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生贄(2)

 この島は数十年に一度、外界から閉ざされる。海が荒れ、島から出ることが叶わなくなるのだ。それは外との取り引きによって島では育たない穀物や果物を確保している島人たちからすれば、文字通り死活問題だった。

 そしてそれを鎮めるために、生贄を捧げる。捧げるのは、海が荒れ始めてから四十九日後の夜。


 そして、今日がその四十九日目だった。




 琴乃は昼間はいつも通りに過ごした。春仁と会ったり、母の手伝いをしたり。手伝いを申し出ると、母は「今日くらいはゆっくりしても……」と言ったが、それを琴乃は押し切った。何かしていないと落ち着かなくて。

 生贄に捧げられる者が誰なのかは、家族を除き、その時になるまで隠される。それも、実際に生贄を見送るのは男衆だけだから、女衆は翌朝いなくなった者を確認するまで分からない。昨日梓が知ってしまったのは、異例のことだった。

 だけど、そのおかげで彼女に本心を伝えることができた。今まで互いに触れられなかった、春仁への恋心。それについて、ちゃんと話し合えた。だから、もう悔いはない。


「琴乃ちゃん」


 辺りが闇に包まれた頃。家の戸が叩かれて開けると、そこには松明を持つ長がいた。長はとても申し訳なさそうな顔をしている。なまじ、ずっと春仁の幼なじみをやってきた訳ではない。彼も、琴乃にそれなりの愛着があるのだ。


「少し、待ってください。――お母さん」

「……っ! うん」


 涙ぐみながら、母は琴乃から手渡された布を受け取り、それに紐を通す。そして、琴乃の顔が隠れるようにして、紐を彼女の後頭部で結んだ。


「失礼するね」


 そう言って、長はしゃがみ込み、琴乃の両足首に一つずつ鈴をつける。長が手を離すと、シャン、と可憐な音が響いた。

 そして次に琴乃の手。手首をぐるぐると縄で縛り、拘束する。

 これで、準備は終わりだ。


「じゃあ、行くよ」

「はい」


 琴乃は頷く。そこには顔を白い布で隠され、白衣はくえに白い袴を纏った、生贄の少女がいた。

 その姿に頷き、長は歩き出す。琴乃も彼について歩き出した。歩む度にシャン、と鈴が鳴る。


「琴乃っ!」


 痛ましげな母の声。琴乃は不思議なほど落ち着いた気持ちで、その声を聞いた。多分、現実味がないから。だから、落ち着いていられる。

 シャン、シャン、と音を響かせて。琴乃は真っ直ぐに松明の炎を見つめていた。



△▼△



 春仁は退屈そうに大人たちを眺めていた。ピン、と張り詰めた緊張感は、春仁にとってさほど気にするようなことではない。

 春仁は正直、誰が生贄でも良かった。誰に関わらずとも、その子は島のために死に、そして人々の心の中で生き続ける。それなら誰だって同じだろう。有力候補と言われている梓だろうと、その妹だろうと。そういう点で言えば、少々子供っぽいが、春仁はとても長らしい性格をしている。

 ……やがて、シャン、と鈴の音が聞こえてきた。シャン、シャン。生贄につけられた鈴の音。暗闇の向こうに、赤い松明の炎がぼうっと浮かび上がる。

 シャン、シャン、シャン……。音を鳴らして闇の中から現れたのは、赤茶色の髪を持つ少女だった。その髪を持つ少女は、この島にはいくらでもいる。だけどその背格好、醸し出す雰囲気は、まさに愛しい彼女のもので。


「――ことの?」


 呆然と、春仁は少女を見つめていた。異例のことにざわつく周囲は全く気にならなくて。ただただ、春仁は揺らめく白を目で追った。

 やがて、長は立ち止まり、道を少女に譲る。少女はそのまま長を追い越し、崖の先端へ。

 荒れた海から上がる風に、顔を覆っていた白い布が持ち上がる。琴乃だった。白い肌を一層青白くさせて、ほんの少しだけ口の端を上げていて。とても危ういその雰囲気に、春仁は思わず叫んでいた。


