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狐たち  作者: nutella
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 小倉のオフィスには数人の刑事が詰め掛けていて、皆口々に文句を垂れている。

 時刻は午後三時半。小腹が空いてくる時間帯。

 カチェートは出先から戻ってきたばかりだったので、騒ぎを知らなかった。小倉への報告のため、開け放たれたオフィスのドアをくぐろうとすると、不平の怨念まとった集団は、ちょうど出て行くところだった。ぞろぞろと引き返しながら、口汚く悪態をついている。何の騒ぎかさっぱりわからず、あっけに取られた思いで見送っていると、ひとりの若い女性刑事がカチェートを振り返った。

「ねぇ、あなたからも言ってやってよ」

 ぽつぽつと吹き出物が浮いた肌を巻き込んで頬は紅潮しており、相当腹に据えかねる出来事があったのは確かなようだ。なにがあったのか聞き返すカチェートに彼女は、

「カップケーキ! 独り占めしてるのよ。ほんと信じらんない、どれだけお腹減ってるっていうのよ。次やったら撃ち殺してやるんだから」

 そう言って部屋の奥にいる小倉をひと睨みして、見えない棒を振り回すかのように腕を振った。ぷりぷりと肩をいからせて去って行く。

 彼らが消えるとカチェートは、座るというよりは嵌り込むと表現した方がいいような、どっかりとデスクに着く小倉と二人きりになった。小倉は右手にオレンジ色のカップケーキ、左脇にクリーム色の紙箱を抱えている。そして口いっぱいに小麦粉と砂糖とバターと卵を練って焼き上げたお菓子をほお張っている。咀嚼する顔つきは滑稽なほど真剣だ。その様子はどこか食いしん坊の幼児を思わせる。抱えた箱は押し込めば成猫が一匹入りそうなほど大きめで、各面にはケーキショップの名前が瀟洒しょうしゃなロゴと共に印刷されている。署の近くにある店で、欲しい人たちでお金を出し合って、毎週金曜日のこの時間帯に配達してもらっているのだ。カチェートは最初、何となく一緒に頼んでいただけだが、今ではベリー系が好物になっている。

 気まずい沈黙の末、カチェートは口を開いた。

「小倉さん、それはさすがに……」

「ドアを閉めろ」

 もぐもぐとひとしきり口を動かし、ごくりとカップケーキの残骸を飲み下すと、小倉は言った。カチェートが後ろ手に閉めると、雑多な話し声は消え去った。

「女ってのは本当にやかましいな。股じゃなくて口から生まれたんじゃないかと思うよ」

「いったいどうしたんですか?」

「先にそっちの用件を言え」

 もったいぶることでもないだろう。そう胸の中で愚痴りながらも、カチェートは頭を切り替えた。コートの前をはだけ、スーツの内ポケットに手をやると、

「先週カジノで起きた強盗ですが、監視カメラのデータ、押収できましたよ。渋っていたのはどうやら、ディーラーがイカサマをするシーンが映っていたからのようです。そっちで引っ張るつもりはないことを伝えたら、なんとか承諾してくれました」

 そう言って指先に挟んだ磁気ディスクを振った。小倉はようやく脇からケーキの箱を離すと、その面構えとは裏腹に、几帳面に整理されているデスクに置いた。

「それだけか?」

「あ……いえ、道中チェックしてみたところ、犯人と見られる男が事件の数日前に下見に来ている映像がありました。それに、換金所の女性の証言にも微妙に食い違うところがあります。もしかすると、共犯の可能性が――」

 小倉は空いた手で、デスクに散らばったカップケーキのかすを払い落とした。それはそのまま、カチェートの台詞に対するあてつけでもあった。

「鈍い奴だ。私が言ってるのはな、一ヶ月も前に終わった事件をひとりでこそこそ嗅ぎまわって、それに対する申し開きはないのか、ということだ」

 意表を突かれ、カチェートは口ごもった。

「ふん、どうやらばれていないと思っているのはお前だけらしいぞ」

「……どういう意味ですか」

 見ろ、と言いながら、小倉はポケットからハンカチでくるんだものを取り出す。デスクの上で解いてみると、中には油っぽく光る弾丸がひとつ入っていた。一般によく見る、背が低く丸みを帯びたパラベラム弾とは違い、全体が鋭く尖っている。ライフル用らしい。人差し指ほどの長さがある。

「強磁性クロム・コア弾――加速装置付きの超長距離狙撃で使う専用弾だ。帯銃許可を持っていても、こんな物騒なもの普通じゃまず手に入らん。マフィアでもないだろうな。私しか食べないシナモン味のケーキに入っていた」

 カチェートは絶句した。小倉はそんな彼の様子を鼻で笑い、

「そら、見てみろ。いつもお前が選ぶラズベリー味だ」

 と、紙の箱からピンク色のカップケーキを放った。危なげなくそれを受け取ると、カチェートは数秒の逡巡の後、むりむりと二つに割った。すると粒状の果肉を混ぜ込んだ生地の裂け目から、同じように不吉な形状の弾丸が現われた。

