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狐たち  作者: nutella
25/52

24

「突入します」

 そう言って強化プラスチックのヘルメットとアサルトスーツに身を包んだ刑事部の突入班が小銃を構え、小倉に振り返った。小倉は腕組みを解くと、鷹揚おうように頷いた。

 まったく使えない女だ、と彼は思った。

 自分から連絡してきたくせに、手引きのひとつもろくにできないときた。どうせつまらない同情心を起こして山葉に気付かれたのだろう。これで警備会社では有能だというのだから、民間とは恐ろしいところだ。

 無意識に舌打ちをしながら、腹を撫でる。まだずきずきと痛んでいた。殴られた箇所は大きな痣になっていた。今度だってなにが起きるかわからない。うまくやる、なんていうクーリロワの言葉を鵜呑みにしないで、防弾チョッキを着て来たのは正解だった。

 号令と共に木片が散った。埃が舞った。ドアを完全に破壊すると、先頭の二人が、障害となっていた、異様な重さのクローゼットを押し倒した。

 彼らが部屋の中心、床に出来た目立つ奇妙な凹みに気付いたのは、それとほぼ同時だった。ひとりがその意味を即座に理解して、声を張り上げる。

「下だっ、奴ら穴を開けて降りたんだ」

 急げ、と他の隊員が後に続いて走る。だが奥へ数歩進むと、彼らはぴたりと止まった。

「おい、何をやっている、早く行けっ」

 遅れて追行する小倉が、安全を約束された部屋に入りながら、口泡を飛ばす。

「怖気付いているのかっ?」

「違う……違います」

 ひとりが叫び返す。

「これはフェイクです。貫通していない、下に繋がっていないんです」

 小倉の目が見開かれる。

「お前はなにを言って……」

 ばぁん、と背後で大きな音がした。

 横向きに倒れていたクローゼットの扉が、勢いよく開いた。小倉が振り向くより速く、その首にナイフが触れていた。

「はぁっ、はぁ、はぁっ……」

 山葉だった。

 いっぱい食わされた――そう気付くと同時、小倉の表情筋が痙攣した。揃いも揃って野蛮人ひとりにしてやられたのだ。羞恥と怒りは、部屋をつんざく咆哮となった。

「やまはぁああぁあああぁっっ!!」

 息を整えながら、はっ、と山葉は笑ってみせた。

「屠殺される豚の真似か?」

 寝室側の通路から、ドアが開く音がした。クーリロワが姿を現す。その背中にはパーカーを着せられた少年がおぶさっていた。ツォエがその後ろから、ふらつく足取りで付いてくる。

 小倉は歯軋りした。このまま行かせる? 馬鹿な。

「聞かせてくれ、クーリロワ君、君はどちらの味方なんだ」

 本当はどちらでもよかった。勝手に罪悪感を覚えたクーリロワは、なにか沈痛な顔つきで喋っている。聞き流しながら、小倉は自分のスーツをまさぐった。前の隊員に、目配せをする。

 山葉は気付いていない。左側からじりじりと距離を詰めようとする隊員を牽制しようと、気を取られているようだ。これみがよしに小倉の首筋にブレードを押し付けている。そこで、

 こん、と彼らの背後、小さな音が鳴った。

 山葉は反射的に、小倉を盾にして振り向いた。

 優れた反応神経が仇になった。

 そこにはなにも無かった。ただ、手脂に光る金色のピンバッジが一個、壁にぶつかって転がっていた。小倉が胸元からむしり取って投げたのだ。

 山葉が苛立ちの喉音を鳴らしながら振り返ろうとしたときには、すでに遅かった。合図しておいた隊員は距離を詰めていて、山葉の後頭部を銃床で殴打した。鈍い音がして、山葉は膝を着く。意識が飛びかけたのだろう、ナイフがずるりと手から落ちた。

 ここぞとばかり、小倉は獣性を発揮して組み付く。馬乗りになり、太く短い指で、石のような拳を作る。そして怒りのまま、

「若造が俺を出し抜こうなどと百万年早いんだよっ」

 繰り出した拳が山葉の上唇に、顎に、頬に、交差させた両腕に降り注いだ。最初の抵抗も、何発かいいのが入ると、徐々に弱まった。ひとしきり拳を振るうと、小倉は荒い息をついて手を止めた。

