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狐たち  作者: nutella
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 やがて、車体に伝わる振動が弱くなる。道路の舗装が変わり、私有地に入ったのだ。造林を突っ切る細道を、速度を落として走っていく。遠目からでも、夜の闇に浮かぶ豪奢な屋敷が目に入る。屋敷は、防壁と呼んだ方がしっくりとくるような高い塀に囲まれており、道の行く手にはひときわ明るくライトアップされた正門が待ち構えていた。門は鋼鉄製の柵。

 運転手は正門の前で車を停める。インカムを装着すると、先に車を降りた。そして、正門の脇に取り付けられた端末に暗証番号を打ち込むと、だぶついた顎を上げ、上部のスリットに目を合わせた。間もなく、スリットから青色のレーザーが投射され、運転手の顔と網膜情報を読み込んでいく。

「おい、PP―2」

 スーリヤが座席から立ち上がりながら、山葉をオペレーションコードで呼ぶ。山葉は頷くと、身元照合と開門作業をする運転手から目を離す。そしてフルフェイスシールドと呼ばれる、モーターバイクのフルフェイスヘルメットによく似た黒塗りのそれを、頭にすっぽり被る。

 がちん、と噛み合わせのギアを接続して頚部の連結固定具をロックすると、強化服のセルバッテリーから電源供給が開始され、視界を覆う透明なシールド部に数秒起動画面が、次いでスクリーン素子の透過光量を基とした光量補正が行われる。真っ昼間とは言わないでも、充分な明るさを得る。 

 会社のロゴが入った薄手の白のレインコートをまとい、スーリヤに続き車外に降りる。口元の吸気孔から出る息は白かった。強化服の耐熱層が夜気を遮断していなければ、これから始まる八時間の警備など、とても耐えられないだろう。

「どうだ、聞こえるか」

 スーリヤの声がシールド内のスピーカから再生される。感度良好だ、と山葉は返す。

「しつこいようだが、任務の最終確認をする。ここではあんたも一応、新人だからな」

「ああ、頼む」

「警護対象は、FA、MA、それからCCが一匹、それだけだ。CCはローシェンと呼ばれる愛玩犬だ。“子供代わりに犬を飼っている金持ち夫婦”って認識で間違いない」

 似た職種でも、例えばボディガードなら依頼人との緊密性から、詳細なプロフィールを知ることが必要とされる。しかし警備員の場合、最も重要なのは近辺の安全を保つことである。

 淀みなくスーリヤは説明を続けた。

「二四時間警備がクライアントの希望で、俺らの担当が二十一時から〇五時までの八時間となっている。休憩は二時間毎に十五分、交代で取る。それから、二人しかいないが、PP―1の俺がリーダーだ。HQ――本社への報告も俺がやる。しかしHQから直接指示がある場合はその限りではない。PP―1が正門近辺を、PP―2が裏手に当たる車両専用門周辺――敷地内南を警備することになっている。いくら時間の進みが遅くて退屈だからって、間違っても塀の上に石とか投げるなよ。センサーが反応する。別の場所でだが、やらかした間抜けがいる。これはまた、日を改めて運転手に聞かせてもらえ。奴のとっておきの話だ」

 ちょうど言い終わったところで運転手が振り返った。スーリヤは山葉に頷きかけ、ゲートに向かって歩を進めた。

「準備はいいか? もう開くぞ」

 幅四メートルほどもある門の柵の間から見通せるのは、常夜灯の琥珀色に浮かび上がる、映画のセットのような光景だ。石畳の小道が芝生をまっすぐに伸び、水の止まった噴水を中心に十字に分かれ、屋敷を取り囲むように続いている。屋敷は二階建てで、白を基調とした壁面と煉瓦色の屋根の対比が美しい。壁面の低い位置に採光窓があり、地下にも同じように部屋があることがわかる。やがて鉄の軋む音がして、ゆっくりとゲートが開き始める。スーリヤに続き、山葉が進もうとしたときだった。

