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「それじゃあ兄ちゃんまた来てくれよー!」
最後に肉屋にて肉を買った俺は肉屋のおばちゃんに手を振りながら帰路についた。気前のいい商人が多く、少ない金額でいいものが手に入ったと内心の笑みを隠せない。
帝国で貴族の娘さんの食事を作っていた時も買い出しは自分でやっていたため、買い出し自体はどこか懐かしく感じる。
「それで話の続きだけど、魔王なんてとんでもなくぶっ飛んだやつも倒せるのか?」
商業地区を抜けある程度ひとがまばらになったところを見計らってイフに声をかける。
『もちろんだとも魔王といえども生き物だ。死にもすれば殺せもする』
確かに魔王も生き物だろうけど、それでもぶっ飛んだやつらに違いない。有名なゲルニカなんて三日で四つの国を滅ぼしたというのに三百年経った今でもまだ生きててピンピンしているんだから、そんな奴らを生物と呼んでいいのかさらさら疑問である。
「そういうもんなのか? ゲルニカとか殺せそうにないけど……」
『もちろん長い間魔王で居続けるやつもいるよ。ゲルニカも長い方だけど、もっと長いやつもいる。例えば第三世界の魔王 鯨王 ベルメオなんていう魔王はゲルニカよりも長いこと魔王をやっているよ。そしてこれから先も奴が魔王を変わることはおそらくないだろうね』
「鯨王ベルメオ? それって――」
どんな魔王だと聞こうとした時だった。
「ちょっと坊主少しいいか?」
後ろから肩を叩かれた。いきなりのことで思わず猫背気味だった背筋をピンと伸ばすことになった。
「わりぃわりぃ。まさかそんなに驚くとは思ってなくてな」
驚いて後ろを振り向けば一人の男がそこにいた。さらに付け加えるなら全体的に黒い印象をうける男だった。
黒いよれよれのくたびれたワイシャツに下はジーンズ。そして頭には真っ黒なキャップを深々と被り黒髪黒目。歳のころは今の俺よりも一回りから二回りほど上のように感じた。中年男性といっても間違えではないだろう。俺からすればオッサンといってもいい年だった。
「すみません。急に話しかけられたもので」
「いやいや、俺も急に話しかけて悪かった」
オッサンはそこまで言うと胸ポケットからくしゃくしゃになったタバコを取り出すと口に咥える。
その動作はとても様になっていた。少し目つきは悪いが顔は悪くないため若い時はモテたんだと思う。
「どうかしたんですか?」
「いやな、時に坊主。タバコはいける口か?」
「いや、タバコは吸ってないですけど……」
正確に言えば今は吸っていないだ。前世、まぁ前の世界ではスパスパと吸っていたそれはもうヘビースモーカーと自他ともに認めるくらい吸っていた。が、しかしこの世界では全く吸いたいといった気持ちが起こらない。
タバコを吸う余裕なんてさっぱりなかったし、生きるのに必死だった。人間生死のふちに立つと禁煙なんて簡単にできるようである。異世界禁煙術――うん、なんか馬鹿っぽい禁煙法ができたな。これは墓場まで持っていこうと思う。
「カッカッカッカ、そら残念だ。なら、魔術使えるか? 火を灯すやつでいい」
オッサンが言わんとすることは俺でも分かる。ライター代わりに魔術を使ってほしいんだろう。
それくらいなら俺でもできる。指先に火を灯すくらいの魔法であればレベル0の魔法だ。詠唱なしに唱えることくらい難しくない。ただレベル0とはいえ侮っていはいけない。ライターいらずのこの魔法は普段の生活から野営の時まで大活躍である。火種があるっていうのは偉大だ。
「なるほど。そういうことなら」
そういってオッサンに指を差し出し、その指に火を灯す。小さな火だが、タバコの火をつけるくらいであれば十分だろう。
「おぅ、サンキューサンキュー」
オッサンは火をつけるゆっくりと紫煙を吸い込み吐き出した。
「あぁ、やっぱりコイツはいいや。ありがとな、坊主」
「いえ、俺としても別に手間ではありませんので」
