第三話 ~私は、ここに宣言する!~
今朝の黄泉達との麻雀を終えた巡は、なんとか学校の校舎内へと辿り着いていた。
「うー、眠い。結局昨日、帰って眠ったの、明け方だったものなぁ……」
眠い目を擦りながら、下駄箱のところまでやってきた時、聞き覚えのある声で呼びかけられる。
「あ、巡! 大丈夫? 何かすごく辛そうだけど……」
それは一年の時のクラスメイトの牧村良子だった。
大きな丸い目に、セミロングの髪を肩口で二つに分けたお下げが小さく揺れる。巡がクラスで最も仲がよかった親友と言える相手である。
「あ、良子。おはよう。大丈夫、ちょっと寝不足で眠いだけだから……」
「巡、朝弱いもんね……」
良子は巡に心配そうな眼差しを向けてくれた。本当であれば大丈夫と答えたかったが、眠気の酷い巡にそんな余力は存在しなかった。
(朝弱いというか、今日はほとんど寝てなかったから。さすがに朝方まで麻雀してました、とは言えないけれど)
巻き込まれただけの巡は、あまりの理不尽さにやりきれない想いだった。不意に漏らすため息を見た良子が、別の話題を振ってくる。
「また一緒のクラスになれてよかったね」
「あ、うん。そうだね。それにしても、私達も今日から高校二年生かぁ」
良子の声かけに、巡は思い出したように顔を上げた。部活にも加入していない巡は一年間、基本的に自由に過ごしてきたのだが、進路の問題もあり、今年はそういうわけにもいかないだろう。
「何だか実感沸かないね。三年生みたいに、受験の準備しないといけないわけでもないもんね」
そんな巡の想いを察したのか、良子がフォローを入れてくれた。改めて現実を考えると、少し憂鬱になってしまう。
「だからといって、一年間遊びっぱなしってわけにもいかないだろうけど。出来れば勉強の話はしたくないなぁ。休み前に、先生からもっと勉強するように、釘刺されたところだし」
勉強が苦手な巡は、テストや進路の話が嫌いだった。担任の先生から、「終業式前にもっと勉強しておかないと、進路相談の時に困りますよ」と注意を受けていたからだ。
かといってそれで、勉強に打ち込めるほど真面目な性格ではなかった。
「あ、先生といえばね。巡、知ってる? 今学期から、新しい先生が来るらしいよ」
良子はちょっとしたニュースとばかりに話を切り出した。その話が初耳だった巡は、興味を惹かれたようだ。
「そうなの? でも、年度が変われば、先生も変わるだろうし、そんなに珍しいことでもないんじゃない?」
「それがね。特別に招待されたとかで、ちょっと普通の先生とは違うみたい」
「特別? どういうこと?」
「私もあまり詳しくないから……でも、もしかしたら、その辺の説明も、今日してくれるかもしれないよ」
じきに始業式が始まるので、その時先生の紹介もしてくれるだろう。良子の話が真実であれば、新任の先生が改めて挨拶をしてくれるはずだ。
「あ、チャイム鳴っちゃった。急がなきゃ」
学校内に鳴り響くチャイム。時間に余裕がないことを悟った巡と良子は、一瞬顔を見合わせた後、体育館へと走り出した。
「よかった。まだ始まってない」
大勢の生徒に紛れ込んだ巡は、大きく息を吐いた。周囲のざわめき具合から判断するに、式はまだ始まっていないらしい。
「いきなり遅刻して、怒られたくないものね」
『……で、あるからして、今年度も勉強に、運動にと、精一杯頑張っていただきたい』
「相変わらず、校長先生の話は長いね……」
始業式は校長先生からの挨拶から始まった。しかし十分ほど経過すると、さすがに飽きてきた巡は良子に向けてぼやいた。
「あ、でも。終わるみたいだよ」
良子の示唆に釣られ、巡は台上に視線を向ける。ちょうど校長先生と入れ替わりに、先ほどの司会の先生がマイクを手に取っているところだった。
『続きまして、本日より本校に勤めていただきます、新しい先生を紹介しようと思っていたのですが。所用にて少し遅れるらしく、その間に春の行事の案内を……』
「ま……間に合ったぁ!!」
体育館の入口から、若い女性の叫び声が響き渡る。突然のことに全校生徒の視線が後方へと集まった。
「すぐ上がるから、悪いけど……マイクそのまま繋いでおいて!!」
『え、ええー……、新任の先生が到着されたようですので、もう少々お待ちください……』
