11
五年ぶりに妹達と再会したせいかどうかは分からないが何とも懐かしい夢を見た。
あれは今から十数年前、俺がプリーストに拾われて三ヶ月くらいのことだった。
ある日の夜、教会の祭壇で文字の勉強として一人で絵本を読んでいる時だった。
シャルがとてとてとこちらにやって来た。
どうしたのか、と聞いてみれば暑くて眠れないから来たのだと答える。
確かにその日は暑く熱帯夜だった。俺自身は暑さが好きで熱帯夜でも苦痛ではないが、幼い少女には少しばかり寝苦しいだろう。
他の奴らは、と続けて質問を投げかければ、もうみんな寝ちゃったと続けて返した。
昼間に俺とシャルとの遊びで遊び疲れたのだろう。子供は疲れればすぐに寝るものだから。
そして、シャルはさも当たり前かのように椅子に座っていた俺の膝の上にちょこんと座った。
今宵は熱帯夜。暑くて寝苦しいとさっき言っていたばかりなのにそれだけ俺に引っ付けば暑さは増すんじゃないかと言えば、さも当然に、いいの! わたしのとくとうせきなんだからっ! といつの通りの猫みたいな笑い声で返されてしまった。
そして、彼女は続ける。
ねぇ、お兄ちゃん、なんのごほんをよんでいるの?
俺が読んでいたのは主人公である勇者が魔王を倒す王道中の王道である物語。よく言う児童書の類のため内容も文法もわかりやすく、そのため俺が文字を覚える時によく読んでいた本だった。
俺は返事の代わりに本を閉じ、表紙を見せる。
ねぇお兄ちゃん、よんでよんでっ!
シャルは俺の膝の上で足をパタパタさせながら目を輝かせる。
特に断る理由もなかったため俺は笑顔で頷くと本を読み始めた。前世では子供がいなかったため、こういうシチュエーションは憧れでもあったんだ。
絵本を読み終わるとシャルはパチパチと小さな手で拍手をしながら大きく体を揺らした。どうやら、大変満足いったようで、その顔は満面の笑みだった。
「すごいすごい! やっぱりゆうしゃさまはつよいんだねっ! さいごはまおうさまをたおしておくにをすくっちゃうんだからっ!」
興奮冷めやまぬ様子でシャルは小さな手を握るとまるで剣を振るかのように腕を振る。
「あぁ、そうだね。勇者様は強いんだ」
「ねぇねぇ、お兄ちゃんっ! ゆうしゃさまってせいぎのみかたなんだよね?」
「そうだな、勇者様は正義の味方だ」
「うんうん、じゃあさ、せいぎってなに?」
まさか、四歳児からそんな言葉が出るとは思わなかった。いや、逆に四歳児だからこそ出る質問なんだろう。
正義とは何か……。抽象的な概念の話だ。恐らく十人いたら十通りの正義がある。勝った方が正義、弱き者を助けるのが正義、悪を倒すのが正義。どれも間違いではないと思う。
正義の反対は悪ではない、正義だ、とは誰が言ったのか分からないが的を射ている言葉ではないだろうか。お互いがお互いの正義があるから争いは生まれるし、戦争はなくならない。
なら、俺の正義とは何か? この子に大人として伝えるべきことは何か?
少しだけ考える。少しだけ考えて、ゆっくりとゆっくりと口を開いた。
「俺にはシャルの正義はわからない……」
結局でたのはそんな情けない言葉だった。俺の情けなさは前世から続くものなので今更治りようがない。
「わからない……?」
「あぁ、情けない話だけどね。俺にはシャルの正義が何か分からないんだ。正義っていうのは人によって違うんだ。例えば、弱い人を助けた人が正義だと言う人もいるし、悪を倒すのが正義だと言う人もいる、俺にはそれが間違いだとは思わないし、その両方が正義だと言われても納得する。でも、逆にどちらの正義も正義ではないと思えば正義ではないんだ。正義の反対は悪ではなくて正義って言葉があるように、悪の反対もまた悪なんだ。こうなってくると正義が何か分からなくなる。倒すべき悪が自分であるかもしれないんだからね」
「うーん……えーと、うーん」
シャルは俺の言葉を理解しようと必死に頭を捻らせて考えているようだ。四歳児にこんな難しいことを言ってもわかるはずがないのは分かっていた。それでも俺はこう答えてやるしかなかった。それが俺の誠実さであるし、それが俺の正義だからだ。
「ごめんごめん、難しかったね。じゃあ、俺が思う正義って何か言うよ。俺にとっての正義というのは自分が正しいと思ったことが正義さ。少なくとも他人に言われたりだとか多数決で決まった話が正義なんて言うことはないんだ」
正義だ悪だなんて問題は話すだけ無駄な理論だ。
人間十人十色なら人の数だけの正義と悪があっていいのだ。
勝った方が歴史を作るという言葉が正しいのなら、勝ち残った方が正義だという言葉もまた正しいだろう。それは否定出来ないし、するつもりはない。でも、少しばかり捻くれた俺はこうも思うんだ。
