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風呂から上がったあと俺は移転魔法で飛んできた部屋のソファーにシャルと二人で座っていた。とりあえず、汚した分を掃除しようと思ったのだが、何故かシャルにそんなことはやらなくていいよ、と止められソファーにでも座るように言われた。
掃除は明日にでもしようと思う。
あぁ、しかし床の汚れはともかくとして、あの絨毯は汚れ落ちるかなぁ。この世界って漂白剤とかあるのかな、見たことないけど……。あればいいなぁ、あんな絨毯弁償しろと言われたら一生かかりそうな気がする。
それ以前に職業、奴隷だから返せる見込み0なのだが……。
「ねぇ、お兄ちゃん……」
風呂上がりからずっと腕に抱きついている我が妹は何がおかしいのか俺の顔を見るとクスリと笑った。その少女はまるで聖母のような微笑みだった。
「どうかしたのか?」
「いや、本当にお兄ちゃんだと思って」
えへへっ、と目を染めて笑う妹はまるであの頃と同じだった。身長やスタイル、顔は変わっても中身は何にも変わっていない。
そのことが何故か俺は嬉しかった。
「なぁ、そういえば色々と聞きたいことがあるんだけどさ」
と口を開く。向日葵の家には三人の少女がいた。つまり、シャルを覗いてあと二人、ティナとシャイロだ。
紅い髪を持つティナと銀の髪を持つシャイロ。それぞれ俺が魔法と法術を教えた妹達だ。先ほどまでシャルのことで手いっぱいだったため聞きそびていたが、もう大丈夫だろう。
ティナとシャイロはどうしたんだ? と聞こうとした時だった。
後ろから魔力を感じた。
振り返ってみれば例の汚れてしまった絨毯に赤い文様が浮かび上がっていた。言うまでもない魔法陣だ。
なるほど、魔法陣がこの部屋にないのにどうやって移転したのか疑問だったが、絨毯に内蔵していたとはね。これでますますあの絨毯の価値が高まった。
魔法具。いわゆるそういう類にあの絨毯は入る。よく分からないと思うから詳しい説明はしない。ただすげーやつと覚えていてくれたらいい。元の世界で言えば外車的なやつだと思ってもらえたら間違いない。一般人にはとても手の届かないものだ。
これでますます弁償なんか出来なくなった。もう、あの上に乗るのも恐れ多い。
そして魔法陣が眩い光を放ったのちに現れたのは二人の人影。
その人影を確認する間もなく俺は何故かシャルに倒されてソファーに寝転ぶような形になった。
何をするんだ、と言いかけた俺にシャルは短く黙っててと命令する。奴隷になった俺はしばらくの間物言わぬ貝になるしかないようだ。
しかし、この体勢は毒だ。俺の上にシャルが覆いかぶさっているのだが、色々と毒だ。
なんで女の子っていうのは柔くて良い匂いなんだろうな。男子には一生分からない難問だ。
「あーあ、今日もダメだったぜ。一応奴隷売り場一通り回ったのに新しい奴隷にもいなかったぜ。ったく、一体どこの誰に買われたって言うんだよ」
活発そうな張りのある女性の声がする。その声色は炎を連想させた。
「しょうがないよ。かれこれずっと探しているけど見つからないんだもん。王都じゃなくて別の場所に行ったかもしれないし……」
今度は優しそうな落ち着いた女性の声がする。その声色はどこか月を連想させた。
どうやら移転者の二人は女性らしい。
「んなこと言ってもよ、もう国内はあらかた回ったぜ。今度は魔物退治にカッコつけて別の国行った時にそこで探すとするか? それにシャルの姉貴は相当きてるぞ。ここ数年は愛想笑いしかしないし」
「うーん、どうかしらね。奴隷商に買われないと奴隷市には出ないし、もう買われて売りに出せれないとどうしようも探しようが……。姉ちゃんだけじゃないよ。ボクもティナちゃんだってあの日からずっと笑えていないじゃない……」
「そう落ち込むなよ。誰が悪いってのは明白なんだし……。ってなんだこれ絨毯が真っ黒じゃねぇか! それに床も黒ずんでるし……。おいおい、シャルの姉貴がまた稽古なんて理由つけて魔物でも狩ってきたのか? こりゃ本格的に何とかしないと……その内国でも滅ぼしかねんぞ、ウチの馬鹿姉貴は」
馬鹿と言われたことが悔しいのか目を見開き口をムッとするシャル。怒る前にそこをどいてくれないだろうか、顔が近いんだが。
「とは言っても現状どうしようもないわ。それにしても酷い汚れね、どこに行ったのかしら。