「……なぁ、行く前にちょっとだけいいか」

 踏み出しかけた山葉に、運転手が言う。

「ちょっとだけ、あんたに聞きたいことがあるんだ」

 開き切ろうとするゲートを尻目に、山葉は頷いた。

「ああ、俺で答えられることなら」

「その、だな」と、運転手はおずおずとした口調で切り出した。「や……山葉さんは戦争になると思うか?」

 不意を打たれ、山葉は言葉に詰まった。

「な、なぁ、どう思う……?」

 下から見上げることに慣れた目つき。きっと自分と同じように、 真相究明委員会の最終調査報告が近い、というニュースを耳にしたのだろう。そうだな、と山葉は言った。

「正直なところ、可能性はゼロではないと思う。今回、犠牲になったのは難民だけじゃない。タブラ・ラサの職員もだ。万が一、報告書の内容がそういった事情も汲んで、統一革命戦線を糾弾するものだったら、開戦にいたる可能性は充分に……」

 と、そこで山葉は口を閉ざした。どす黒い不安の旗が、運転手の顔ではためいていた。それは皺の深く刻まれた彼の顔を、更に年老いたものに見せた。山葉は理解する。ここで彼が聞きたがっているのは、そんな率直な言葉ではないのだ。

 山葉は唇を湿らせ、だけど、と続けた。「だけど、まずそうはならないだろう。統一革命戦線は一貫して否定し続けているし、なによりも、空爆が誰によるものか確定するための証拠がない。言ったように俺は記憶喪失で証言はできない。現場で検出されるのも、せいぜい燃焼後の爆薬の化合物だ」

「しかし、生存者はもう一人いるんだろう? あんたはできないとしても、そいつがもしへたな証言でもしたら……」

「自分でも言っていたじゃないか、もう一人の生存者は子供だって。詳しくは知らないが、俺も一〇歳前後の少女だと聞いた。証人保護の観点から、俺とは違う病院で治療を受けたらしい。だけど冷静に考えてみればわかるはずだ。国防の方針さえ揺るがしかねない決断に、高々一〇歳の、しかも教育もまともに受けていない難民の子供の意見なんか聞くか?」

「それは……うん、もちろん聞かんだろうが……」

「だろう?」できるだけ軽く聞こえるよう、山葉は言った。「最終報告の内容が“真相不明”で終われば、しばらくは世論が騒がしくなるだろう。時間と金を浪費して、結局なにもわからなかったのか、って。だけど一過性のものだ。すぐに収まる。誰だって、心の底ではそう望んでいる。三ヶ月――もうそれだけの時間が過ぎたんだ。最終調査報告の内容はともかく、今頃血生臭い真似は……」

「そうか……そう、そうだよな……?」と運転手は臆病な笑みを浮かべた。

 そこで先に敷地内に進んでいたスーリヤが振り返り、手を振る。いい加減にしろ、と言いたいのだ。確かにゲートを開けっ放しにしておくのはいい考えではない。山葉は踵を返す。

「――逃げるのは恥だが、死ぬよりはましだ」

 彼の背中に向けて運転手は言った。

「あんたのようなエリートに、余計な忠告だとわかっている。だがお返しにひとつだけ言わせて欲しい。あの女――クーリロワの緊急時のオペレーションは、無謀としか思えないようなものばかりだ。自分にとってなにが一番大事かよく考えるんだ。俺らは金のためにここにいる。氷の女王の下僕としていいように使われて、ろくに知りもしない依頼人のために死ぬ――そんなの馬鹿のすることだ。そうだろう?」

 山葉は顔だけで振り返った。運転手の顔には、まだうっすらと怯えが入り混じっているようだった。その表情は、響板を叩くハンマーのように彼の記憶を震わせ、ある顔を思い出させた。

 自分に偽りの証言を強要した、国家安全保障庁と名乗った男の表情。

 先の追想の続きが、まざまざと蘇る。

 

 包帯を解き、髪をわしづかみにされたとき、山葉は男の手を掴み、睨み返した。途端に男は青ざめた顔をして、自分に手を出すとどういう結果になるか、いかに後悔する結末を迎えるかと、口泡を飛ばして語った。しかし山葉は暴力に頼るつもりはなかった。ただ言い返せずにはいられなかっただけだ。

