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狐たち  作者: nutella
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 クーリロワが話し終えたとき、部屋は沈黙に満ちていた。小倉、カチェート、トレンチコートの刑事――三人の男たちは呆気にとられ、同時に信じられないようだった。だから一笑に付したいのに、彼女の気迫と、言葉のひとつひとつに込められた真実性がそれを許さないのだった。そんな緊張の中、「つまり」と最初に口を開いたのはトレンチコートだった。

「……つまり、《タブラ・ラサ》が全ての背後にいると?」

 こくりとクーリロワは頷いた。「ええ。一連の事件は全て繋がっている。その全ての鍵を握るのがこの少年――ツォエの母親です」

「少年の中身が決して明かされなかった三人目の空爆の生存者であり、しかも空爆を事前に予知した聖女……?」

 考え込むときの癖なのだろう、頤に手を添えながらトレンチコートはぶつぶつと呟く。

「脳を移植したのは彼女が汚染された聖女で、延命させる必要があったから……そして、脳を移植できるほどの設備や技術を、実行性という点から見て保持しているのはごく一部の先進国か、長らく負傷兵の治療ノウハウを蓄積してきた大型PMCくらい。となると空爆自体が《タブラ・ラサ》によって……いや、そんな……だが、筋は確かに……」

「馬鹿なっ」と唾を飛ばし、金切り声を上げたのは小倉だった。「こんな小娘の安っぽい陰謀論など信じるに値するか? 糞を堪える犬みたいな顔で考え込んで、思う壺だということがわからんかっ? 汚染されているのは君だろう、クーリロワ君。どんな番組がお気に入りかは知らんが、陳腐なテレビドラマのフィクションに、どれだけ毒されるつもりかね。脳移植だと? そんな大げさなことなんてしなくても、腐りかけた脳味噌を延命させたいだけなら、酸素で満たした試験管にでもぶち込んでやればいいだろう。違うか? ちょいとばかり飛躍しすぎたみたいだな」

「たとえ必須エネルギーが確保されても、無感状態の脳を生きながらえさせるなんて不可能です。人格や思考というのは、環境への反応パターンとして私たち動物が獲得したものなのですから」

 淀みなく回答を与えるクーリロワに、小倉は怯んだようだった。しかし尚も頑強で、口角に浮いた濃い唾の泡を手の甲で拭い、

「だ……だったら証拠だ、証拠はあるのかね。このガキに別人の脳が移植されているのは紛れもない事実だ、医師連中からも聞いた。だがな、そもそも君の話は、その中身がツォエの母親で、しかも《聖女》と呼ばれる信じがたい特殊能力を持っている人間である、という不確かな論拠に基づいているに過ぎん。ふん、タブラ・ラサの施設から娘を求めて逃げ出した? ――駄目だ、くだらん。あまりに薄い憶測だ」

 小倉の主張は一理あった。証拠と言われて説得する術をクーリロワは持っていない。彼女自身がどんなに確信を持っていたとしてもこれは、小さな証拠と状況証拠を積み重ねた、あくまで推論なのだ。

「だけど小倉さん、私はそう――」

「『信じてる』か? 仮に裁判でもそんなことを言うのかね。それで済むなら便利な言葉だよ、まったく」

 クーリロワは俯いた。

「わかってます、私は今まで多くの人を欺いてきた。逆恨みばかりして、見当違いの怒りをぶつけてきた。だから私の言葉を信じられないとは思うけど……」

 視線を僅かに上げ、周囲を見渡す。トレンチコートは渋面を浮かべ、意見を決めかねていた。その隣、カチェートは押し黙ったままだ。目を合わせようともしない。彼女の告白を聞いて、軽蔑したのかもしれない。利用し、虫のいい頼み事を押し付け、まだ足りないと見るや、これまで存在さえ匂わせなかった新事実を唐突にぶちまけ、そしてその上で更に協力しろと“お願い”する……ならばそれも、当然の反応なのかもしれない。