まぁ、とりあえず 。
――――オリジナルスペル」
今度は俺が目を見開く番となった。オリジナルスペル。ようはオリジナル魔法だ。魔法を一から自分で構成した物。なんでも使えるだけで二つ名貰えるらしい。自称三流魔術師の俺には都市伝説だ。
ようは、ものすんげぇやつだと思ってもらえたらいい。さっきから、おんなじような事しか言ってなくてすまん。ボキャブラリー少ないんだ。前世から小説なんて読んでこなかったし、今世では魔道書や専門書ばかり読んでたんだ。小説なんて数冊、あの教会にあったやつしか読んでいない。だから今度、機会があれば小説でも読もうと思う。ボキャブラリーのなさには俺自身、自分で呆れてたところだし。
そんな俺のどうでもいい決意をよそに声は高速詠唱を唱え終わる。もう、俺は突っ込まん。オリジナルスペルの高速詠唱なんて文献でも見たことなくてもだ。
「浄化の光」
最後に声はそう呟いた。
「おうおう、綺麗になった綺麗になった。ついでに服と体まで綺麗になったな! しっかし、本当にすごい便利な法術だな、それ。シャルのバカ姉貴も移転魔法だけじゃなくてこういったやつも覚えれば良いのに。姉貴、才能だけはバカみたいにあるんだからさ」
馬鹿馬鹿言われて我慢の限界だったのかシャルはガバリと俺の上から退いて立ち上がった。
「バカって言う方がバカなんだもんねっ!」
あぁ間違いない。こいつ(シャル)はバカだ。正真正銘のバカだ。しかし、良かったこれで立ち上がれる。グッと腹筋に力を入れた。
「おっ、そこにいたのか。それにしても今日は元気がいいな! まるであの時みたい……に」
上体を起こした俺と喋っていた女との目がある。彼女の言葉が止まった。
まだ少女と言ってもいいその彼女は燃えるような紅い赤い髪をポニーテールにしていた。
目は大きくクリクリとして、口もとには犬歯が覗く、服はまるで絵本の魔法使いのような黒いローブに頭にはこれまた絵本にでてくるまんまのとんがり帽子。全体的に活発そうな印象を受ける。
そして、俺はもう一人を見る。
こちらもまるで本にでてくるような修道服。白がメインで所々に黒いあしらいがしてあるそれは、質素ながらにして上品な印象を受ける。首元には十字架のネックレスが下がっていた。
そして何よりも目を引くのはその髪色。シャルの金と対するようにその少女の髪は銀。曇り気ひとつない穢れをしらない銀だった。そのままドラキュラが触れば死んでしまうと言われても納得するくらいその髪は神秘的だった。
長さは短くショートヘア。それが彼女の少したれた目元と相まってこちらは少しだけ大人しそうな印象を受ける。
そして二人とも右手首に古ぼけたブレスレットをしていた。
「……や、やぁ」
別に美少女と目があったからこんなセリフを言ったんじゃない。
沈黙とバツの悪さから出せる精一杯の言葉がこれだっただけだ。何とも恥ずかしい限りだ。
「あ、兄貴……なのか?」
「に、兄ちゃん……なの?」
二人は俺を見ると目を見開いた。
「うんうん、私たちのお兄ちゃんだよっ!」
そしてシャルは何故か得意げにそう頷く。
「あぁ、うん。久しぶりだね、ティナ、シャイロ」
その顔は昔に比べると大分美人度が増したとは言え、間違えるはずがない。
だって自慢の妹だから……。
その俺の言葉を皮切りに、ティナとシャイロは未だにソファーに座るような形になっている俺に駆け寄るとそのまま抱きついてきた。
「あ、兄貴……会いたかった、会いたかったよ……」
「……兄ちゃん。寂しかったんだからね……ぐすん」
俺は黙って二人の背中を残っていた左手で撫で続けた。それにしても今日はよく美人に泣きつかれる日だ。
なんだか俺まで視界がぼやけてきたじゃないか……歳かもしれん。歳は取りたくないもんだ。
でも、とりあえず三人が生きてくれてて本当に良かった。俺が苦労してきたことは間違いじゃなかった、そう思えた。
きっと、右頬を伝う液体は汗なんだろう。だって、男の子は強いんだから泣かないんだぜ……。
そんな俺たちをシャルはソファーの横に立ちながら優しく見守っていた。シャルの頬にも涙が流れていたのはここだけの話だ。
こうして俺たち兄妹三人は無事に再会を果たした。育った街とは違い王都だが、それでも俺たちは五年ぶりに再会を出来た。俺は奴隷だけど、今はただ兄妹として再会させてくれ……。それくらいは罰が当たらないだろ?




