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しとしとと雨が降っていた。細く軽い銀箭のような雨は優しく辺りを包みこむ。まるで世界を自らの色に染めんとばかりに降り注ぐ雨の中、一人の男が雨具も持たずにすたすたと歩く。街中だと言うのに周囲に人影は見えない。大方急な雨に降られ雨宿りでもしているのだろう。


その男を一言で現すのなら黒い男だった。黒の帽子に始まり、黒いシャツに、黒いズボン。おまけにキャップの隙間からは黒い髪が見えていた。キャップの下から見えるのは黒く人相の悪い瞳。字初めて会った人間なら男が何かに怒っているかのように思われても仕方がないほど、特徴的な瞳だった。


濡れるのを全く厭わないのか男の足取りは軽い。キャップの鍔からは水滴が滴り、ズボンもシャツも絞れそうなほどの濡れ鼠なのだが、男は全く気にした様子はなくすたすたと足を進めた。


――雨が降りしきる風景を薄墨色の世界と称したのは誰だっけな。


足を進めながら男は考える。


――太宰だっかか、漱石だったか、それとも三島由紀夫? いや、ヘミングウェイだった気もするな。


あれでもないこれでもないと鈍色の記憶を引っ張り出して思い出そうとするが、後少しのところで思い出せない。普通の人ならもどかしさを覚える所かもしれないが、彼は普通ではなかった。


――まぁ、どうでもいいか。


思い出せないことはどうでもいいとばかりに自らの疑問を切って捨てる。


そうこうしている内に目的地にたどり着いた。何の変哲もない一軒家。男はへらへらとしたうす気味悪い笑みを浮かべると少しの躊躇もなく扉を開くのだった。















『すまんすまん。遅れた遅れた』


『全くアンタは毎回毎回、何で自分が決めた集合時間に来ないのかしら? 病気なの? 脳がタバコにでもやられているの?』


『だからわりぃて謝ってるだろ、嫉妬。おじさんも歳なんだから多めに見てくれよ』


『アンタがオッサンなのは否定しないけど、それこれは話が別よ。毎回毎回、待たされる身にもなりなさいな』


『だからわりぃって謝ってるだろ。それに色々とあったんだよ、おじさんにも』


『開き直ってどうするのよ!? いい、次やったら本気で風穴開けるから』


『おぉ、怖い怖い。これがキレる十代ってやつかねぇ……しっかし、今日は一段と少ないな、嫉妬と傲慢だけかよ』


『まぁ、色欲と憤怒が来ないのはいつも通りとしても、傲慢がいるのに強欲が来てないのは以外よね、何か知らない傲慢?』


『ん、あぁ。強欲かい? 確かこの前、偶然会ってね。いきなり切り掛かられたから、そこらに斬って捨てたけど。生きていればそのうち出てくるんじゃないかな?』


『あははははは! アイツ最高に馬鹿ね。これで何回目よ! 傲慢に挑戦して斬られるの? そのうち本当に死ぬんじゃないの』


『さぁ、十を超えるあたりからは覚えてないね』


『本当に強欲もよくやるなぁ。傲慢にその得物を抜かせることも出来ないのに、勝負勝負と若いっていいなぁとかそんなレベルじゃねぇな。アイツはただの馬鹿だな』


『でも、本当に傲慢は強いのね。強欲は馬鹿だけど弱くはないわ。その強欲相手に代名詞である包丁を使わずに勝てるなんて』


『そんな褒められたものじゃないよ。たまたま相性が良かっただけに過ぎないさ』


『カッカッカッカ! 何て言っても傲慢だけは本物だからな。劣化コピーとは文字通り性能が違うってわけだ』


『ねぇねぇ、傲慢。その包丁使えばもっと強いの?』


『さぁ、どうだろうか? 確かにこれは私の得物だけど、思いっきり使ったことはそんなに無かったりするんだ。気になるなら、今度強欲相手に振るってみようか?』


『何、物騒なこと言っているんですか、御姉さま方。別に強欲が木っ端微塵になろうが、時空の狭間に飛ばされようがどうでもいいが、傲慢の包丁はなしだ。本末転倒もいいとこじゃないか。なしだなしだ』


『まぁ、茶番はこれくらいにしておこうか。私たちを集めたのはどうしてだい、怠惰?』


『あぁ、そうだないい加減茶番も終わりにしよう。今日集合をかけたのは二つだ。まず、一つ、暴食がやられた』


『――嘘っ!? あの暴食が?』


『……へぇ、彼がね』


『俺も嘘だったら嬉しいが、本当の話だ。暴食が死んだ。これは間違いない』


『倒したのは勇者御一行かしら……?』


『確かに、暴食が襲った村に派遣されたのは勇者様御一行だ―――っておい嫉妬どこに行くんだ』


『どこって? 決まっているでしょ。仇を取るのよ、暴食の!』


『待てって、そう焦るな』


『待てって仲間がやられたのよ! しかも、暴食。ここのメンツは屑みたいな奴らばかりだったけど、アイツだけは別だった。アンタや強欲辺りが死んでも何とも思わないけど、暴食は別。アイツは純粋に使命を全うしようとしてたのよ!』