しかし、こんな魔法も使えないとなるとこの人は魔力をもっていないのだろうか。基本的に魔力を少しでももっていればこのくらいの魔法は使えるので持っていないと考えるのが正解だろう。
もちろん魔力を持たない人も一定数存在するので何も珍しいことはない。
「いやわりぃな。何せ手加減が不得意なもんでな、ちょろまかとした火力調整なんてできやしないんだ……。おっと、いけねいけね。そんなことを話している場合じゃなかった。わりぃが坊主、一つ聞きたい。住宅地区ってどっちだ?」
オッサンはそうだそうだと咥えたばこのまま聞いてくる。
「あぁ住宅地区ならこっちですね。俺もそっちの方面に向かいますから一緒にいきますか?」
シャルたちの家は住宅地区にはなく、貴族たちが多く暮らす中央地区にある。その中央地区から商業地区に向かう間に一般庶民が多く暮らす住宅地区があることになる。
「おぉわりぃな。助かる助かる。何せ怖い部下たちが待ってるもんでな、急いで行かないと三枚におろされるか丸のみにされちまう」
オッサンはカッカッカッカと豪快に笑いながらついてくる。こうして俺はよくわからないオッサンと帰り道を歩くことになった。
「結局なんだったんだろうな、あのオッサン?」
オッサンと住宅地区で別れた後俺は周りに誰もいないことを確認してイフに話しかけた。中央地区にさしかかり、家まであと少しと行った場所だった。
『さぁね、ボクにはよくわからなかったよ。一応キミと話が出来るように声は聞こえるけど、その解放された枷じゃしっかりみることは叶わないしね。相手がものすごく強い存在、魔王やその従属くらいじゃないと今のボクには判別不可能さ』
「そっか、そりゃそうだよな。まぁ、変なオッサンだったけど悪い人じゃなかったみたいだし、それだけは良かったよ」
『ただ、一つ気になることがあったのも事実』
やけに含みのある声でイフは言う。何か気になったことでもあったようだ。
「うん、どうかしたの?」
『いや、気のせいかもしれないんだが――』
ふいにイフの声が聞こえなくなった。まるで通話ボタンを切った時のようにプツリと回線自体が閉じてしまった。
「あれ、イフ? どうかしたか?」
そう問いかけても反応はない。場所は中央地区の端、シャルたちの家まではまだまだ遠かった。
なぜ急にイフとの会話が途切れたのか分からずに首を傾げる。
答えは案外すぐにわかった。
「お兄ちゃんっ!」
トンと軽い感覚とともに背中から手を回され誰かに抱き着かれる。もちろんその誰かとは今更いうまでもあるまい。それと同時になぜ急にイフと話せなくなったのかもわかった。きっと彼女が俺を発見したからだろう。彼女の前では魔力と使い魔に枷がかかる。それがどのような条件で発動されるかは詳しいことは謎だが、すくなくとも俺が認識しなくても彼女が認識すれば枷が発動するみたいだ。
「どうしたんだシャルこんなところで? 王様に会いに行ったんじゃなかったのか?」
朝の話では帰ってくるのは夕飯に間に合うか間に合わないかの時間になると二番目の妹が言ってたのを思い出す。今はまだ昼過ぎ、帰ってくるにはいささか早い時間である。
「うん、お兄ちゃんと離れ離れになるのが我慢で出来なくて急いで面会終わらしてきちゃった」
彼女はそう俺に抱き着いたまま笑う。顔は見れないがそれは楽しそうな声で、まるで長年離れ離れになっていた恋人に再会したかのような喜悦に満ちた声だった。きっと顔は満面の笑みに違いない。
「シャル、そんなんでいいのか?」
「いいのいいの! 王様の話なんて長くつまらない話だし、貴族の視線は気持ち悪いし……。私を見ていいのはお兄ちゃんだけなんだからっ!」
そう嬉しそうに話すシャルの声を聞きながら考え。俺自身も思い違いをしていたのではないだろうか、彼女に住まう闇を測り間違えたのは俺自身ではないだろうか。
「なぁシャル、お前って有名人だよな。こんな風に人目を憚らず俺に抱き着いてもいいのか?」
