もうひとつの方法
「まだ徹平様は死なないみたいですね……」
「当然です!」
私、瀬尾小春。ただいま自室で学校のレポートを執筆中。
とりあえず人型ペット『猫山』は、うちに閉じ込めてさえおけばよい。そういう結論に至って数日が経ちました。
目下の心配は、二人入居不可という契約に違反していることがばれて、猫山と一緒にマンションを追い出されること。
徹平くんは相変わらず忙しそうにしていて、あまり顔を合わせずにいます。
しかしその猫山は、相変わらず存在自体が邪魔です。
今もまとわりつかれて迷惑しています。
「ご主人様。ご飯はまだですか」
「まだです! ああ、パソコンを触らないで!」
「まだですか、まだですか」
「じゃれるなー!」
猫耳ともふもふのしっぽをつけた美青年に押し倒される私。
なんでしょう、このシチュエーション。ドキドキしていいのかぐったりしていいのか、なんなのかわかりません。
猫山を”飼う”のは、予想以上に大変でした。
普通に私と同じものを、成人男性並に食べるし。しかもご飯をあげ忘れると、例の警報が虐待を訴えるんです! 未来のペット管理事情、恐ろしいです!
「このままうちにいられると、本当に結構困る……二人分の生活費なんてないよう」
猫山は私に覆い被さったままごろごろしています。もはやドキドキとかそんな段階をすっ飛ばして、ただ苦しいです。
「そう言われましても、目的を達成するまではどうにもなりません」
「それが出来ればいなくなってくれるの?」
「はい」
「警報、鳴らない?」
「……関係ございません」
よくわかりませんが、これはさっさとミッションコンプリートしてもらわないとなりません。
でもなあ。徹平くんが死んじゃうのはイヤだしなあ。
「殺す以外の手段はないの? そうだ、徹平くんに全部説明して、20年研究を待ってもらうってのは?」
「その方法だとどうしても邪魔が入るという計算結果が出ています」
「そうなんだ……」
「一応、手立てはなくはありません。計算上は」
私は意外な返答に驚き、猫山を押しのけようとします。
「あるの!? 教えてよ!」
「もっと残酷な手段になりますけど」
「え……ええ~……」
それは無理です。徹平くんを残酷な目になんて遭わせられません。
無理です……が。
「一応、一応聞いておく……」
猫山は私から身体を離し、こちらの目をまっすぐ見つめて言いました。
「研究も何もないまま、学生結婚して、平凡に暮らすという恐ろしい手段があります」
「……え?」
「学生結婚ルートは、惨劇を引き起こしません」
「え? それって恐ろしいの?」
ぽかんとしている私に、猫山は真剣な表情でまくし立てます。
「恐ろしいですよ! 人生の終わりです。自分のやりたいことやキャリアを捨てて生きながらえるなんて、拷問です。生き地獄です。生殺しです。すんなり死なせてあげた方が彼のためです」
「そ、そうかなあ……」
結婚なんてハッピーなことで未来の人も救われて、徹平くんも死なずにすんで、猫山問題も片付くのなら、それが一番いいんじゃないのかなあと思うけど。
でも。学生結婚。
学生結婚かあ……。
「は、恥ずかしいなあ。徹平くんと結婚なんて」
思わず顔を真っ赤にしてもじもじしてしまう私。
「なんでご主人様と結婚するような話になってるんです? お相手は誰でもいいんですよ?」
「えっ? ……あっ、そうか」
思いもよりませんでした。
徹平くんが、どこかの女性と結婚する?
しかもそれを私が斡旋する?
……。
や……やだ!
そんなのやだ!
そんなことは、恐ろしすぎます!
真面目で優しい徹平くんとの、いろいろな思い出が脳裏に浮かんできます。
小学校に手をつないで通ってくれたこと。
おやつを分けてくれたこと。
男の子にからかわれたときに、守ってくれたこと。
宿題を手伝ってくれたこと。
柔らかいふにゃっとした笑顔。
私が、ずっと徹平くんと一緒にいるの!!
徹平くんと結婚したいなんて、そんなことは今まで考えたことがなかったけれど。
でも、他の誰かのものになるなんて絶対にイヤです!
「わ、私がいいの」
「そうなんですか?」
「どっかから用意するより、一番てっとり早いじゃない!」
「ご主人様が徹平様の好みじゃない場合、遠回りになる可能性がありますが」
「そ……! そんなことあるわけ……あるかなあ……」
そう言われると、自信がなくなってきます。
私は徹平くんと仲良しだし、大切にされているけど、彼女にするにはお断りだったりするのでしょうか?
