り返った。そんな黄泉の元に、巡は歩み寄る。
「無責任じゃないですか! 第一、大見得切ったのは先生でしょう! それなのに、何のアドバイスもくれず、ただ勝て、だなんて……」
「人聞きの悪いことを言うな。アドバイスなら、これからしようと思っていたところだ」
(思いっきり帰ろうとしてたくせに……)
巡は心の中で、絶対嘘だと確信していた。まあ、こういったその場凌ぎの対応は、黄泉にとって珍しくなかったため、とりあえずため息だけついておく。
「最初に、お前達に問おう。麻雀で勝つために、必要なことは何だ?」
「ええと……、役を覚えるとか、上手に牌を集めるとか……」
「上がり点よりもスピードが大事とか、聞いたことがあります」
黄泉の問いに、巡と良子は思い思いの言葉を口にした。だが、黄泉はあからさまにガッカリとした様子でため息をつく。
「0点だな。二人とも、話にならん」
黄泉はツカツカと黒板の前まで歩いていくと、チョークを一本手に取り、黒板に大きく『運』と記述した。
「麻雀とは、運のゲームだ。ハッキリ言ってしまえば、運のいい者が勝つ!」
(それって、誰が勝つかわからないってことじゃ……)
確かに言ってることに間違いはないだろう。しかしそれは、実力をも否定することになり、何のアドバイスにもなってはいない。
やれやれと頭を振る巡に対し、黄泉は真剣な眼差しを向けた。
「ちなみに運とは、『どう活かすか』で、結果も変わってくるのだが……巡。私達と最初に打った時のことを覚えているか?」
「え……あ、はい」
いきなり話を振られた巡は驚いたが、とりあえず返事だけしておく。同時に巡は、初めて黄泉と会った日のことを思い起こしていた。
「点数は大差をつけられていたとはいえ、お前は私達からアガリを取ったはずだ。あの時、何を考えていた?」
「ええと……、それは……」
「ごにょごにょ言うな! ハッキリ言わんか!!」
突然の大声に、巡は両目を瞑ってしまう。少し泣きそうになりながらも、何とか浮かんだ言葉を並べ立てた。
「い……いけると思ったからです!」
巡は怒られると思っていたが、意外なことに、黄泉は何も言ってこなかった。それどころか、ゆっくりと頷くと、巡の言葉を肯定する。
「そうだ。詰まるとこ麻雀とは、行くか引くかだけのゲームだ。勝てる時は悪い手でも勝負に行き、負けると確信した時は、どんなにいい手であろうと、あっさり引く。この決断を出来るものが、最終的に勝利を掴む」
「で、でも、その時、勝てるかなんて、そうそう判断出来るものじゃ……」
そのツッコミは良子によるものだった。黄泉の言ってることが正しいとしても、『結果論』とも言えるだろう。ぶっちゃけアガれるかどうかなんて、やってみなければわからないのだ。
「問題はそこだ。だが、そいつを判断するための材料が一つある。ズバリ、『流れ』だ」
「流れ……ですか?」
ピンと来ない巡は、漠然と黄泉の発言を復唱する。
「流れとは当然、目に見えるものではない。見えないものを見るには、感じ取るしかない。そのために必要なものは、『感性』と『集中力』だ」
「カンと集中力ってことですか?」
良子の質問に、黄泉は力強く頷いた。
「そうだ。集中力は対局中に研ぎ澄ませていくもの。対して、感性とはお前達が元々備えている能力の一つだな」
「私達が?」
「まあ、その辺は言葉で伝わるものではないからな。実戦の中で徐々に意識していくといいだろう」
黄泉は今度こそ話は終わりだ、とばかりに、教室の出口に向かって歩いていった。最後に一度だけ振り返ると、キッパリと言い放つ。
「とにかく今から作戦についてウダウダ言ってても始まらん。とりあえず一通りのルールと役だけは把握しておけ。以上だ!」
(こんなギリギリになったのは、元はといえば、黄泉さんのせいなんだけどな……)
巡はそう思ったが、既に黄泉はその場から姿を消していた。
黄泉が出て行ってから一時間が経過し、現在の時刻は十八時半。窓の外を見ると、空はすっかりオレンジ色に染まっていた。
「うーん、日も暮れてきたし、そろそろ帰ろうか」
「そうだね。あまり遅くなると、学校閉まっちゃうし」
残された巡と良子は、麻雀本を片手に勉強をしていたのだが、いかんせん不安は募るばかりである。
(とりあえず簡単な役と揃え方は覚えたけれど。こんな状態で、本当に勝てるのかなぁ……)
巡が大きくため息をついた時、教室の前方の扉から、コンコンとノックする音が聞こえてきた。
「巡、誰か来たよ。先生が戻ってきたのかな?」