 ふっ、と勝ち誇った笑みを漏らしたのは小倉だった。クーリロワのしょぼくれた視線の先に気付いたのだ。

「どうやら愛しのカチェートも今度ばかりは愛想が尽きたみたいだな? 外見に自信を持つのは結構だがな、色仕掛けもそうそう通じないってことを学びたまえ。大人は子供のままごとに付き合っていられないんだ。そうだろう、カチェート?」

 カチェートは無言だった。その反応が小倉は不満なようだった。への字に顔をしかめたところ、トレンチコートが口を開く。

「クーリロワさん、どうして今、こんな話をするんだ? 私たちの協力が必要と言っていたが、それは入間先生が殺されたのと何か関係があるのか?」

 クーリロワが口を開こうとする。しかし、それすらも小倉は許さなかった。

「やめろやめろやめろっ」

 見えない虫を払うかのように片手を大きく振る。

「これ以上は時間の無駄にしかならん。いいか、汚染地域で人攫いをしていたと突然告白するような人間だぞ? 信じられるはずないだろう。だいたい、私が前に長官から聞いたのは、この女が取材中、身寄りのない子供に同情して連れ出そうとしたとか、そんな内容だ。それならまだ理解のしようがあった――『世間知らずのお嬢さんがやり過ぎたようだ』って風にな。しかし蓋を開けてみればなんだね、四人も誘拐していた? それにその、なんだ、実験のために? ……いいかね、これがもし事実なら、本当にまともじゃない。聖女、カウンセリング、犯罪幇助、陰謀論と来て、挙句の果てに拉致だ。これがポーカーならロイヤルストレートってところだぞ。つまりだな、寛解まで持ち直した振りをする一方で、この女の病状は取り返しのつかんところまで悪化していたのさ。私は見てきたから知っているが、元々、子供の頃から夢見がちだったんだ、仮に妄想と現実の区別がつかなくなっても不思議じゃ――」

「妄想だったらっ」とクーリロワは言った。

 その錆びた金属を擦り合わせるような大声に、小倉は目を丸くした。すいすいと泳いでいる最中、えらに釣り針を引っ掛けられた魚の驚き。

「いっそ妄想ならどんなによかったか。毎朝目覚めるたびに、どんなにそれを願ったかっ。あなたにわかるの? 私はセラピーに行った、カウンセラーに会った、パパの言うとおりにした、鬱憤交じりにオペレーターなんかやって違う人生を生きようとした。でも忘れられるわけないのよ。一度犯した過ちは、なくならない。過去は変えられないの。妄想? はっ、小倉さん、妄想ですって? そう言われて本当はどう感じていたかわかる? 悔しい? ムカつく? 違うわよ、ほっとしてた。本当はほっとしてたの。だってそうあって欲しいもの。だって私だって信じたかったもの、あなた達の主張を。事実が変わらないなら、せめて、自分の記憶だけでも変えたくて……」

 静まり返った病室に、本心を吐露した女の、ふいごのような呼吸が響く。彼女は一度きつく瞼を閉じると、震える手櫛で金色の髪をかき上げた。そして、トレンチコートに目をやった。

「入間先生が殺されたのは、少年が聖女だと知ったからよ、多分、その結論に辿りついたのは山葉。私は聖女の特質について一通り彼に伝えた。だから不可能じゃない、少年の中身が女性だと気付いたなら、彼はきっと私と同じ結論に辿りつく。そして“あいつら”は鎖を嵌められていない一般人がこのことを知ることを許さない。だから入間先生を始末した。山葉と話すことで、例え一端でも真実を知ったから」

 トレンチコートは何か言いかけた、しかし、はっとしたように動きを止めた。懐疑的だった表情は、みるみるうちに、ある理解の色に染まっていく。彼女の憶測が、どのような新しい憶測を導こうとしているのかわかったからだ。トレンチコートの表情の変遷をとっくり眺めながら、クーリロワは言う。

「私からひとつ予言をしてあげる。入間先生が殺されたのは始まりに過ぎないわ。だってそうでしょう、不都合な真実を知ったことで彼が殺されたのだとしたら、じゃあ、私たちは? 治療を担当したこの病院の医師たちは? 本当にこのままで済む? いいえ、すぐに何かが起こるわ。彼らは馬鹿じゃない。与えられた条件が同じなら、私たちより必ず一手先を行く」