「まあ、いいんじゃないですか」
「でしょう!?」
喜ぶ私に、猫山はさらりと言い放ちました。
「『この程度のレベルの女に、付き合えると思われた……』と、死にたくなってくれるかもしれませんし」
酷いこと言うよね!?
◇ ◇ ◇
その夜遅く、私は徹平くんが帰宅する音を確認してから、彼の部屋のインターフォンを鳴らしました。
「小春? どうしたの?」
「あの、徹平くん。常備菜に肉じゃがをたくさん作ったから、良かったら貰って。なかなか徹平くんに渡せなかったけど、明日くらいまでは問題なく食べられるから」
「ありがとう。美味しそうだ」
二人の間を沈黙が流れます。
ほら、瀬尾小春。頑張って。
「結婚してください」って言わなきゃ!
その為に、ただお隣に来るだけなのにこうしてお風呂後なのにお化粧もして、髪の毛も念入りにブローをして、とっておきの香水もつけて、一番のお気に入りの可愛い服も着たのに。
……冷静に考えると、頑張りすぎておかしなことになっているかもしれません。
でも、これだけ気合いを入れても。
「結婚して」なんて言う勇気はありません。
第一、いきなり言われても、徹平くんはきっと困るんじゃないかしら。
どう考えても、勢いで先走りすぎたような気がしてなりません。
そうです。まず、段階を踏まなきゃいけません。
だって私たち、兄妹みたいに育ってきたけれど、一度もデートすらしたことがないんです。実は。
そんな状態で結婚を申し込んでも、徹平くんが恐怖の余り寝込んでしまうかもしれません!
私がどきまぎしながらうつむいていると、徹平くんが先に口を割りました。
「……今日の格好、可愛いね。どこか出かけていたの?」
あ。
徹平くんが可愛いって言ってくれました。
嬉しいです。
猫山はあんなことを言っていたけど、そこまでダメダメな女の子には見られていない気がします。
今なら、おでかけに誘うくらいは簡単なことかもしれません。
私は勇気を振り絞り、顔を上げます。
「あのね、徹平くん……!」
「もしかして、あいつとデート帰り、とか……」
は? あいつ?
あいつ?
猫山のだらだらしている姿がよぎります。
「うううううん!?」
猫山とデートしていたと思われた!? なんかすごく屈辱です!!!!
「なんだよ、その変な反応は」
「う、ううん、びっくりしただけで、その、特に意味はなくて」
「小春。親御さんのことを考えるんだよ? 変なことはしないんだよ? 僕は、小春のご両親から固く固くお願いされて……」
「わ、わかってるから!」
「本当に?」
徹平くんの真剣なまなざしと強い口調に気圧されそうです。
「……徹平くんは、うちのお父さんとお母さんから言われたから、そんなに私の心配をしているの?」
「……そうだよ?」
「……それだけ?」
徹平くんは怒ったような顔になりました。
「こ、小春は。小春は、僕の妹みたいなものだって言っているじゃないか!」
言い終わると同時に、徹平くんは玄関のドアを閉めました。
部屋の前にひとりぽつんと残される私。
ふと夜風に晒されていることに気づき、寒さに思わず自分の肩を抱きます。
ぽとぽとと歩き、自分の部屋に戻りました。靴を脱いで上がり、ベッドに倒れ込み、かけ布団を被ります。
洋服を着替えなきゃ。擦れて毛玉が出来たら勿体ない。
お化粧を落とさなきゃ。お布団にファンデが付いちゃう。
でもなんだかとても悲しくて、気力が沸きません。
私は徹平くんに、女の子として見られていないのでしょうか?
そうぐずぐずしていると、猫山が無言でベッドにもぐり込んできました。
「ちょっと……狭いんだから……」
そんな私の言葉にお構いなく、彼は私の横で丸くなります。
あったかい。
今まで気にしていませんでしたが、猫山はその銀色にクールに整った容姿の割に、とても体温が高いみたいです。
広い背中。ほっとする、ぬくもり。
なんの役にも立たないと思っていたけれど。ただ邪魔なだけだと思っていたけど。
”彼ら”は未来で、こういうものが欲しかった人たちのためになっているのかもしれないなあとちょっとだけ思いました。
彼の銀色の髪を触ります。
指通りの良いさらさらの髪の毛が、とても気持ちいいです。
ぼんやりといじりつづけていると、猫山が身体をねじり、顔をこちらに向かせました。
「あ、ご、ごめん、嫌だった?」
「いいえ。とても気持ちが良いです」
なんだかこうしていると、大型犬と遊んでいるみたいです。
私の頬が緩んだ瞬間、目の前の綺麗な顔が歪みました。
「ご主人様。香水臭いです」
もう!