勇者に敗れた魔王もまた正義だってね。きっと魔王も自分の信じた道を貫いたのだろう。なら、それは魔王にとっては正義だろう。
歴史は勝者に重きを置きすぎる傾向にあるのは仕方が無い。勝者が歴史を書き綴るんだからね。
でも、同時に敗者が正義ではなかったのか、と問われればそれは首を傾げるしかない。敗者も正義たり得てもいいのだ。
だから、有る意味では世界は正義に溢れているし、世界は悪で溢れている。何事も捉え次第、見方次第だ。結局、これだけ堂々巡りしておいて最後はこんなつまらない解答になるのは、どうしようもなく俺“らしい”。
「うーんっとね、わたし、あたまがわるいからお兄ちゃんのいっていることよく分からないんだけどね、つまりわたしがせいぎだとおもったことがせいぎだってこと?」
「あぁ、その通りだ」
「じゃあね、わたしね、このえほんのゆうしゃさまみたいにつよくて、みんなをまもれるひとがせいぎだとおもうんだ」
「あぁ、じゃあシャルにとって勇者様は正義だ!」
「ねぇねぇ、せいぎっていいことだよね? ゆうしゃさまっていいひとだよね?」
「うん、その通りだよ」
するとシャルはいきなり数歩背を向けて歩いたのちクルリと踵を返した。
「じゃあ、わたし、ゆうしゃさまになるねっ! つよくなって、みんなをまもれるようなひとがわたしにとっての“せいぎ”だからっ!」
そう言って彼女は微笑んだ。
思えばこの時から彼女の心の片隅には勇者という文字があったのだろう。
彼女の始まりはきっとここだった。
奴隷という職は深く眠ることが基本的に出来ない。それは極悪な就寝環境といつ何があるか分からない恐怖感からくるものだ。
就寝環境のことで言えば基本的に床か檻が寝る場所となる。ひどい時は雨で吹きさらしの中、表で寝ろと言われることもあった。その賜物か何かか、俺は軽くなら何処でも眠ることが出来るようになった。これが良いか悪いかは分からないが便利が良いのは事実だ。たとえ、どんな異臭がしても、どんな硬い床でも寝れるのは奴隷の特権だろう。
それと奴隷というのはいつ何があるか分からない。それは寝ている時も然りである。酷いやつに買われた時なんか寝ている最中に真っ赤に熱した鉄の塊を足に押し付けられたりもした。痛みで目が覚めたと思ったら自分の肉が焼ける匂いを嗅ぐ羽目になるとは思わなかった。あんな経験は金輪際お断りしたいところだ。何か俺の暗い話になって悪かった。
つまり、何が言いたかったのかと言えば、俺はこの日約五年ぶりにしっかりと睡眠を取ることが出来たのだった。それは、シャイロのあの魔法が良かったのか、それとも寝具が良かったのか……いや、きっと妹達に再会出来た喜びが一番安眠出来た原因に違いない。
初めに感じたのは暖かな感覚だった。久し振りに感じる優しげな感覚を心地いいと思いながら目を覚ました。
まず目に入ったのは真っ白な天井。そして、少し下に視線を落とせば同じく真っ白な布団に寝かされていることが分かった。部屋が明るいことを見ればどうやらもう朝みたいだ。
奴隷になってからというもの朝まで一回も目を覚まさないと言ったことはなかったため、朝まで寝たことに何処か新鮮味を覚える。
体勢をそのままにして右側に視線だけを落とせば、金髪の彼女が幸せそうな寝顔で右腕にしがみついていた。どうやらあの温かさは彼女から来ているものだったようだ。
俺の右腕は感覚がなかった。それは右腕の怪我で神経が切れたせいであり、あの日からこの右腕はただついているに等しいだけだった。
しかし、今では確かに温かみを感じることが出来る。試しに腕を動かさないようにして手をグーパーと握ってみる。長いこと動かしてないため、握力自体が落ちているのか、時間がかかったが手は確かに思い通りに動いた。
どうやら俺の腕はどんな魔法を使ったのか分からないが無事に治ったみたいだった。
「凄いな、本当に治るとは……」
横で寝ている彼女を起こさないように起き上がろうと腹筋に力を入れる。しかし、結構な力で腕を掴んでいるようで離れる様子はなかった。
これではしょうがないとゆっくりと腕を離そうと左手で彼女の手を触った時だった。幸せそうに眠っていた彼女が目を覚ました。
「えへへ……。お兄ちゃんだぁー」
寝ぼけ眼で頭は未だに冴えていないのか、彼女は俺のより一層強く腕を強く抱きしめる。
「あぁ、シャル。お早う、起こしてすまなかったな」
「うんうん、気にしないで。もう一度寝ればいいからー」
彼女はそう言うと再び目を閉じる。
「あぁ、そうだな。とりあえず、聞きたいことがある」
