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最初に自己紹介と軽い打ち合わせをした後は、特に会話もない。スーリヤと名乗ったパートナーになる警備員と、運転手の会話を、山葉はぼんやりと聞いていた。生来の不器用さの為すままに、会話に入ることもなく、ただ、移り変わる夜の景色を車内の窓から眺めていた。
まばらな常夜灯が切り取るそれぞれの風景には、人々の住む世の退廃が垣間見える。ナパームで焼き払われた広場、崩れた住居の外壁、道路の脇で唐突にえぐれたアスファルト……市街を少し離れると、途端に人の気配は少なくなる。年々、顕著になっているようだった。もうずっと前から人口は緩やかな減少傾向に転じている。人が減って取り分は増えたはずなのだ。なのに争いは激化していて、その理由が領土や資源だとすると、この闘争と言うものは人間の本質に他ならないとさえ思わせる。勝者が最後に立つのは灰色の誰もいない大地なのかと考えると、それは不思議なことだった。
そんなことを考えていると、きぃっ、とブレーキがかかり、山葉はバランスを崩した。シートに手を着く。
「――すまない、スリップだ」謝罪の印か、バックミラー越し、帽子のつばに手を触れ運転手が言う。「ところどころアイスバーンになってるんだ。最近夜が冷え込むと思ってたら、あっという間に雪の季節だ。膝の関節が痛むから嫌な季節だよ、俺にとっては」
「はっ、ずいぶんと年寄り臭い」
スーリヤが茶化した口調でそう言う。
山葉と斜め真向かいに座る若い男だ。年齢は聞かなかったが、山葉よりわずかに年上のようだった。服装は上下黒の強化服。軍隊のような作戦行動をするわけではないので迷彩の必要はない。山葉も同じ格好だ。
強化服は二層に分かれており、一層目、下地になる部分はタイツのように首からくるぶしまで肌にぴったりと張り付いて、体温やら心拍数、出血といったこまごまとした身体情報を、オペレーター側で監視できるようになっている。二層目は強化グラスファイバーを編みこんだ素地で、厚みとゆとりがあり、高い収納能力と、防弾をはじめとするさまざまな特徴を持っている。部位の故障が全体の故障に繋がらないよう、セル構造になったバッテリーパックを内蔵しているのもこの層だ。
車は多目的SVの内装を改造したもので、後部座席のシートは向かい合わせになっていた。車体の側面に沿って向かい合わせで長椅子を置いたような形だ。その間には細長の、床に収納可能な液晶タッチパネルのテーブルが出されたままになっていて、これから始まる警備の概要やら、タイムライン、地図などが映し出され、淡い光を放っている。
「スーリヤ、俺は年寄りじゃない、中年だ。訂正しろ」
運転手が憤然とした様子で言うと、スーリヤは低い声でくっくと笑った。浅黒い肌と、強化服の上からでもわかる頑強な体付きは、野性味を漂わせる口調と相まって、肉食の獣を連想させた。ひとしきり笑い終えるとスーリヤは息を吐きた。どっかりと背をシートにもたれさせ、山葉を顎でしゃくった。
「あんた、あまり喋らないな。緊張してるのか?」
「いや……」
「お前のつまらん話に付き合いたくないだけさ」
運転手が片頬を吊り上げて言うとスーリヤは、
「ふん、それならそれでいいけどな」
そこで運転手は咳払いし、少し改まった口調になった。
「山葉さん……、だったよな? 悪いな、今日は急に呼び出して。聞いてるだろう? 上からの指示でな。他の担当区でだが、警備員の何人かが急に辞めたらしい。そこにはこっちから人員を回して補充したんだが、そうしたら今度はこっちが足りなくなってな。まぁ、このエリアが人手不足なのははいつものことだが」
「気にしてないが」と山葉は言った。「しかし、大丈夫なのか? 俺はまだ研修も終わってないんだぞ」
「あんな退屈な座学、役に立つかよ」とスーリヤ。「どうせ、《緊急事態における行動の優先順位》とかそんなのだろ。《おいしい卵料理の作り方》のほうがよっぽど実践的さ。俺ら警備員ってのは駒と一緒だ。あちらさんが命令したとおりに動くだけなんだ」
仕方ない奴だ、というように運転手は首を振る。
