プロローグ ~私、麻雀初心者ですから!~
高岡巡は夢を見ていた。それは幼き日の記憶。彼女には当時、とても仲の良かった坂下美乃理という友達がいた。
巡は未だに、その時のことを夢に見てしまうのである。
「美乃理ちゃん、本当に引越ししちゃうの? 私、お別れなんて、やだよ」
「……うるさい」
「え?」
「黙れって言ってるのよ! 大体、私がこの街を離れなきゃいけないのも、元はと言えばあなたが……」
「美乃理、ちゃん?」
「覚えてなさい、巡。私、絶対あなたを、あなた達のこと……許さないから!!」
★
(夢。小さい頃の……。だけど、どうして今頃……)
巡はそこで目を覚ました。見るとそこは彼女の自室。夕食の後、自室のベッドで横になっていた巡は、そのまま眠ってしまったようだ。
(そっか。私、本読みながら眠っちゃったんだ。変な時間に目を覚ましちゃったな)
見ると時刻は、午前0時になる前だった。
(いけない。明日からまた学校なんだから、寝なきゃ……)
再び目を瞑った巡の耳に、玄関のチャイムが鳴らされる音が聞こえてくる。
(だ、誰? こんな時間に)
こんな時間に呼び鈴を鳴らすのは、非常識だと思ったが、応対するのもなんだか怖いので、巡は無視することに決める。
しかしチャイムは容赦なく、何度も鳴らされ続ける。
巡は父親と二人暮らしだったのだが、父の傑は夜中にふらっと外に出ることが多かった。呼び鈴に応じないところを見ると、今家に父親はいないのだろう。
(ううう……、さすがにこのまま無視するわけにもいかないよね……)
巡はとりあえず近くにあった上着を羽織ると、そのまま自室を出た。ショートボブの頭の部分が、寝ぐせで少し跳ねている。スカートがよれていることも恥ずかしかったが、悠長に着替えている時間はなさそうだ。
「はーい! 今出ますから!!」
巡は思わず返事しながら、パタパタと階段を下りていった。
「遅い。危うくこのまま帰ってしまうところだ」
ドアロックチェーンをつけたまま、巡は来訪者に対して顔を出していた。見るとそこには、サラっとした長髪に、切れ長の目。百七十センチくらいはあろう、長身の女性が不機嫌そうな表情を浮かべて立っていた。
「おい、小娘。傑の奴はどうした?」
「え? お、お父さんですか? さ、さぁ。今いないみたいですけど……」
不審者には見えないが、なんだか面倒くさい感じだ。いきなり「さよなら」というわけにもいかないので、とりあえず巡は様子を見ることにする。
「チッ、さては逃げたな……」
女性はこれ見よがしに舌打ちすると、不機嫌そうに背を向けた。あまりに失礼な態度に、巡は思わずカチンときてしまった。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
巡はドアロックを外して玄関の戸を開くと、呼び止めるように声かけた。すると女性はゆっくりとこちらへと振り返る。
「何だ? 私は忙しいのだ……」
「い、いくらなんでも横暴じゃないですか? こんな遅くに尋ねてきて、そんな態度……」
「……なにぃ?」
巡の発言を受けて、明らかに女性はイラ立ちを見せる。巡は一瞬躊躇ってしまったが、明らかに向こうが悪いので、せめて一言くらいは文句を言ってやらなければいけない。
「だって、こんな時間……ですし……」
そう思った巡だったが、女性の迫力に押されてしまい、出てきた言葉はそれだけだった。巡の弱気を察したのか、女性はフッと笑みを浮かべる。
「私はわざわざ出向いてやったのだ。悪いのは、約束をすっぽかす方ではないのか?」
「え? そうなんですか?」
どうやら巡の父のことを知っているらしい。もし本当に約束を受けてやってきているとすれば、悪いのは巡ということになるのだろうか。
「うむ、その通りだ。しかし弱ったな。今から代わりを探すとなると……」
女性は腕を組んで困ったような表情を浮かべていた。しかしふと何かを思い立ったようで、巡の方へと視線を落とす。
「……ふむ、そういえば先ほど、奴のことを、「お父さん」と言ったな。お前は傑の娘なのか?」
「そ、そうですけど……」
巡が傑の娘であることを知った女性は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。女性は巡の手を取ると、そのまま外に向かって無造作に引っ張った。
「ならば話は早い。親の不始末は娘の不始末。ちょっと、私と一緒に来い」
「ちょ、ちょっと待ってください! いきなり来いって言われても……」
巡は当然、女性の提案を拒否する。見知らぬ相手に、どこに連れて行かれるかわかったものではないからだ。
「信用出来ない……か。ならこれを見ろ」
巡の不安を察したのか、女性は胸元からカードケースを取り出し、一枚の紙を差し出した。
「これって名刺? 堺北学園教諭、『平田黄泉』……って、ええぇ!?」
「そう、私は君が通う堺北学園に勤めている。いわばこれは、先生命令というわけだ」
どうやらこの女性は、巡が通う学校の先生らしい。どうして自分の学校を知っているのかと、巡は不安にはなったが、このまま無碍に引っ込むわけにもいかないだろう。諦めた巡は、ふぅと大きなため息をついた。
「え……と、どこ行くんですか?」
巡は黄泉が乗ってきた車の乗せられていた。車にさほど詳しくない巡はよくはわからなかったが、黒塗りのピカピカ感が、なんとなく高級車っぽいニュアンスをアピールしていた。
もしかすると、どこかのお金持ちのお嬢様だったりするのだろうか?
「私の家だ」
(この人の家、って、いったい何の用で……)
どうやら黄泉は巡を自宅へ連れて行こうとしているらしい。行き先がわかって多少は安心出来たものの、目的がわからない巡から不安は消えなかった。
「心配するな。何も取って食おうってわけじゃない。それに奴の娘なら、それなりに打てるのだろう?」
「打てるって、一体何を……」
巡の問いに対し、黄泉は不敵に笑うと、ゆっくりと告げた。
「決まっているだろう。『麻雀』だ」