「うん、なにー?」
「なんでお前が俺の横で寝てるんだ?」
とりあえず一番聞きたいことを聞いてみる。俺が意識を失ったのはソファーだった。こんな前世でも寝たことがないような柔らかい純白のベッドでは決してない。
「ジャンケンに勝ったからだよ」
「……は?」
「三人でジャンケンしてね、私が勝ったんだよー。だからね、お兄ちゃんを私の部屋まで運んだんだ」
言っていることはよく分からなかったが、とりあえずここがシャルの部屋だということは分かった。
見渡せば白をメインに統一された上品なデザインの部屋。どこかホテルのスイートルームの一室と言われても信用できる。いや、俺スイートルームに泊まったことないけどさ。元の世界の時から貧乏なんだよ、俺。
「すまない、シャル。寝るのは構わないが、離してくれないか。やることがあるんだ」
奴隷の朝は早い。個人に買われた奴隷ならなおさらだ。まず、朝ごはんをつくり、ご主人様を起こす。その次に掃除、洗濯、たまに魔物狩り。ようは、家政婦や執事のような仕事を求められる。それに昨日俺はリビング(後から聞いたところ、初めて転移してきたあの部屋がリビングらしい)の絨毯と床、そして風呂場へと続く廊下を汚してしまっている。そこの掃除もしなければ……。
しっかし、絨毯落ちるかなぁ……。後で、シャルに漂白剤か何かないか聞いてみよう。
再び、寝かけているシャルの肩を揺さぶる。
「えー、眠いよぉ。お兄ちゃんも一緒に寝よう」
シャルの朝の弱さは相変わらずのようだ。昔は布団を剥ぎ取らないと起きなかったし。
「悪いが色々とやることあるんだよ。この朝飯つくったりとかな」
あぁ、そういえば台所の場所が分からないけど、探せばすぐに見つかるかな。やっぱ、シャルに聞いておいた方が安パイだろうか。
「えー、お兄ちゃんが朝ごはん作るのー?」
「なんだ、嫌なのか? こう見えても奴隷時代、貴族に買われていた時は調理も担当してたんだぞ」
まぁ、家庭教師をしていた貴族の娘さんだけの分だけどな。必死になって料理を勉強したため、そこらの一般人には負けない自信がある。
そんな俺の軽い自慢をシャルは寝ぼけて聞いていないのか、マイペースに言った。いや、俺の唯一に近い自慢だぜ、聞いてくれてもいいじゃん。
「お兄ちゃんの料理かー……。えへへっ、食べるぅー!」
「よし、任せろ! じゃあとりあえず、腕を離してくれ」
あとついでに台所の場所も教えてほしい。
「うんうん、私も起きるから」
ようやくその時になってシャルは俺の腕を離して目をこすりながら起き上がり、両足の間にお尻を落とす形で座った。俗に言う女の子座りだ。
シルクの純白のパジャマは胸元のボタンが二個ほど空いており、形のいい胸が見えそうになっている。そして、ズボンは履いていないのか、白いむっちりとした太ともが見え、エメラルドグリーンのショーツが顔を覗かせていた。なんちゅう格好しているんだ。
思わず、顔を背けた。
「なんで、お兄ちゃん。顔を背けてるの?」
「お前、なんて格好で寝てるんだ」
「ん? 寝る時はラフな格好が寝やすいじゃん?」
「いや、確かにそうかもしれないが昔はパジャマちゃんと着てたじゃないか……」
「昔は昔、 今は今なんだよお兄ちゃん。私は日々成長しているのですっ!」
見ていないが間違いなく今のシャルは寝癖頭のまま腕をビシッとまっすぐに伸ばして、胸を張っていることに違いない。いや、間違いなくそうだ。頭が痛くなってきた。
「それにお兄ちゃんとティナとシャイロしかこの家にはいないんだから別にいいじゃん」
なるほど、俺は男に見られていないわけだ。いや、奴隷としては当たり前なんだが、なんか男としては悲しい。
微妙な顔をしているであろう俺を尻目にシャルは続ける。
「ねぇねぇ、お兄ちゃん! 着替えさせてっ!」
「は?」
何を言っているんだと言う前に体が勝手に動いていた。何と無く感覚が薄くなっていたが、俺は彼女の奴隷なのだ。今の彼女がそれを分かっていたのかどうかは不明だがだけど。
確かに奴隷に着替えさす貴族も多い。だが、彼女は俺と同じ孤児院出身だ。昔は自分で着替えていた。
ため息を吐く俺の内心とは引き換えに体はテキパキと動いていた。
ついでに彼女は何が可笑しいのか終始ニコニコと笑っていた。
……ん? 描写?
勘弁してくれ、何が楽しくて妹分の着替えを描写しなければならんのだ。ただ、一つ言えるのは目の毒だったということだ。精神年齢はおっさんでも体はまだ十八だ。ちーっと、思春期の体にゃ刺激が強すぎる。
頭痛がひどくなった気がするのはきっと気のせいではないだろう。