「琴乃っ!」


 その場から駆け出して、彼女にあと一歩で触れるというところで、長に止められる。


「離せ、離せよっ! 琴乃、どうして……っ!」


 春仁の言葉に、琴乃が体をこちらに向ける。再び白い布で顔が覆われる。表情は、分からない。だけど、このまま行かせたらだめ。それだけは分かった。


「琴乃!」

「――ごめんね、春仁。だけど、これが、私の選択なの」


 そう言って、琴乃は一歩、後ろへ下がった。もちろんそこには地面などなくて。


「琴乃っ!」

「あいしてる」


 ひらりと翻る白い袴。海風によって持ち上がった白い布の隙間からは、ほっとしたような表情が見えた。そして、その体は見えなくなって――。


「琴乃!!」


 春仁は強引に拘束を振り切り、崖に駆け寄る。小さな白色が視界に映ったかと思うと、それはすぐにごうごうと荒れる波に呑み込まれた。

 すると、不思議なことが起こる。ぱぁ、と琴乃が落ちたであろう場所が輝いたかと思うと、その地点を中心にして、波が穏やかになっていったのだ。

 春仁はそれを、ただ呆然と見つめることしかできなかった。


「春仁!」


 怒声と共に、頭が叩かれる。ばちん、と大きな音が響き渡った。


「見てはならんと、しきたりにあるだろう!?」

「と、さん……」


 しきたり。確かに、生贄が沈んだ後、海を一切見てはならないとあった気がする。だけど、だけど。ふつふつと怒りが沸き起こる。


「父さん、騙したのか! 琴乃との結婚を許すって言ってたじゃんか!」

「許すわけがなかろう。この髪を、我らは受け継がねばならんのだから」


 そう言って、長は自らの髪に手を伸ばす。漆黒の髪。純血の証。


「そんなもの……っ!」

「おまえは、この島の歴史を否定するのか」


 長の静かな声が、辺りを揺らす。それでも、春仁は許せなくて。琴乃との結婚を認めておきながら、そんな彼女を生贄に選んだ父が許せなくて。衝動に任せて殴りかかろうとした彼の手を、長は受け止める。


「家で頭でも冷やせ、この馬鹿息子」


 そう言う長の表情はとても辛そうなものだったけれど、春仁の視界には入り込まない。

 引きずられて行く中、春仁は小さく呟く。


「待っててね、琴乃……」


 ――絶対に、助けに行くから。



△▼△



 ――ぴちゃん。


 水滴が琴乃の頬に落ちる。ふるり、と彼女の瞼が動き、ゆるゆると持ち上がった。

 目に入ったのは、白と青。白は顔を覆っていた布で、青は……。


「なに、ここ……」


 ゆっくりと体を起こしながら、琴乃は呆然と呟く。

 そこは、青一色の空間だった。だけど全てが真っ青なわけではなく、濃いところ、薄いところ、キラキラと輝くところ、様々な青で構成されていた。

 そんな異様な空間。明らかに、今まで琴乃のいた世界ではない。


「異界……?」


 それは、神の御座おわす世界のこと。人のいる世界とはまた別の世界。上も下も、右も左も青いこの空間は、そうとしか思えなかった。

 琴乃は目をぱちぱちさせる。異界らしき世界に迷い込んだ。その事実に、頭が上手く動かなかった。


「やっぱり……」


 ふと低めの声が琴乃の鼓膜を震わせる。ゆっくりと、琴乃は振り返った。

 そこには青年がいた。黒い髪は長く、金属製のもので纏めている。琴乃より少しだけ背が高くて、春仁よりは小さい。そして彼は紫の、見慣れない衣を纏っていた。


(紫……)


 紫は至高の色。限られた人しか纏うことはできないと琴乃は教えられていた。その色を彼は纏っている。そしてこの空間。異界。……もしかして、という気持ちが湧き上がる。


「あなたは……神様?」

「――うん、そう」


 それはしっとりと耳に染み渡るような声で、琴乃の心も次第に凪いでいく。

 そして動揺が収まると、ふと、琴乃は気がついた。


「あ……私、いきて……」


 死ぬはずだったのに。生贄となって、救われるはずだったのに。何で、どうして?

 琴乃の唇が僅かに震え、声にならない音が漏れる。新たな混乱に見舞われて、もう、よく分からない。


「そうだね、生きてる」


 神がそう言った。その顔はとても苦しげなものだったけど、動揺する琴乃の視界には入らない。ただただ、混沌としていて、理解できなくて、悲しくて、辛くて。

 なんで、何で? やっとやっと、この恋心に苦しまなくて済むと思ったのに。ねぇ、なんで? 何で、私は生きてるの?

 生きてるのなら、お願い。


「――して。帰して! 私を春仁()のところに返してよっ!」


 ポロポロと大粒の涙が零れ落ちていく。死にたかった。生きれて嬉しい。生きる苦しみから解放されたい。彼に会いたい。……色んな感情がグチャグチャに混ざりあって、涙が止まらなかった。

 そんな彼女を見つめて、神は小さく呟やくように言った。


「――ごめん。無理なんだ」


 その言葉に、琴乃は一層涙を溢れさせる。嬉し涙か、悲し涙か、それは彼女自身にも分からなかった。

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