第九章【前】
清琳学園高等部には、体育館や講堂の他に、野外ホールが存在する。そして、午後からミスコン・ミスターコンの会場になるのは、この野外ホールだ。
基本は事前エントリーだが、盛り上がりを考えて飛び入り参加も許可されている。それ故、実行委員は考えられる限りの楽器を用意しておくらしい。
「……ねぇ、あれ」
「左京先輩!? 相変わらず美人だよなぁ」
「そうだけど……あーあ、今年は面白くなると思ったのに」
ステージに立った彩乃を見て、集まった生徒達がざわつく。
それを微笑みで受け止めると、彩乃は机に置かれたバイオリンと弓を手に取った。
そして弦の上に置き、滑らせると――その奏でられた音の美しさで、一同を黙らせたのである。
(綺麗……)
次に――そして最後に登場する知愛は、ステージの端で彩乃の演奏を聞きながら思った。
音を『出す』だけならともかく、美しい音を『奏でる』には努力がいる。演奏家全てが聖人君子とは思わないが、努力が出来ることはそれだけで素晴らしい。
(そう考えると、コンテストの課題としては正しいんでしょうね)
そんな中、自分がやろうとしていることは本来の趣旨から外れているけれど。
(一生懸命やりますから、許して下さいね?)
心の中でそう謝り、知愛は彩乃への拍手の中、入れ替わるように足を踏み出した。そして楽器の乗った机の上に、トライアングルやカスタネットが置いてあるのを見て少し笑う。
あとで、潤にお礼を言おう――そう思いつつ何も持たずに前に出た知愛に、彩乃が登場した時同様にどよめきが起こった。
そんな生徒達にペコリと頭を下げると、知愛はアカペラで歌い出したのである。
「……What a friend we have in Jesus」
※
「……賛美歌か」
しばし無言で耳を傾けた後、観客席で眺めていた豪はボソリと呟いた。
賛美歌312番。邦題は『いつくしみ深き』であり、結婚式などで歌われている。
「「…………」」
克己もだがこういう時、普段なら何か言う瑛も、今は黙って知愛の歌を聞いている。それは、他の生徒達も同様だった。
知愛の声は、特に大きいという訳ではない。
それ故、皆が声を潜めて彼女の歌を聞き逃すまいとしているのだ。
「Jesus knows our every weakness……take it to the Lord in prayer」
そんな沈黙の中、知愛は堂々と歌っていた。
歌は、ごまかしがきかない。楽器の演奏は努力や技術で補えるが、歌は――声は、生まれ持った才能が重要だからである。
もっとも学校に通ったことのない知愛には、己の声が恵まれている自覚はまるでない。
彼女はただ、楽器を弾けない自分に出来ることをやっているだけだった。
……昔、傭兵仲間であるファーザーが教えてくれた歌を。
マークが、頭を撫でて褒めてくれた歌を。
ルーが微笑み、好きだと言ってくれた歌を。
『……チア!』
そして知愛が賛美歌を歌い終えた時、一同が反応を示す前にそれは起こった。
年の頃は、二十歳前後くらいだろうか?
漆黒の髪と灰色の瞳――黒ずくめの服のせいもあり、いっそ凄みすら感じる程の美青年が、知愛の元へと駆け寄ったのである!
「ルー!」
まるで動じず、いや、むしろ笑みすら浮かべて。
名前を呼んだ知愛を、ステージに飛び乗った青年――ルーは、軽々と抱き上げで言った。
『会いたかった……チア、俺、チアに会いたくて』
『私も、会えて嬉しいです……いつ、日本に来たのですか?』
『さっき……ファーザーがチアは今日、学校にいるって』
英語で話す二人の声は、生徒達には届かない。
ただ賛美歌を歌っていた知愛は、一同に天使を連想させ。
それこそ悪魔を思わせる美青年の登場で歌の余韻に浸り、急展開に取り残されていた面々は一気に盛り上がったのである。
「ステージに舞い降りた天使……何て素敵っ」
「新しいミス清琳の誕生だな!」
「いっそ、あの方も今回のミスターにっ」
自分達を包み込む、声の渦に――すっかり好意的なそれに、知愛はパチリと瞬きをした。
『ごめん、チア……俺、悪いことした?』
日本語の解らないルーが突如、起こったどよめきに――と言うより、知愛に迷惑をかけたのではという不安に、その表情を曇らせる。
そんな青年に知愛は首を横に振ると、安心させるように微笑んで見せた。
『違います、大丈夫ですよ……むしろ、ありがとうございます』
そして知愛は、様子を伺う潤へと尋ねた。
「……あの、飛び入り参加って部外者もOKなんでしょうか?」