『だから待てって』


『何かあったのかい、怠惰?』


『あぁ。確かに、暴食の所に勇者様たちが派遣された。これは揺るぎない事実だ。しかし、一つだけ疑問が残る』


『……それが私の足を止めるようなことでしょうね? 怠惰』


『あぁ、だからとりあえず聞いてくれ。確かに、勇者と暴食は対峙しただろうが、ここで一つ疑問が浮かぶ。“勇者様”程度じゃ十人居たって暴食に勝てないってことだ』


『…………』


『そう睨むなって。確かに勇者様御一行は強い。そんじゃそこらの冒険家よりかは遥かに強いだろう。でもな、所詮そこまでだ。ゲルニカの忘れ形見だっけ? あのワンちゃん相手にすら満身創痍だった奴らだぞ。仮に聖剣を使って一度は暴食を滅ぼせたって二度目は無理だ。アイツのもっている絶対耐性は破られない』


『アンタの見立てが間違っているかもしれないじゃない。本当は勇者が暴食を倒せる実力があったのかも』


『いや、それはないだろう。私も一度勇者を見たことがあるが、あれは確かに才能の塊だ。でも、所詮は天才の域を出ない。後少しすれば壁を超えるかも知れないが、どれだけ早くても後三年はかかる。あのままだと暴食を倒すことは無理だね』


『傲慢もそう言ってるし、薄々は気付いているんだろ? 俺がその辺りの目測をみやまうはずがないってな』


『…………で、暴食の弔い合戦はどうするの?』


『暫く様子見だ。少なくとも、誰が暴食を殺したのか分かるまでは……』


『えらく消極的ね』


『こればかっりはしょうがない。藪を突いて出るのが蛇や鬼ならいいが……もっとおっかないのが出てきたら目も当てられんからな。全く人生は辛いよ、カッカッカッカ!』


『分かったは今回だけは大人しくしとくわ』


『物分かりがいい嬢ちゃんで何よりだ。さて、暴食の話は一旦おいといてだ。第三の封印の場所が見つかった』


『第三の封印? この間が第一じゃなかった?』


『あぁ、第二の封印だが、場所がロゼリア王国の王都でな』


『ロゼリアって確か……』


『たまたま、王都に居たものだから、俺自身で解いてきた』


『ロゼリア王国が一夜にして焦土と化した原因はアンタだったのね……うすうすは分かっていたけど……もう少しやりようがあったでしょうに。何人死んだと思ってんのよ』


『大を救うためには小を見捨てなければいけない。政治と同じという訳か?』


『カッカッカッカ、その通りだ傲慢。流石、本物だ。誰一人として無駄な犠牲なんてありはしない。全ては大を救うためだ』


『アンタ絶対地獄いきね』


『構わない。構わないよ、それで全てが解決できるならな……さて、第三の封印だが――』


































雨が降っていた。しとしとと、軽く優しい雨が。そんな中一人の青年が軒先で雨宿りをしていた。手には布の袋が握られており、その中からは野菜が見えた。どうやら買い物帰りのようだ。


「くそ、あれだけ晴れていたのに急に降り出すとはついてない」


青年は独り言のように空を見上げながら文句をぽつりと漏らす。


「たまには雨もいいじゃないかって? そりゃたまにはいいけど、急に降り出すのは勘弁だ。それにイフはいいさ、濡れないんだからな」


青年の周りには誰もいない。だけど青年は誰かと会話をするように言葉を紡いでいた。見る人が見れば危ない人間に見えるだろう。しかし、残念ながらここにはその第三者がいなかった。


「まぁ、この雨を見るに通り雨っぽいし、暫くはゆっくりして帰りますか……」


確かに雨は降ってはいるが、雨粒は小さく、勢いも強いわけではない。濡れるだろうが最悪、雨の中を突っ切って帰ることもできるだろう。幸いにも青年の暮らしている家はここから歩いて十分もしない場所にあった。


そんな時だった。軒下に一人の影が入って来た。特徴的な人物だった。深い緑のローブをしっかりと着こみフードまでしている。そのため顔色は見えないが背の低いこともあり、女性だろうと青年はあたりをつけた。しかし、特徴的なのはそのローブではない。背中に背負われた大きな刃物だ。そのシルエットはまるで包丁をそのまま何十倍かにしたようなデザイン。大剣と呼んでいいのか迷うそんなデザインの刃物は包帯によりグルグル巻きにされていた。


身長ほどの包丁を背負った人物は何も気にすることなく青年の横に立つと、フードを取る。紫陽花色の髪がふわりと風に揺れた。


陶器のような透明感の肌に、すっきりした顔立ち。顔は幼くはないが、かと言って成人しているかと問われば困る年齢不肖な顔だった。


――美人。


彼女の顔を見た時に多くの人間はそう思うだろう。間違いなく街中を歩けば多くの注目を集めるほどに彼女の顔は整っていた。


急に現れた美人にあっけにとられている青年に彼女は言った。


「うふふふふふ、おにーさん、初めまして。おにーさんも雨宿りだったりする?」


こうしてある雨の日、青年はとある女性と出会うのだった。


この物語の始まりは雨という物語に相応しくない天気の下、物語には相応しい美人との出会いから始まる。

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