(あの人なら、ノックなんてしないと思うけど……)
巡のそれは、もはや予想というよりは確信だった。とりあえず巡は来訪者に対して、返事することにする。
「開いてますよ。どうぞ!」
「失礼致します」
ゆっくりと扉を開けて入ってきたのは、見知らぬ女生徒だった。長い髪は、くせ毛のためか、少しウェーブかかっている。両手を身体の前で組んだまま、細い目で巡達の方を見ていた。
「えっと、どなたでしょう……?」
巡の問いを受け、その生徒はゆっくりと口を開く。
「私の名は、渡瀬遥。麻雀部の主将をつとめております」
(主将? じゃあこの人が現麻雀部の……)
遥の名乗りを受け、巡はその人物が誰なのかを理解した。つまりこの人が、明日の巡達の対戦相手になるのである。
「あなた方二人が、新しく立ち上げたという麻雀部の部員で、間違いはありませんか?」
「え、ええと。なんというか……」
「そうですねぇ。なんだか、そういうことになっちゃったみたいです」
遥の問いに、巡と良子は曖昧な返答を返す。今だに二人は麻雀部という自覚が乏しかったためだ。
「なんとも曖昧な返答ですね。まあこの際、それはよいでしょう。まず、お二人のお名前を教えていただけますか?」
「わ、私は、高岡 巡と言います」
「牧村 良子ですー」
巡と良子の名乗りを受けて、遥は一瞬躊躇ったようだったが、すぐに意を決したように話し始める。
「高岡さんに牧村さんですね。単刀直入に申し上げます。明日行われる麻雀での勝負、参加を辞退してはいただけませんか?」
「ど、どういうことですか?」
巡は遥の言葉の意味がわからなかった。巡自身、勝負のことは先ほど黄泉から聞いたばかりだったが、一応彼女なりに覚悟をしていたからだ。
「私達は今、大会に向けて真剣に準備を進めています。そんな中、ワケのわからないことで、かき回されたくはないのです」
「ワケのわからないこと、ですか」
良子の呟きを受けて、遥はゆっくりと頷いた。出会ってから今までの間、全く表情が変化しないことから、感情の変化に乏しい人物なのかもしれない。
「はい。ハッキリと申し上げれば、迷惑、です。それに、麻雀部に入りたいのであれば、私達の部に入部すればよいではありませんか」
(確かに、その通りなんだけど……それだとあの人、美乃理ちゃんのこと、教えてくれないだろうし……)
どう答えるべきか迷う巡だったが、それより早く良子が反応していた。
「渡瀬先輩は、麻雀部同士が争うことは、反対なんですよね? じゃあそもそも、どうして勝負をすることになっちゃったんですか?」
良子の質問はもっともではあったが、そこで初めて遥が少しだけ顔をしかめる。
「私達が知らない間に、既に話は決まっていました。どうやら私達の先生が、勝手に受けてしまったようです」
(黄泉さんのことだからたぶん、無茶したんだろうなぁ……)
巡はその時の様子が、想像できるようだった。大方黄泉は、難癖と勢いだけで、勝負の約束をこぎつけてきたのだろう。
「あなた方も恐らく、あの問題教師の勢いに乗せられただけなのでしょう。だいいち、勝負しても結果も見えていますし、やるだけ時間の無駄というものです」
「無駄……って。それは少し言い過ぎではないですか?」
遥の失礼な物言いに、少しカチンときた良子が思わず反論する。だが、遥は全く気にする様子を見せない。
「事実を申しているまでです。私達、麻雀部はこの学校内において、麻雀が出来る者に声をかけ、部員を集めています。逆に言えば、声がかからなかった生徒は、素人ばかりということです。そもそもあなた方は、私達と麻雀で勝負をして、勝てるとお思いですか?」
「いえ……、自信は、ありません、けど……」
淡々とした口調ではあったが、遥の言葉は正論だった。当然巡は、自信のない返事しか出来ない。
「虚勢を張らないところは、正しいと思います。それでは、明日の勝負、辞退していただけるということで、よろしいのですね?」
「えっと、それは……。すみません……できません」
尻すぼみな巡の発言だったが、遥は聞き逃さなかったらしい。ピクリと眉を寄せると、そのまま問いかけてくる。
「出来ない……そう、申しましたか? それは、何故ですか?」
巡は拳をギュッと握ると、勢いよく顔を上げた。自信はなくとも、ハッキリと決めた覚悟が、彼女の体を支えていたのだ。
「私、どうしても、知りたいことがあるんです。そして、それを知るためには、勝たなきゃいけないんです」