 だが、そうして山葉が口を開こうとしたと同時、がちゃりと音がしてドアが開け放たれた。現れたのは、スーツ姿の、サングラスをかけた四〇歳前後の男だった。プラチナブロンドの頭髪をオールバックにしており、唯一表情を読み取れる口元には、不敵な笑みが浮かんでいる。

「お楽しみ中、邪魔をして悪いな。ノックはしたんだが」

 まるで悪びれた様子のない言い方。

「……クロフスか」他の誰かを想像したのか、男はほっとした表情を見せた。山葉の手を払い、ドアの方に向き直る。「委員会のメンバーがこんなところに何の用かね? 聞き取りはまだ終わっていないぞ。話なら後で――」

「聞き取り? おもしろい表現をする男だな、お前は。俺にはとてもそうみえなかったが」

「そ……、それは、こいつが強情なせいだ。そもそも、聴聞の方法は依託された時点で私たちの裁量に委ねられている。外部から口出しされる言われはない」

「外部じゃないさ。俺は委員会のメンバーである前に、《タブラ・ラサ》北部支局局長だ。つまり、その男の上司にあたる。なら、身内がどんな扱いを受けているか知りたいのは当然じゃないか」

 クロフスはもう笑っていなかった。

 言葉の節々に秘められた凄みに気付くと、男はごくりと唾を呑んだ。

「おいクロフス、私はお前の敵じゃない。軍の融通の利かない連中と同じにするな。あんたもこいつの証言を心待ちにしているはずだ。支援だ何だのと言ったところで、結局は戦争屋だ。なら、この方針には賛同だろう? 世界的PMCとして汚名を払拭するチャンスだ」

 クロフスはすぐに返答はしなかった。無言のままじっと男を見つめた。

 男の顔が引きつる。耐え切れなくなり、口を開きかけた瞬間だった。

 クロフスは破顔した。「そうだな」と言う。

「お前の言うとおりかもしれない」

 それを聞くと男はあからさまに安堵したようだった。

「なら――」

「なら、後は俺に任せておけ。身内での話だ。部外者がいるとやりにくい」

「し、しかし、あんたは委員会のメンバーじゃないか。直接証言者になる男と接触するのは……」

 おい、とクロフスは言った。「二度同じことを言わせるなよ」

「わ……、わかった」

 男が踵を返し、ドアに向かう。クロフスが脇をあけ、男を通す。ドアノブに手をかけたときだった。「ああ、ところで」クロフスが何気ない口調で言った。男が振り向く。

「――お前の“聞き取り”のやり方だがな。なんだありゃ。かっこいいとでも思ってんのか? ぴったりくっついて、恋人の語らいみたいだぞ。ひょっとして大好きな映画の真似でもしてたつもりか? だったら次からは恋愛映画じゃなく刑事ものでも見ておくんだな。いや、俺からのささやかなアドバイスさ」

 男の顔がみるみるうちに赤くなる。震える唇で「失礼する」と声を絞り出すと、彼は部屋を出て行った。

 クロフスは男の去ったドアを少しの間見つめていたが、やがて「やれやれ」と肩をすくめた。ポケットに手を入れ、山葉の横に立つ。

「――それで、何と言うつもりだったんだ?」

「“このまま強制するのなら、違う証言をする”――そう言うつもりでした」

 意味を理解すると、クロフスは大きく笑い出した。しかし、当の山葉は笑われた理由を理解できず、渋面を浮かべた。

「どうして笑いますか。もし真実性を求めないのなら、証言に何の意味もない。どんなことだって言えるわけでしょう」

「ああ、すまない」と未だ笑いの余韻の残る声でクロフスは言った。「いや、流石だな。お前は正しいよ、山葉。気に入った」

 言い方には引っかかったが、山葉はそれより気になっていた質問があった。

「あの男が言った内容は本当なんですか?」

「言ったこと……? ああ、《タブラ・ラサ》の方針か? そうだな、あいつは別に間違ったことは言ってない。PMCは慈善事業じゃないんだ。金を払うクライアントがいるのなら、何だってやるさ」

 なにか言いたげな山葉の目を眺めながら、クロフスは続ける。

「特に今回は面子の問題もある。職員にも死者が出た。この件に関しては当事者なんだ、俺たちは。何らかの形での関与は当然あるだろうな。いや、もう関与しているか。俺は委員会のメンバーに選出されたんだ」