「駒、というとまぁ乱暴に聞こえるがな。スーリヤの言うとおりだ。なにか起きたらオペレーターの指示をあおげ。あっちも把握しているはずだ。新人だからって、そんなに心配しないでいい」
「ああ、そう言うんなら」
はっ、とスーリヤが鼻で笑い、テーブルに肩肘をもたせ掛け、前屈みで山葉を見据える。
「普通なら、研修が早めに終わったことに感謝するべきなんだぜ。だけどな、しょっぱなからこんなところに飛ばされてきたあんたにはちょっと同情するよ」
ぴっ、とタッチパネルがスーリヤの肘に反応して、どこかの地図の拡大画面になる。歪な蜘蛛の巣のような等高線に目をやりながら、山葉は眉を寄せた。スーリヤの言う“同情”とはどういう意味なのか、図りかねたのだ。
「おいスーリヤ、最初から脅すような真似は……」
「遅かれ早かれだろ? いずれわかることなら、早めに教えた方が親切ってもんじゃないか?」
「それは……いや、確かにそれもそうかもしれんが……」
「結局何の話なんだ?」
そう山葉が聞くと、運転手は言いにくそうな表情をした。
「あー、まあ、たいしたことじゃないんだ。たいしたことじゃないんだが」
「《氷の女王》って聞いたことないか?」スーリヤが言う。
映画か戯曲のタイトルだろうか――そう思いを巡らせつつ、山葉はかぶりを振った。
「この地域担当のマネージャーのあだ名だよ」諦めたような溜息をつき、運転手は言った。一度話すと決めればよく喋る男だった。口の軽さと災いの関連性を理解できないタイプの人間だ。「《氷の女王》――誰が呼び始めたのか知らんが、うちでは有名だ。もっとも、本人は知らんだろうがな。本名はクーリロワだ。ディストリクト・マネージャーって大そうな肩書きはあるが、まだ二〇も中ごろの女さ。俺からしたら、よちよち歩きが終わったばかりの子供だよ」
「はっ。想像力のない子供に権力を与えたらどうなるか、といういい見本だな」スーリヤが犬歯を剥き出しにする。
「笑いごとじゃないさ」運転手は苦々しい調子で言った。「今のところはまだいいが、あの女はいずれ死人を出しかねない。鉄の嵐にこそ突っ込めと言うような女だ」
「そんなに無謀なら、」と山葉は二人を見回した。「どうして左遷されない? オペレーターっていうのは子供があっちに行け、こっちに行けと好き勝手に指示を出して務まるような仕事じゃないだろう?」
「そこがポイントだな、話をややこしくしているのは。問題なのは《氷の女王》が有能って事実だ」
スーリヤが言うと、運転手は首をすくめた。
「少なくとも、それが上層部の意見みたいだな。クーリロワはまったく畑違いのバックグラウンドから入社して――確か新聞記者だったか――そこからたったの一年半で平のオペレーターからディストリクトマネージャーまで昇格した。しかし実際は、彼女の父親が法務省だか警察庁だかなにかの、かなりの有力者だからだと聞いたよ。社内でも彼女の進退について下手に口を挟めないんだ。触らぬ神に祟りなし、というところだろうな。だが、向こうから触ろうとしてくる場合には、どうすればいいんだろうな?」
はは、と運転手はよくわからない冗談に自分で笑う。そしてお追従がないことに気付くと、ともかく、と咳払いをして続ける。
「彼女には誰も逆らえないのさ。逆らえないのをいいことに、どんな馬鹿げた指示も平然とする。心臓が凍ってるんだ。だから《氷の女王》と呼ばれてる。女王らしく絶世の美女という噂もあるがな」
「ふん、どれだけ美女だろうと俺らには関係ないさ。あっちは俺らの情報を一通り把握しているが、こっちはオペレーターの声と名前しか知らないからな。美女っていうなら顔も出してみりゃいいんだ。そうしたら辞める奴も減るだろうさ。『絶世の美女の頼みで死ぬなら本望だ』ってな。そうしないんだったら性格と同じで、どうせドのつくブスさ。少しでもモチベーションをあげようとそんな噂を流しているんだろう。不細工なオペレーターの話なんか、これまで聞いたこともねぇよ」
そこで山葉はさきほどの運転手の台詞を思い出す。
「つまり人員不足っていうのは、その女――クーリロワが原因なのか?」