「私には、あなたが何を申しているのか、理解出来ません。もう一度だけ伺います。明日の勝負、辞退してはいただけないのですね?」
「……はい」
巡の答えに、遥は小さくため息をついた。説得が無理と判断したのか、遥は巡達に背を向けると、出口の扉に手をかける。
「……そうですか。残念です。まあ、いいでしょう。やれば私達が勝利する。ただ、それだけのことです」
遥はそう言い残して、教室を出ていった。対象がその場にいなくなったことで、突如良子の怒りが爆発する。
「なにあれ! すごくやな感じ! 麻雀なんて運のゲームだし。私達にだって、勝てるチャンスはきっとあるよ!」
「ああ、そうそう。一つ伝え忘れていることがありました」
「キャッ!?」
見ると、全く音を立てずに、遥は教室に戻ってきていた。相変わらずの冷めた視線で、ゆっくりと口を開く。
「一般的に麻雀は運のゲームと思われていますが、それは大きな間違いです。明日、そのことを証明して差し上げましょう。それでは、失礼致します」
「き……聞かれてた、のかな?」
「う……ん。でも、勝手言ってるのは私達だし、ね」
悪口が聞こえてしまったのかと、良子は思わず小声で呟いてしまった。巡も同じ思いはあるにはあったが、基本的に言ってることは正論だったので、怒りまでは沸いてはこなかった。
「何言ってるの! あんなえらそうにされて、黙ってることないよ! あの人も、本当は自信ないからあんなこと言い出したんだよ!!」
だが良子は収まらないようだ。そーっと廊下に人がいないことを確認した上で、不満を思い切りぶちまける。
「それは……そうかもしれないんだけど、ね」
(でももし私達が勝ったら、あの人達は……どうなるんだろう? 私の我侭に巻き込まれて……本当にこれで……よかったのかな?)
巡はふと、自分の決心が揺らいだ気がした。
『美乃理ともう一度話がしたい』
巡の想いはそれだけだったのだが、そのためには、他の人の想いを無にする必要があることに気づいてしまったからだ。
(一度は決心したはずなのに、今頃になって決心が揺らぐのは何故だろう? 確かに私は、真実を知りたいと思う。だけどそれは、他の人達を巻き込んでまで、通してもいい我侭なんだろうか?)
こうして煮え切らない気持ちのまま、巡達は決戦の日を迎えるのだった。
プチ麻雀講座
・麻雀牌と数について
麻雀牌は大きく分けると『数牌』と『字牌』の二種類に分けられるよ! 更に『数牌』は「マンズ」「ピンズ」「ソーズ」の三種類に分かれるんだけど、どの牌も同じ物は四つずつ存在するんだ。麻雀を打つ時には、自分の必要な牌が全て場に捨てられていないか、ちゃんと確認しておく必要があるよ!
・役について
麻雀は基本、「手に役がない」と、アガることが出来ないんだ。これは鳴いた場合も同様で、単にアガリ形を作るだけでは、点数にならないからなんだ! ちなみに以前記述した「リーチ」は役に数えられるので、鳴かずにリーチすれば、絶対アガれる状態(フリテンを除く)ってことになるね!
とりあえず初心者は役のことは一旦忘れて、リーチをかけれる状態に持っていくことを考えよう!
・鳴き(副露)について
以前記述した「ポン」も鳴きの一つに数えられるよ! その他にも鳴きには「チー」(必要な並び数字の牌をもらう。左隣りからのみ可能)と、「カン」(同じ牌を三つ持っている状態で最後の一つをもらうこと。ポンと同様どこからでもOK)が存在するんだ。鳴いた牌はその形で確定する(基本的には倒した状態で右側に並べる)んだけど、「リーチ」が出来なくなる&一部の役が下がっちゃうんだ。
これが「初心者はうかつに鳴かない方がいい」と言われている理由だね!
・フリテンについて
麻雀の基本ルールとして、「自分が一度捨てた牌はロンあがり出来ない」というものがあるよ! 例えばリーチをかけている時、もし待ち牌が自分の捨てていた牌(リーチ後に他の人が捨てたアガリ牌を見逃してしまった場合も含む)だった場合、ツモあがりしか出来ないんだ!
これを「フリテン」って言って、麻雀を打つ時には常に気をつけておく必要があるよ! ちなみにフリテン状態でのリーチ自体が認められないルールもあるから、気をつけてね!
・ドラについて
麻雀には持ってるだけであがった時の点数が高くなる牌が存在するよ! これを「ドラ」と言って、その局が始まった時に、対象の牌が決定されるんだ。よく混同されるけど、ドラは「役」ではないので、ドラだけであがることは出来ないんだ。
あくまであがった時の「ボーナス」のようなものと考えておこうね!