記憶喪失
ここは森の中です。
付近に村などの人の住んでいる場所はないようです。
一番近くても20kmは離れています。
そんな森の中に仰向けに寝転がる男がいました。
男は時折「あぁ」「うぅ」などと言葉を発したり。
手足を動かしたりしているので死んではいないようです。
しかし・・・
どこか様子がおかしいのです。
立ち上がるどころか起き上がる事すら一向にしないのは、それが関係しているのでしょうか?
男を観察してみると。
頭部に怪我をしているみたいです。
今はすでに血は止まり命に別状は無さそうです。
しかし、流れ出た血が髪に付着して固まっておりガビガビな上に汗と混じった凄い臭いを発しています。
男は臭いは気にならないのでしょうか?
それよりも怪我をしていると言う事自体を気にしていないようなのです。
男は何かおかしいです。
そもそも何故こんな人気の全く無い所に居るのでしょうか?
身形を見る限り猟師でも旅人でもありません。
人里で暮らす人々と同じ身形をしています。
逃亡者なのでしょうか?
逃亡中にここで転んで頭を打ち怪我をしてしまったのでしょうか?
それも違う様です。
男の周りには血の付いている所は全くありません。
なら何故ここに男は居るのでしょうか?
男はここに捨てられたのです。
20km程離れた町からわざわざここまで運ばれて捨てられたのです。
男は何故捨てられたのでしょう?
頭部に怪我を負ったから?
その程度で捨てられるでしょうか?
男が捨てられた原因。
それは・・・
男は怪我を負って記憶喪失になっていました。
漫画や小説などにある名前や思い出を忘れると言う中途半端な記憶喪失ではありません。
本当の意味での記憶喪失です。
全てを忘れています。
名前や思い出はもちろんの事です。
他にも学習した事・・・言語や身体の動かし方などもです。
それから・・・生まれながらに持っている真似て学習すると言う本能すら忘れてしまっています。
こうなってしまうと治る見込みは無いのかも知れません。
こうなってしまった男の親族は泣く泣く捨てに来たのかも知れません。
今となっては知る由も有りません。
こうなってしまった男に親族について聞いても答える術が無いからです。
1つ分かっているのは男の命はこの場所で尽きると言う事だけです。
餓死をするのか。
獣に襲われて死ぬのか。
何かも分からぬ物を口にして病死なり毒死なりをするのか。
どの結末が来てもおかしくはありません。
でも。
男には理解する事が出来ないのです。
理解する事が出来ないのですから。
どの結末が来ても男は恨んだりはしないでしょう。
男の魂よ死してから安らかなれ。