「ご名答」と運転手。「まぁ全部が全部じゃないだろうけどな。もともと、危険度と報酬が釣り合ってない仕事だ。それでも半分以上はクーリロワが関係しているんじゃないか、この会社では。あの女の無茶な命令についていけず、辞める奴が出てくる。人員不足になる。代わりの補充をかけるも、本当に優秀なのはごく一握りだ。玉石混合で足を引っ張り合い、全体として質が落ちる。質が低いから緊急時のオペレーションも更に威圧的になる。威圧的になれば反抗的になり、やがて辞めてしまう。こうしてただの人員不足が“慢性的な”人員不足になるってわけだ。バッドスパイラルだよ」
なるほど、と山葉は頷いた。「確かにあまり聞きたい話じゃなかったかもな」
運転手は笑った。
「ああ、だがこのスーリヤは大丈夫だ。一見嘲笑的なところがあるが根は悪い奴じゃない――ははっ、俺はいい奴とも言わないがな。なにより、海外の“本場の”紛争地帯での警護経験もある。どこだったか……極地圏じゃないし、たしか、お前が言ってたのは……」
「《窓》だよ、オッサン」
「ああ、そうそう、そうだったな」
《窓》か、確かにそこなら本場だろう――そう山葉は驚きをもって思う。《窓》で働く――或いは戦う――人々の話は、近年ではよく耳にするところだ。主に軍事目的の衛星発射に適した低緯度地域を指し、地球と周回軌道を繋ぐ窓という意味でそう呼ばれる。だがその一見無害な呼称とは裏腹に、《窓》では鉄火砲乱が絶えない。誘致競争、利権争い、領土問題などが、三者三様の複雑さをもって、絞め殺しあう大蛇の如く絡み合い、結果、とどまるところを知らない血みどろの紛争に発展するのである。今では《窓》というと、シャトルロケットの炎より、銃口から噴く炎の印象が強い。
「そこでスーリヤは要人のボディガードをしていたんだよな? ま、一緒に働くなら頼もしい奴だ」
「頼もしい? ふん、どうかな」とスーリヤは言った。「どちらかというと、氷の女王様は俺より“山葉さん”を頼りにしてるんじゃないか」
その口調に含みを感じ、山葉は視線を動かした。スーリヤは、挑戦的な顔つきで彼を見据えていた。やめとけ、と言う運転手の言葉を彼は無視する。
「聞いたぜ。あんた、元の職員なんだろう? 俺なんか霞んで見えるくらいの超エリートじゃないか。噂になってるぜ。どうして世界的な大型軍事企業からこんな小国の、しかも地方の警備会社に移ったんだろう、ってな」
スーリヤがもう一方の肘をテーブルに乗せる。ぴっ。等高線の蜘蛛の巣が、ひび割れたスケートリンクへ。
「そんなわけで山葉さん、あんたの正体を巡って、果たして単なる疲れた兵士なのか、それとも汚職にでも手を染めているのが見つかった馬鹿者なのか、賭けしてる奴もいるぜ」
「おいスーリヤ、その辺にしておけ」
「はっ、なに言ってるんだよ。あんただって賭けに乗ってたクチじゃないか」
スーリヤが言うと、運転手は黙りこくった。バックミラー越しに山葉と目が合うと、彼は決まり悪そうに視線を逸らし、会社のロゴ入りの帽子を目深に被り直した。
山葉は少しの間、窓の外を見ていた。やがて、反応を待ちわびている二人に言った。
「両方、かもしれないな」
「かも……?」案の定、スーリヤはその答えに納得しなかった。苛立ちに眉を寄せ、両膝に挟んだフルフェイスシールドをこつこつと叩いた。「あんたの恋人についてじゃない、あんた自身について聞いてるんだぜ。なのに『かもしれない』ってのはどういうことだよ?」
もっともだった。しかし、真実だった。山葉は言った。
「――記憶がないんだ」
スーリヤが目を丸くする。
沈黙があった。
「ぶっ……」
堪えきれなくなったのか、口元を押さえる。
「ははっ、ははははっ……そんな真面目な顔で……あんた面白いな……。ぷっ、くくく……」
つられたように、運転手も肩を震わせた。
山葉は口の端を吊り上げた。しかしそれは笑みではなかった。大笑いする二人を眺めながら続ける。
「落盤の直撃を受けて、脳内出血を起こしていたんだ。救出されたのはそれから丸一日後だったから、後遺症として呼べるのが、ごく軽度の記憶障害だけですんだのは奇跡としか言いようがないらしい。だけど、そこでおしまいになるような簡単な話じゃなかった。俺の言葉に納得しない人々がいた」
「ははは、は……」徐々に二人の笑いが細くなっていく。山葉は続ける。