「小物のくせに、ふぅっ、てこずらせやがって……」

 近くの隊員に寄りかかって立ち上がる。尻ポケットからハンカチを取り出し、額の汗と、拳についた血を拭った。

 こんなのひどい、やりすぎよ。少年と共に床に引き摺り倒されながら、クーリロワがそんなことを言っている。しかし小倉の耳には半分と入らなかった。 彼が見ているのは、その横、青ざめた顔をした少女だった。

 薄幸そうなところがまたよろしい。うるさいカチェートをフロントに残し、自分が来たのは正解だったようだ。

 生粋の小児愛者である小倉にとって、彼女は岩棚の陰、ふと顔をのぞかせる、光り輝く鉱石だった。風雨にさらされ曇ってしまう前に、ベルベットの小箱に移し変える必要があった。そして極上のクロスをもってぴかぴかに磨き上げる――そのの大役を仰せつかるべきは自分であり、決して汚染地帯の蝗などではないのだ。

「乱暴な場面を見せちゃったね。大丈夫かい?」

 ツォエは半分も開かない目をぱちぱちとさせて、不規則で、不安定な呼吸を繰り返している。その様子は、罠にかかり、弱りきった小動物のようで、小倉の庇護欲をいっそうそそった。胸に抱くぬいぐるみも、それに絶妙な合いの手を添えているようだった。

 小倉は中腰になり、連れて行こうとする隊員を手で制した。

「もう安心だよ。おじさん、小倉っていうんだけど、後でゆっくり話を聞かせてもらうからね。いいかい?」

 猫撫で声を出すものの、ツォエは頷かない。目を潤ませながら、一歩後ずさる。視線は仰向けに転がる山葉に向けられている。

「うん? ……ああ、わかるよ。怖かっただろう。こんな凶暴な男にさらわれていたんだから。だけど大丈夫、おじさんがついているからね。このことは早く忘れるんだ。この山葉という男は元々、汚染地帯を這いずってクズ集めをしているのがお似合いの人種なんだよ。まぁ、クズにはお似合いかな。だけど、君みたいに可愛い女の子が関わり合うべきじゃない。変な病気をもらいたくないだろう?」

 そこで微笑。

 ツォエの動きがぴたりと止まる。

 うまくいった、完璧だ。小倉は彼女の反応を、同意だと解釈した。いいさ、わかってるよ。そう言って微笑みながら肩に手を乗せる。ツォエはその手を払いのけた。一瞬、小倉の表情が引き攣る。しかし即座に取り繕って、また、白々しい、大げさな笑みを浮かべるのであった。そうして、自分はただ君を保護したいだけなのだとのたまいながら、手を伸ばし、柔らかい二の腕をがっしりと掴むのだが、すると今度こそ、彼女は悲鳴を上げた。

 わけがわからなかった。この少女にとって、自分は颯爽と現われ、誘拐犯をやっつけたヒーローのはずなのだ。なのに、どうして変質者に出くわしたような反応をされなければならないのか。

 予想外の反応に動転した小倉は、悲鳴を押さえ込むように、反射的にツォエを抱き締め、口を掌で覆った。くぐもった、更に大きな悲鳴。

 周りの隊員が慌てた声を出す。我に返った小倉が、弁解するように顔を上げる。

 そこで気付く。周囲の声は、彼を咎めるものではなかった。こちらを向いている者はいない。

 皆、部屋の中央を一心に見つめ、そこには、コンサート中に曲の続きを忘れてしまった演奏家を前にしたような、緊迫した空気が流れていた。

 少年が立ち上がっていた。

 小倉は愕然となった。直後、血走った非難の眼差しをクーリロワへ。はらわたが煮えくり返った。どういうことだ。嘘をついたのか。少年は破傷風で重態のはずではなかったのか。だからこそ最低限の人数しか連れてこなかったというのに。

 最初に意識を失ったのは、不用意に銃を向けた大柄な隊員だった。顎と手首の骨をほぼ同時に折られ、小銃が窓を突き破って落ちていく。次の狙いは小倉だった。そのことを鋭敏に察すると、小倉はツォエの存在すら忘れ、逃げ出そうとした。数歩も動かないうちに木片に足を取られ、態勢を崩す、だが、かえってそれがよかった。少年の拳は急所を外れ、肩の肉の厚い部分に当たった。小倉はもんどりうって後ろに転がり、解放されたツォエはぺたんと床に座り込む。

 それを見ていた他の隊員が気を取り戻し、怒声を上げ少年に銃口を向けるのだが、それから起こったことは、病院で起きたことの焼き増しだった。銃声、悲鳴、破砕音、その度にひとり、またひとりと倒れていく。