「ざっと見たが他のには入っていない。ご丁寧にも、私とお前の好みに合わせてくれたわけだ。泣けてくるほどの思いやりだな、カチェート?」

 カチェートは動揺したまま、応えられなかった。小倉はナプキンで手を拭き拭き、

「どうやって入れたのか、誰が入れたのか、どうして私が選ぶ味を知っているのか……考えるだけで気が狂いそうだ。来週にはもっとシンプルに神経毒のカプセルでも混ぜてくるかもな。何にせよ、メッセージとしてはこれ以上なくわかりやすい。そう思わんか?」

「……これ以上首を突っ込むな、ですか」

「わかったら大人しくしてろ、私を巻き込むな。上が決定したことには黙って従え。どうしても嫌なら刑事を辞めて、探偵ごっこでも始めるんだな。数日中に内臓ぶちまけて死ぬのが目に見えているが」

「ですが」ケーキとディスクを机に上に置くと、カチェートは反駁はんばくした。「あんな風に捜査を打ち切られて、小倉さんは納得できるんですか?」

 小倉は天を仰いで目を回した。まるでそれは、甘っちょろい若造の言葉に酔いが回り始めたと言っているかのようだった。

「おい青二才、正義の青写真なんてないんだよ。真実は確かにひとつだろうが、解釈としての事実は幾通りもある。特に政治や軍事が関わるとき、私らのような下っ端はどこかで妥協点を見つけなきゃならん。少なくとも調査の結果として爆弾は見つからなかったことになったし、《タブラ・ラサ》北部支局局長はヘリの墜落事故で死亡したことになった。だが、結果を見れば戦争にはならなかった。数千人単位の死者も出なかった。こうなると、捜査が終わりだと言われれば納得するしかないんだよ。警告のやり方を見たってわかるだろう。この件はどこまで上が絡んでいるかわかったもんじゃない。いいか、カチェート、眠れる虎を起こすな。片付けたおもちゃ箱をひっくり返すな。以上、これは命令だ」

 そう小倉は一息に言って、突き出した指をゆるゆると下ろす。そして、目の前の若い刑事とケーキショップの箱の間で視線をさまよわせた。やがて我慢できなくなったのか、厚い唇をべろりと舐め、箱の中に手を突っ込む。取り出したのはクリームチーズ風味のケーキ。女刑事の好物だ。シートをむしるように剥がし、大口を開けてかぶりつく。

「……んぐ……それに……うむ、うまいなこれ……いいか、たとえお前が真相を暴こうと躍起になったところで、クーリロワは戻らんぞ。そもそも、あの女が嬌声を上げて抱きついてくるシーンなんて想像できんだろ……おお、考えるだけでぞっとするな……とにかく、彼女が出て行ったのは自分の意志だ。《タブラ・ラサ》と戦うためでもない。そんなことわかっているだろう」

 カチェートは少しの間、反発するように小倉を見つめ返していたが、やがて目を伏せ、はぁっと深いため息をついた。

「元気でやってるんでしょうか」

「先日連絡があったそうだぞ、奥方の方にな」親指から順にちゅぱちゅぱと吸い上げ、「まあ当然というか、長官はかなり沈んでる。愛娘が家出をしたというのも、あの少女――ツォエといったか、彼女を養子にするのを拒んだせいだからな。そのことで奥方から毎日責められているらしい。聞いていて無関係の私でさえ気の毒になるよ」

 当人たちにとってはおそらく深刻な問題なのだろう。しかし、それでいてなんだか気の抜けた、日常の話題にも聞こえるのだった。

「ふん、環境ジャーナリストに戻ると聞いたときは気でも狂ったかと思ったが、夢見がちな女なんだ、好きにやればいいのさ。目尻に皺が浮いて引き取り手がなくなるころには、自分の馬鹿さ加減がわかるだろう」

 小倉は椅子から腰を浮かせ、磁気ディスクに手を伸ばした。デスク脇のパソコンのディスクトレーに入れると、マグカップの紅茶を啜り、おもむろに口を開く。

「それにしても世も末だ。そう思わんかカチェート。あんな可愛い女の子が汚染地帯出身とは……。ショックだよ、そうでなけりゃあ私が預かったってよかったんだが」

 この男はどこまで変態の自覚があるのだろう――そんなことを真剣に考えながら、カチェートは曖昧に頷いた。

「しばらくは治療でしょうね」

「下手に中断すると、振戦せん妄に似た症状を起こすらしい。しかし、どんな後ろ盾があるんだか気になるな。大金持ち専用の私立病院だぞ? 《窓》の王族やら政府要人御用達だと聞いた。信じられんよ、いったい誰が手配したんだか……」

「何となくわかりますよ」

 ほう、と小倉は片眉を吊り上げた。カチェートはコートを脱いで隅の木製ラックに掛けると、映像の説明をするために小倉の隣に立った。カジノで起きた強盗が、再びディスプレイ上で繰り返される。何度か一時停止をさせながら、カチェートは要点を押さえて説明していく。途中、珍しく気を利かせた小倉がケーキの箱を突き出したが、彼はかぶりを振った。

 替わりに、デスクに置きっぱなしになっていた弾丸入りラズベリーカップケーキを手に取った。

 半分にむしる。かぶりつく。甘酸っぱい、野性味ある果物の香り。

 これが失恋の味ならそう悪くはないかもしれない――そんな気取った考えをする自分に、彼は頬を緩めた。隣では、小倉が狐につままれたような顔をしている。



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