「なにが起きたのか知ることは、彼らにとって死活問題だった。数日でほとんどの記憶は戻った。ただ、戻らない記憶もあった。それは丁度、彼らの知りたい記憶だった。カウンセリング、催眠、薬物療法……。意味があるのかわからないような、奇妙なテストも散々やらされたよ。担当の精神科医も、なんだか戸惑っていたな。結局、なにひとつ功を奏さなかった。だから、最後は――」
今や山葉は、どちらの男も見ていなかった。見ているのは脳裏に蘇る、ある光景だった。
灰色の部屋――無機質で、蛍光灯の明りがぎらぎらと目に痛い。
右腕にギプス、額に包帯を巻き、無骨なパイプ椅子に腰を埋める山葉の前に立っているのは、灰色のスーツに身を包んだ男だった。
男は自分を委員会から調査を依託された国家安全保障庁の者だと言っただけで、一度も名乗らなかった。加齢のまま白く染まった頭髪はきれいに撫で付けられ、瞳には鋼鉄の意志が見て取れる。その意志は休むことなく山葉を責め立てていた。
信じられんね、と男は言う。俯いた山葉を見下ろす顔には侮蔑の色さえ浮かんでいる。
まだ記憶喪失を言い張るかね……? 国家の一大事だというのに? 脳に異常はないんだぞ。
それは違うと言ってるじゃないか、医者からは脳内出血を起こしていたと――
異常はない。そういうことになったのだよ、山葉君。脳に異常はない。この意味がわかるか? 君は多少の怪我を負ったがそれだけだ。その“おつむ”は奇跡的に無事で、君は完璧な判断力、思考能力、そして記憶力を有しているということだ。
いったい何の話を……。
「これはすでに君個人の問題ではなくなった、という話だよ」男は狭い室内をゆっくりと回ると、山葉の背後に立った。振り向こうとする彼の両肩をきつく押さえつける。「更に付け加えるのなら、国家の一事を担う話だ――極めて高度に政治的な」
そして男は安っぽい、作り物の笑みを向けながら両手を山葉の頭部に当てる。クリップを外し、巻かれた包帯をゆっくりと解きながら、「なぁ、考えてみたことはあるか」と言う。
「どれだけこの国の現状が逼迫しているか……、どれだけ統一革命戦線に追い詰められているか……。たぶん、人々が想定しているより、ずっと悪い。では山葉君、なぜだ? なぜ状況はこうまでひどい? 私たちの前に立ちはだかる一番の問題はなんだ?」
するすると包帯が擦れる音を耳元で聞きながら、「わからない」と山葉は言った。
「一番の問題――それは、統一革命戦線に無償支援を申し出る国が出てきている、という事実だよ」
山葉の返答など、まるで気にした様子もなく男は言った。
「彼らが続けたきた西側メディアに対するロビー活動が、最近になって功を奏し始めている。君も知ってのとおり、私たちは国際法を守るわけにはいかない。守れば、彼らを国家か、或いはそれに準ずるものだと暗に認めることになるからだ。それは他国に介入の名目を与えてしまう。しかし、今回はそれが裏目に出た。彼らは私たちと違い、遵法の姿勢を崩さなかったからな。今や、中央政府は悪役だ」
「だからそれが何の――」
「黙りたまえ。話は途中だ」
「…………」
握り締めた包帯の束を男は床に落とす。そして、ほとんど優しいとさえ言える仕草で山葉の頭髪に指を入れ、未だ生々しい縫合箇所をそっとなぞる。
「ロビー活動は裏目に出て、プロパガンダ戦では敗北した。空爆により数百人もの難民は殺され、その上、人道的見地から難民の避難活動に協力していたPMCの職員――つまり君の同僚――も数多く命を落とした。中央政府の面目は丸つぶれだ。わかるかね、ことここに至り、余裕がないのだ。皆焦っている。次の一手に期待している。そのためにも、君にもっと協力的になってもらわなければ」
「協力的……?」
山葉の耳に顔を近づけ、男は言った。
「――証人になれ。公聴会で証言をしろ」
できない、と言い掛けた山葉に、男は続ける。
「柔軟になれ。嘘でいいと言っているんだ。いいか、ただ一言こう言え。あの空爆は間違いなく統一革命戦線の戦闘機によるものだったと。印章を見たと。それでこの国はじわじわと続く責め苦から解放される。お前も“こちら”の国民ならそれを望んでいるはずだ。《タブラ・ラサ》の協力を取り付ける算段もできている。泥をかぶったのはあちらも同じだからな。そうなればもう、負ける要素はない。統一の夢は果たされ、平和が戻る。拒む理由はないだろう? それともお前は……」
