プロローグ
――――――あぁ、やっぱり。
……やっぱりか。
「――ごふっ」
口から漏れるは赤くどす黒い血液。ボタボタと地面に落ちていき、赤い赤い水たまりを作る。
決して綺麗でもない、観光客なんて誰も来ないような名も知らない裏路地を汚していく。
「お、お兄ちゃん! 大丈夫? なんで、私のために!?」
今日出会ったばかりの名も知らない白人の金髪の女の子が俺を心配してくれる。年の頃は小学校の低学年くらいだろうか、白人らしい白い肌と黄金の髪はスラムに住んでいるせいか所々黒く煤焦げていたが、それでも十分に可愛らしい。まるで人形のような愛らしさを持っていた。少なくともこんな場面でなければその愛らしさに心安らいでいただろう。
ごみ溜め(スラム)に暮らすというだけで、先進国に住む人たちはまるで本物のゴミを見る目で見下すが、そんなことはない。こんなにも優しい人間味溢れる子もいるのだ。あいつらの方がよっぽど人でなしだろう。
「……あぁ、大丈夫…………」
ヒューヒューと生きも荒く、血が溜まってろくに声もでない。もちろん、強がりだ。
肺を撃たれたのか、心臓を撃たれたのか、それともその両方を撃たれたのか? それは分からない。銃声は二、三発だったか。
まぁ、今となってはどーでもいいことだ。撃たれたことは初めてだが、自分の体は自分自身がよく分かる。
――――手遅れだ。
どうしようもなく、手遅れだ。
ヒューヒューと呼吸になっているかも分からない呼吸をして、一応形上では壁を背もたれにして立ててはいるが、それもやせ我慢の上だ。
撃たれた拳銃の口径が小さかったのか当たりどころが良かったのか、それは分からない。分からないが即死ではなかっただけ儲けものだろう。
いや、いっそ即死の方が苦しまなくて逝ける分良かっただろうか。中途半端に運が強いと困るってもんだ。
そして、思う。
――――――あぁ、やっぱり俺は“主人公”じゃないみたいだなぁ。
こういう時、俺が“主人公”であるのならきっとこの少女を救えた上に拳銃が急所を外れて俺はきっと生き残れたのだろう。
俺が“主人公”だったのなら、このスラムを改善する方法を思いついて、その持ち前のカリスマで瞬く間にその計画を実行するだろう。
それが、実際はどうだ。銃弾はものの見事に少女を庇った俺の急所にヒットしている。
スラムに入る前に自分を守るためじゃなく、見ず知らずの他人のために死ぬ目を見ている。
いつだって、「自分自身を優先する」と言っていた俺はどこにいったのやら……。
しかし、これで良かった。小さな女の子が目の前で撃たれて死ぬのを見るよりかは何倍も何十倍もマシだ。“若く可能性がある”というだけで、この世界において“もう成人してダメだった、可能性のない”俺よりも何倍も存在価値がこの子にはあるのだ。
血が回ってないせいか、イマイチろくに考えが回らないが、つまるところ、俺が彼女を助けた本当の理由は、
「嘘っぱち! 何で、なんでなの! なんで出会ったばかりの私を庇ったの!?」
「ごふっ……あぁ、そんなの簡単だよ。主人公にはなれなくてもさ。……万人を……助けることは無理でも……困っている人を助けるのに理由はいらないのさ……ごふっ」
と、言うちっぽけな志だったりする。何もない俺だけど、自分の志と意地くらいは通したいんだ。それで死ねれば満足この上ない。男の子にはやらなければいけない場面がどこかであるもんだ。その場面が俺はここだ。
……あぁ、ダメだ。ふらついて上手く立てねぇや。
「お兄ちゃんっ! 大丈夫!?」
片膝をついた俺に慌てて駆け寄る少女。あぁ、いけない。こんな年端も行かない子に心配されるなんて、本当にダメだなぁ。
「……ごふっ……大丈夫だよ」
そう精一杯の笑みを浮かべておく。笑顔がゆがんでないか非常に心配だ。助かった少女が変な笑顔でトラウマになっては困る。それ以前に血だらけの人間でトラウマになるかもしれないが、気合で血ばかりは止められん。許せ。
「ごはっ……ごふっ……ごはっ」
あぁ、喋ると血が溜まって仕方が無い。気づけば地面が真っ赤だ。たっく、最後の最後まで締まりがないのは俺“らしい”。
「ダメ! 喋ったら! あぁ、そうだ私、お医者さん呼んでくるね! 街に行けばお医者さんがいるんだ! そこで見てもらえば!」
「……はぁはぁ。大丈夫だ。お兄さん、こう見えてなかなか丈夫なんだよ。……それよりも、キミの名前を教えてほしい」
少女の手を取りたいが、あいにく手は血だらけだ。それにどうやら、本格的に時間はないみたいだ。撃たれた傷口が熱いから寒いに変わりやがった。体の芯から冷えていく。体の体温を全て奪われた時が俺の終わりだろう。
あぁ、目が見えねぇ。
「“ ”!“ ” !」
“ ”……? どこかでその名を聞いたことがあるけどどこだっけ。まぁ、いいや。今更誰でも関係ないか。
「ごふっ……“ ”ちゃんか。いい名前だね……はぁはぁ……そこに転がっている俺のカバンの中に財布とかカードとかが入ってる。……暗証番号は財布の中にメモがあるからそれをみて現金おろして欲しい。全てはキミにあげるよ」
一気に喋ったからか息も絶え絶え。あぁ、運動はしてきた方なんだけど、どうやらこう場面では生かせないらしい。一個、ためになったな。もう、使う場面はなさそうだけど。
貧乏大学生がバイトで貯めたなけなしの貯金だが、物価の安いこの国なら一人の少女が高校を出るくらいにはどうにかなるくらいの残高はあるだろう。貧乏旅してて本当に良かった限りだ。
「――――――――! ――――――――!」
あぁ、とうとう耳もダメになりやがったか。目もダメで、耳もダメか。本格的に時間はないか。ペッ、と口にたまりに溜まった血を横に吐き捨てる。後生だから許してくれ。
「あぁ、ごめんな。もう、お兄さん、耳も目もダメなんだ。だから、最後に一言だけ勝手に言うな、できれば覚えて置いてくれれば助かる」
別にかっこいい辞世を思いついたわけでも、なんでもない。ただ俺がいた事実をこの世に残したい。ただ俺のわがままだ。
「俺は弱かったから一人しか、救えなかった。でも、キミなら。“まだ若く可能性のある”キミなら多くの人を救えるかもしれない。……正義の味方に成れとも英雄になれとも言わないけどただ、一つ。真っ直ぐに自分の正義に生きて欲しい……」
「――――!――――――――!」
あぁ、ダメだ。何にも見えないし、聞こえない。
――でも、間に合った。
言いたいことは全部言えた。これならもう悔いはない。
最後の言葉が中二病くさい説教じみた言葉になったな。黒歴史間違いなしだが、これで俺の人生も終わりだ。なら、まぁ、最期くらいいいんじゃないか。
全身から力が抜けていく。目の前の真っ黒が真っ白に変わっていく。
そして、ゆっくりと意識はなくなった。