いくら平日の昼間とはいえこの通りにもそれなりに人はいる。今ではシャルたちはこの国で知らない人がいないくらい有名な勇者様だ。そんな勇者様が堂々と昼間から男に抱き着いていいのか、いやいい筈がない。周りからしてみれば俺とシャルが兄妹だなんてことは分からないのだ。恋人と勘違いされてもおかしくない。いや、思えば兄弟だとばれていた時のほうがやばいような気がするが、もはやこの際どうでもいい。とにかく目立っていないうちに引き離さないと。
勇者のファンに俺が殺されかねん。
「私はそれでも大丈夫だけど、お兄ちゃん以外の視線を浴びるのは嫌だから隠密の時に使う認識齟齬の効果のある妖精のローブに幻術魔法をかけているからお兄ちゃん以外にはティナちゃんくらいしか私ことシャルだとは認識できないよ」
なるほど先ほどから特に誰も気に留めていないと思ったらシャルの姿が見えていないのか、それとも別の姿に見えているのだろう。
そんな俺の内心を露も知らない彼女はそれよりも――と続ける。
「お兄ちゃん、帰ってくるの遅いよ! 何かあったの?」
「別に何もなかったよ。普通に買い物して帰ってきた」
「本当? 魔法とかつかってない?」
やけに心配性な彼女は聞いてくる。奴隷とはいえ一応黙秘権というか本当のことを話さなくてもいい。俺を縛っている奴隷の枷は確かに変態貴族お墨付きの強力無比なものであるが、肝心の奴隷の枷を強化した貴族が言動の方に興味なかったのか、俺の行動はともかく言動はある程度は思いのままだ。
それこそ、初めて奴隷としてシャルと話した時のように主が望めば勝手に変な敬語になって言葉がでる変な枷があるにしても、それ以外の強制は特になかったりする。このことは本当に助かった。いくら奴隷とはいえ思ってること、考えていることをすべて話さなければならないとなると羞恥心で自殺したくなる。
まぁ、奴隷という身分的に情報を他者にしゃべるなといった命令は出来るが、この情報を話せだったりとか、思っていることを話せなんて命令は聞かなくていい。
だからこそ、この質問には適当に答えてよかったのだが、ここは俺の誠意というか純粋さを見せるために、いや信頼を得るために本当のことを話しておく。
「一回だけレベル0の火の魔法を使ったよ」
「え、どうして?」
「帰り道に知らないオッサンに声を掛けられてな、タバコに火をつけた後に住宅地区に案内した」
そこまで話した時だった。シャルが乱暴に俺を振り向かせると俺のほほを両手でもち視線を合わせた。青い瞳がまっすぐに俺を射抜く。穢れをしらないその瞳から逃れようとしたかったのだが、ここで目をそらせば何かやましいことがあると疑われる可能性もあるため、俺もまっすぐに瞳を見た。
「本当に!? 大丈夫? お兄ちゃん、何もされてない?」
「大丈夫だよ、ほら元気さ」
そもそも小学生の悪戯じゃあるまいし、何かあったら俺が帰ってくるはずないのだが、そんなことを言って茶化すような雰囲気ではないため、当たり障りなく答えておくことにする。
「そう――――よかったっ! 駄目じゃないお兄ちゃんっ! 知らない人についていっちゃっ!」
もう心配したんだからねっ!と彼女は続けた。
「それじゃあ帰ろっ! あっそうだ、荷物もつよ」
俺の返事を聞く前に俺が持っていたカバンは彼女の腕に収まっていた。
「いや、流石にそれはわるいよ。ほら、家事は俺が引き受けたはずだしさ」
流石に自分で買ったものくらい自分で運ぶ。それに家事は俺の役割だ。
「いいのいいの! お兄ちゃんはご飯を作ってもらうんだからっ! この荷物は私が持つ、いい?」
くるくるとカバンを両手にもち回転しながら彼女は言った。俺としてはなんとかしてカバンを奪い返したいのだが、買主であるシャルにここまで言われるともはやどうしようもない。
「さぁ、お兄ちゃんかえろっ!」
差し出された白く傷一つない手を握りながらこれは思ったよりも大変かもしれないと人知れずため息を吐いた。
昼下がりの道に楽しそうな少女の話し声がこだまするがその声が聞こえたのは幻術魔法が解除されていた一人の青年だけだった。