 そしてそれこそが唯一無二の軍事企業として成長できた理由であった。

「だがクーリロワさん、流石に、彼らが私たちに手を出すほど危険だとは……」

 踏み切れないでいるトレンチコートに、彼女は痺れを切らした。

「まだわからないの? 奴らは何でもやるわ。当たり前よ、聖女を誘拐させていた奴らだもの、今更躊躇なんてしない。状況とタイミングが許せばどんなことでも……ねぇ、もう私たちも安全だなんて言えないの。対岸の火事じゃないのよ」

「お、脅しだ、君がやってるのは脅迫だぞ」

 小倉が口泡を飛ばしながら詰め寄る。振り返ったクーリロワに手を伸ばし、二の腕を掴み、引っ張る、クーリロワが思わず上げた苦痛の声に、糸で引かれたようにカチェートが足を踏み出しかける、目が合う、その瞳に浮かんだ表情が決心なのか逡巡なのか、彼女がまだ読み取れないでいるうちに、

 無線が鳴った。

 小倉の腰のベルトに引っ掛けられた、大ぶりの無線機からだった。男性の声が何か喋っている。しかし内容はざりざりと激しいノイズにまみれていて、ほとんど聞き取れない。小倉は邪魔が入ったとばかりに、ちっと舌打ちすると、握っていたクーリロワの腕を放した、まるで忌々しいものでも触るような乱暴な手つきでスーツのポケットからイヤホンを取り出し、プラグを無線機にねじ込んだ。

「警備スタッフか? 悪いがもう一度繰り返してくれ、雑音がひどくて聞こえん」

 本体のつまみを、傍からは滅茶苦茶にしか見えない手つきでいじくりながら言う。

「それとも緊急じゃないなら後にしてくれんかね。今どっかのお嬢さんのせいで立て込んでいて……」

 しかし内容は緊急のようだった。小倉は口を閉ざし、相手の話に耳を澄ませた。

 なにがあった、とトレンチコートが聞く。

「ふん、大したことじゃない。大したことじゃないが、急にグランドフロアの全隔壁が下りたらしい。原因がわかるか、だと。俺にわかるわけないだろうに。まぁ、セキュリティシステムの点検中になにかミスをしたとかだろう。とにかく、先日のこともある。一般人がパニックにならないように警察としてもできることを――」

「小倉さん、隔壁とは、防火シャッターや対爆シェルターのことですか?」

 遮ったのはカチェートだった。額と掌にじっとり汗を滲ませたような、緊張した声だった。なにを言ってるんだこいつは、という顔で小倉は見返すと、

「当然だ。他になにがある? 今、下は移動もままならない状態だ。多層シェルターの中でも、ECS(外部圧力隔壁)がロックされているせいで、外にも出られないらしい。まるで、閉じ込められたようだと――」

 言葉が止まる。

 傲慢だった表情が一瞬で真顔になる。次いで、ありありと焦りの色を浮かべ、頚椎カラーで動かない首をぎちぎちと回し、クーリロワの方を振り返る。彼女はあざ笑いも、侮蔑もしなかった。ただ、正面から真っ直ぐに見つめ返し、一言、

「ほら、ね?」

 時間が迫っていた。長い上り坂は今、ようやく頂点に差し掛かろうとしていた。燃える車輪は転がる、先も見えないまま加速する。下り坂の先は白いもやへと霞む崖、乱杭歯の岩肌だった。仮に見えるものが草花咲き乱れるなだらかな丘ならば、おそらくそれは死に際の夢なのだろう。

 止まらなければいけなかった。ブレーキディスクを目一杯擦りつけ、車輪を減速させねばならなかった。できなければ皆一緒に死ぬだけだ。崖下の岩肌は鋭くて、人肌など、濡れたちり紙のように引き裂いてしまう。

 ねぇ、とクーリロワは囁いた。

「私を、信じる……?」



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