やってきた女の人が、紹介予定だった新任の先生らしい。少し息を切らせながら台に進む姿を確認した巡は、頬をヒクつかせた。
「あ、あの人なのかな? 新しい先生……って、巡。どうしたの? 突然蹲っちゃって」
「な、なんでもない……」
巡がその場で蹲った理由は至極単純だった。自分の存在を相手に気づかれたくなかったからだ。
(えー、何かあの先生。すごく、見覚えあるような……。というか、ついさっきまで、会ってたような……)
色々な謎が解けると同時に、巡の心境は複雑だった。同時にあのめちゃくちゃな人が、これから一体何をやらかすのか……。不安で仕方なかったのである。
「あー、あー、テステス。ただいま、マイクのテスト中」
マイクを手で叩くボンボンという音と、少しばかりのハウリングが館内に響き渡る。堂々と台上でマイクを手にした人物――それは巡が昨夜麻雀を打っていた相手『黄泉』だった。
「みんな、申し訳ない! 明け方まで遊んでて、思いっきり寝坊してしまった!!」
案の定、いきなり飛び出した問題発言に、館内の生徒達はズッコケる思いだった。
「あ、あんなこと言ってるけど、だ、大丈夫なのかな? 校長先生、青筋浮かべて震えてるみたいだけど! あ、何だかこっちでも、巡がプルプルしてる!!」
一部の生徒達からは笑い声があがっていたのだが、巡はとても笑う気にはなれなかった。
(うわぁ……、めちゃくちゃだよ。あの人……。みんなにはすごくウケてるみたいだけど、後で絶対怒られるよ)
それは、自分が巻き込まれた側ということもあったが、一晩とはいえ、黄泉の傍若無人ぶりはよくわかっていたので、これで済むはずがないという確信があったのである。
「私の名は、平田 黄泉! この学校の救世主となるものである!!」
救世主――黄泉は自らをそう表現した。あまりにハッキリとした発言に、周囲はザワめきたったが、当の本人は素知らぬ顔をしている。
「諸君らも、知ってる者は、知っていよう。この学校が現在、経営難であえいでいることを。経営難とはあれだ。ようするに……すごく貧乏ということだ!!」
(補足の仕方……子供か、あんたは!)
巡は頭の中でツッコミを入れずにはいられなかった。彼女がツッコミ気質ということもあったが、館内で唯一黄泉のことを知っている自覚もあって、保護者のような気分にさせられていたのだ。
「だが、安心していい。何故なら、この国にはそういった学校を救う制度が存在する」
黄泉はそこで、わざとらしく言葉を切った。大きく深呼吸すると、語気を強めた。
「これも、もしかしたら知っている者がいるかもしれん。そう! 『文武促進制度』だ!!」
「文武……促進? 良子、知ってる?」
聞きなれない言葉に、巡は隣の良子に助けを求めた。『知りたがり』性質の良子は、世間の噂や話題に敏感だったからである。
「えっと、確か……国が優秀な生徒のために、支援金を送る制度だったと思うよ」
良子は巡にどういったものか、説明しようとしたのだが、それより早く、檀上の黄泉が話を続けた。
「野球、サッカー等、オリンピックで行われるメジャーなスポーツは勿論、将棋や囲碁といった、根暗野郎が行う競技すら対象になる、奇特な制度である!!」
(あの人、将棋や囲碁に恨みでもあるのかな……)
言ってることは間違いないのだろうが、言い方があまりに極端である。どうせ止めることは出来ないので、巡はもう開き直ることに決めていた。
「この制度が発足された年、国は確かに賑わった。しかし! 金で優秀な生徒を随時集めている、私立高校が独占しているような状態だ!! ましてや、こんなショボイ公立の女子高に、奴らと太刀打ち出来るような生徒がいるはずもない!!」
(うわぁ、今度は一瞬にして、全校生徒を敵に回しちゃったよ……)
恐らく黄泉は、思ったことを口にしているだけなのだろう。生徒からの視線がきつくなった気がした巡は、思わずその場で俯いてしまう。
「支援金を受けるためには、二つの方法がある。一つはインターハイなどで、確かな実績を残すこと。だがその他にも、素早く、しかも確実に、支援金を受ける方法がある」