 躊躇った後、山葉は言った。

「俺に、証言して欲しいですか?」

 クロフスは父親のような笑みを浮かべた。ゆっくりと首を振る。

「いや、お前は正しいと思ったことをすればいい。信念のない行動に、結果は伴わない。ただ、その信念には危険も伴うだろうな」

「どういう意味ですか?」

「ひとつ噂がある」落ちていた包帯を拾い上げ、弄びながらクロフスは言った。「――お前が統一革命戦線の工作員じゃないかという噂だ。彼らはお前の記憶喪失を、都合が良すぎると考えている。疑惑を生んでいるようだな」

 それは山葉も薄々知っていた。

「あなたも同じですか? 俺を疑っている……?」

 クロフスは笑った。「いいや」と言う。

「俺は、フィクションは読まない。お前がそんな器用な奴じゃないのは見てわかる。しかし今のところお前の行動は命知らずだ。あいつら、なにをするつもりかわからんぞ。なりふり構わないのはもう見ただろう? 必死だよ。それに――」と包帯をデスクの上に戻しながら言う。「“空爆は神の鉄槌”と、最初の聞き取りで言ったらしいな。あれはさすがにまずかった。教えてくれ、どうしてあんなことを言った? 敵側の工作員と疑われても仕方のない言動だ」

 山葉は答えなかった。

 俯いていると、クロフスは小さく首を振った。

「まぁ、いいさ。なにを考えているのか大体わかる。しかし山葉、覚えておけ。俺らは限られた条件の上で最良を為したんだ。結果がどうあれな」そう言うと山葉に背を向けた。「ともかく、証言を望まないのならそれでいい。俺がなんとかしてやる。ただ、PMCからはしばらく離れたほうがいいな」

「どうしてそこまで俺を?」

「言っただろう? 山葉、お前が気に入ったんだ。あの空爆をお前は生き延びた。運命論者の俺は偶然を信じたことはない。起こることは全て起こるべくして起こるのだと、そう考える。お前はあの四〇〇人の難民と似た境遇に生まれた。しかし彼らは死んだ。お前は生き残った。この違いは大きい。俺から言わせれば、お前は選ばれたんだ。だから、また戻って来い。俺が必要とするときに。居場所はここにある」

 クロフスは笑った。

「そしてこれは予言でもある。お前は必ず俺の元へ戻ってくる。そして戻ってきたとき、お前の望みを叶えてやろう」

「俺に望みなんて――」

「この世界に入ったきっかけは何だ? 思い出せ。それは答えにならないか……?」

 悠然と部屋を去るクロフスを見送りながら、山葉は立ち尽くした。そうして、考えた。

 自分がこの血生臭い世界で生きようと決心したきっかけについて。

 最期の瞬間、姉が差し出した錆だらけのナイフの輝きが、瞳の奥に蘇る。

 差し出されたナイフを受け取れなかったとき、自分の人生は決まったのだ。あの時、自分は一〇歳だった。遠い記憶。しかし昨日のことのように思い出せる。

 闘争の仕方を学ばなければならない――そう思ったのだ。全ては手遅れで、姉はもう戻らない。助けを求めることもない。だけれども、彼女の望みのために、彼女の名誉のために生きるなら、やがて自分は救われると思っていた。

 それがきっかけだった。

 しかしクロフスが予言する通り自分が再びこの世界に戻るのか、山葉にはわからなかった。クロフスは山葉を選ばれたと言った。だが選ばれた人間がこうまで弱いものなのだろうか? 山葉はあの悪夢が忘れられない。赤ん坊を峡谷へ投げ込んだ女の微笑が忘れられない。

 力なく椅子に座ると、彼は灰色の天井を見上げた。

 一瞬、こんな考えが脳裏を掠めた。

 武器を取り、敵を打ち倒す――それは本当に姉が望んだことなのだろうか?

 そんな考えをしたのは初めてだった。これまで、疑問を抱いたことさえなかった。

 山葉は天井を見つめ続ける。答えなどない。打ち放しコンクリートの灰色と蛍光灯の白。陰鬱な色。退廃を思わせる。



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