唐突な動きだった。男は山葉の髪をきつく握った。傷口が引きつれる。
「ぐ……」
「何のためにクソ高い費用をかけてわざわざ頭髪を残して手術させたのか、まだ理解できないか? お前が頭を打ったキチガイでなく、証人として完璧な適性があると公聴会の連中に教えるためだろう? それがわからんくらい、お前は“とんま”で阿呆なのか?」
祖父に似ている、と山葉は思った。当然、彼らはそれを承知の上でやっているのだ。山葉が――山葉と姉がどれだけ祖父を恐れていたか、どのように育てられたかを調べつくした上で。
歯を食いしばる。山葉は怪我のない左手で男の手首を掴んだ。
予期していなかったのか、一瞬、男の表情に動揺が走る。
男の顔を睨みつけ、山葉は立ち上がる。そして、目を離さぬまま口を開き――
「……なあ、おい、なあってば」
話の途中で黙りこくった山葉を急かす声。
「なあ山葉さん、なにがあったんだ?」
運転手だった。
ぱちぱちとまばたきをして山葉が顔を上げると、彼もスーリヤも、もう笑っておらず、一心に山葉を見ていた。
曖昧にかぶりを振り、山葉は追想を振り払った。小さなため息と共に言う。
「……だから最後には、彼らは俺をスパイと考えるようになった。統一革命戦線の工作員だと。所詮疑惑だ、証拠はひとつもない。俺を拘束し続けることもできなかった。だけど、自称記憶喪失のPMC職員が退職せざるを得ない状況になるには充分だった。空爆から二十九日後、俺は退職した。退職したが、俺には人生を捧げられるほど崇高な趣味もない。身体が元に戻ったのなら、なにかやることが必要だった。俺のバックグラウンドで他にできることと言えば警備員くらいだ。それだけさ。それで、俺はここにいる。PMC職員として世界中を飛び回ったが、元々、俺はここの国民なんだ。戻ってきたって、不思議じゃないだろう?」
山葉は首を回した。スーリヤの目に、先ほどのような挑戦的な色はもうない。
「だからスーリヤ、お前の質問に“はい”か“いいえ”で答えることはできない。俺は疲れた兵士なのかもしれないし、後ろ暗い犯罪者なのかもしれない――あるいはその両方か。……ところで、賭けはこの場合、どうなるんだろうな?」
「あんたが何度も言う、“彼ら”って誰のことだ?」
スーリヤは山葉の疑問を無視し、言った。
一瞬の逡巡。しかし、隠すことでもなかった。
「真相究明委員会だ」
山葉が答えると、スーリヤは動きを止めた。
「おいおい」運転手が横目に振り向いた。「本当なのか? やっぱりあんた、空爆の現場に居合わせたのか? あんたが生存者だって、そういうことなんだよな……? まったく信じられん、覚えているよ、三ヶ月くらい前の話か。ニュースで毎日のようにやっていた。風穴洞の残骸から、二名の生存者――難民の子供一名と《タブラ・ラサ》の職員一名だけが発見されたと」
三九七分の二――それが生存率だった。まるで針に糸を通すような確率だ。運転手は帽子を脱ぎ捨て、ぼりぼりと白髪頭を掻きながら興奮気味に続ける。
「ああ、まいったな。こんなこともあるんだな。山葉さん、あんたを乗せて運転できるなんて光栄だよ。俺の今後の人生、無事故が保証されたような感じだ」
予想外の反応に、山葉は戸惑う。
「な、よかったら後でサインでも――そうだ、奇跡の男より、みたいな台詞も一緒に」
「いや、俺は」
「ああそうそうせっかくなんだサインだけじゃなくて記念に俺と――」
「そろそろ黙っとけよ中年」
スーリヤが言った。静かながらもその言葉には、確かな怒気が込められていた。
運転手はそのことに気付くと、続く言葉を呑みこんだ。そして、どれだけ馬鹿な発言をしたのか今さら理解したというかのように、顔を赤らめ、咳払いした。
「……すまん、調子に乗りすぎた」
ふん、と鼻息を鳴らしスーリヤは顔を背けた。背けた先、山葉と一瞬目が合う。「なんだよ」とふてくされたように言う。
いや、と山葉は言った。
スーリヤはもう一度鼻を鳴らすと、そっぽを向いた。車内に沈黙が満ちた。しかし、最初のときほど居心地の悪いものではなかった。