黄泉は両手で、目の前の台をバンと叩いた。マイクを通して強調された物音に、その場の全員はビクッとなったが、すかさず黄泉はマイクを握り直す。
「日本全国を対象にした、競技トーナメントで優勝することだ!!」
「えっと……」
巡の助けを敏感に察知した良子が、すかさず解説に入ってくれた。
「はいはい、説明するね。野球は甲子園、サッカーはインターハイといった風な、メジャーなスポーツに対して、割とマイナーな、特に文化系の競技には、全国で戦えるような場所がないのね。そういった文科系の競技にも救済処置を、ということで、年に一度、日本全国の高校を対象に、競技トーナメントが開かれるみたいだよ」
「あ、ありがとう……」
良子の説明は非常に的確だった。もしかすると檀上の問題人物より、良子の方がよっぽど先生に向いている――巡はそんな考えを抱いてしまう。
「競技トーナメントは男女別で行われているため、ここのような女子高は、一回のみのワンチャンスしかない。普通に考えれば、確率面で不利と思う者もいるだろう。しかし、救済処置として、女子高が優勝した場合、支援金は通常の二倍受けることが出来る。考えようによっては、これはチャンスとも言える!!」
「そうなの?」
お任せとばかり、良子が解説に入ってくれる。どうやらこのやり取りも日常化してきたらしい。
「うん、純粋に勝てる可能性が半分になっちゃうわけだからね。男子校や女子高が優勝したら、奨励金は倍もらえるみたいだよ」
巡は良子に小さく礼をすると、すぐに檀上へと視線を戻した。
「先ほど私は、このような学校では、私立高校には太刀打ち出来ないと公言した。しかしそれは、まともに勝負を挑んだ場合のことだ! 競技トーナメントには一点だけ、抜け穴が存在する!」
黄泉はワザとらしく言葉を切ると、次の発言を強調した。
「それは……麻雀だ!!」
黄泉の発言に、周囲は一気にザワめきだす。黄泉は周囲の声が収まるのを待ってから、話を続けた。
「私はここに宣言する! ここ、堺北学園に新たに麻雀部を発足し、競技トーナメントで優勝することを!!」
『え……えーと、お話の途中、申し訳ありません』
とうとう辛抱できなくなったのか、司会の先生が口を挟んできた。
「む、なんだろうか?」
『先ほど、平田さんは、「新たに」麻雀部を発足すると申されました』
「うむ、その通りだ。だが、それがどうした?」
黄泉は全く顔色を変えないどころか、やれやれといった表情をしている。そんな黄泉に、司会の先生は果敢にも話を切り出した。
『我が高には、既に麻雀部が存在します。それは、我が高の麻雀部を競技大会で優勝出来るように、指導していただけるということでしょうか?』
「麻雀部? ああ、あの地区予選すら突破出来ないような、ヘッポコ部のことか」
黄泉のまたしても挑発的な態度に、周囲の温度が上がる。しかし当の黄泉は、それがどうしたとばかりに、もっていたマイクを器用にクルクルと回した。
「私の発言に間違いなどない。「新たに」部を発足して、競技大会を勝ち抜くのだ」
『し、しかし、同じ部を二つ作ることは……』
どこの学校でもそうだろうが、同じクラブを二つ作る理由は全くない。大人数の部ならともかく、現状の麻雀部は確か四~五人くらいしかいなかったはずだ。司会の先生の疑問はもっともだっただろう。
「その通り、同じ部は二つも必要ない。よって! 私は新たに発足したメンバーにて、現存の麻雀部を叩き潰すつもりだ!!」
『そ、そんな、無茶苦茶な……』
「無茶も何も、そうしなければ出来ないのだから、仕方がないだろう。新規発足する部に入れるメンバーについては、後日連絡する。以上だ!!」
話は終わりだとばかりに、司会の先生に向かって、黄泉はマイクを放り投げた。そのまま悠然と台を降りると、そのまま体育館の外へと出ていく。
見ると、先生達も含め、館内にいる全員が、呆然とした表情で、黄泉の後ろ姿を見送ってしまっていた。
その日、生徒達の間で、ザワめきが消えることはなかった。黄泉の発言は先生だけでなく、生徒すら敵に回すものだったからだ。
「こんな状態で、あの人に協力するような生徒が現れるとは思えない」
巡はそう思っていたのだが、どうしようもなく嫌な予感がしたのだった。
※『文武促進制度』はこの物語上のみ存在する、架空の制度です。