 その光景を、小倉は四つん這いのまま呆然と見つめていた。しかし視界の隅、クーリロワに支えられ、山葉が立ち上がろうとしていることに気付くと、途端に激烈な怒りが湧き起こるのだった。

 この惨状を招いたのは誰のせいだ。決まってる、山葉のせいだ。ツォエが自分を警戒するのも、奴が怯えさせ、大人の男は怖いものだと勘違いさせたからなのだ。怒りは雷撃の如き神経パルスとなって、小倉の身体を動かした。

「待て貴様っ、私が逃すとでも――」

 山葉は咄嗟にクーリロワを横に押した。そして、頭から突っ込んできた小倉に手刀を振り下ろした。後頭部を刈られ、顔面から転倒しかけたところを、返す刀で思い切り蹴り上げた。歯が飛び散り、ぐるる、と奇妙な呻き声を上げて、小倉の意識は途絶えた。

 次に目覚めるのは病院にて、二時間後のことだった。



 出るわよ、とツォエを抱え上げたクーリロワが叫んだ。

 空いた手で山葉の手を引き、転がるように部屋から脱出する。廊下を走る。騒ぎに気付き、ドアから顔を突き出していた他の宿泊客が、走り行く山葉たちを唖然とした表情で見送る。

 クーリロワは従業員用の非常階段を先導して駆け下りて行く。しかし二階の踊り場まで差し掛かったところで、山葉に手を引かれ、立ち止まった。

「どうしたというんですか、ぐずぐずしている時間はないわ」

「ないんだ」

「ない? なにが?」

「ツォエのぬいぐるみだ」

 クーリロワは視線を落とす。

 そこで初めて気付いたのは、ひきつけを起こしたかのように、強張った両手を握り締めている少女の姿だった。パニック発作を起こしかけているのだと、すぐに彼女は気付いた。

 ツォエの両手は空だった。山葉が言うとおり、これまでずっと共にあった《変な生き物》はない。ただ、涙ぐんだ瞳で二人を見つめ、血の気のない唇を動かしている。なにか伝えようとしているのだが、声になっていない。聞こえるのは切れ切れの、力ない呼吸だけである。

 それでもなにを求めているのか、二人にはわかりすぎるほどわかった。

「取りに戻るよ」

 一瞬、クーリロワはまったく知らない言語を耳にしたかのように、無反応だった。理解が及ぶと、ツォエを抱えたまま、感情をむき出しにして噛み付いた。

「あなた馬鹿ですか、自殺したいのですかっ」

 山葉はそんな彼女をとっくりと眺めた。ごく穏やかな口調で応じる。

「君も、そんな顔するんだな」

 クーリロワはぐっと息を呑むと、目を逸らし、唇を噛んだ。

 山葉は彼女の腕の中で固まっているツォエに手を伸ばし、そっと頭を撫でた。

「宝物なんだよな。取ってくるよ」

 ツォエはなにか言おうとしたが、山葉は返答を待っていなかった。再び顔を上げたときには、よりいっそう、気持ちがはっきりしていた。

「この騒ぎで、外で待機していた連中も応援に駆けつけているだろう。その際は必ず最短ルートで来る。だから西の非常口から出れば鉢合わせせずに車までいけるはずだ。ただ、出るタイミングに気をつけろ。俺もすぐに行く」

 クーリロワはかぶりを振った。

「ねぇどうしてなの? どうしてこんな目にあってまでこの子を助けるのよ? 無理矢理巻き込まれただけでしょう? もう充分よ、私の言うことを聞いてよ」

 山葉は宙を見上げる。銃声や、物の壊れる音が響いていた。

「ああ、そうだな。もう充分やったかもな。できることは、ほとんど」

 ええ、と彼女は臆病な笑みを浮かべた。

「だけど、君にそれを言う資格はないんだ」

「どうして……」

「君はまだ、俺といるだろう」

 山葉が切れた唇を引き攣らせ、ぎこちなく微笑んでみせると、彼女は驚いたように目をしばたかせ、次に、目を伏せた。

「これは最後の頼みなんだ。……頼まれて、くれるか?」

 銃声、怒号、振動、悲鳴。凝縮した時間感覚の中、永遠にも思える数秒の沈黙。やがて口を開いたとき、クーリロワは曖昧な返事をしなかった。ツォエを胸元に抱き寄せると一言、「はい」と言った。



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