【1章】私の居場所
何文字くらいから長編なのかよく分からないですが、6万文字程度の一人称小説になります。
ジャンルはラノベといえばラノベ…中世っぽい世界でのある少女が巻き込まれた一騒動を描きます。
派手なアクションとか戦闘とかはありません(笑)
あらすじ見て何となく面白そうと、ご興味があればぜひお読みいただきければ幸いです。
ちょっと長めになりますがお読みいただいて面白かった・つまらなかった・設定が…等、ご感想も頂ければ作者として最高です。では、
(0)――――――――
とりあえず断言してもいい。この世に神様なんかいない。
神に仕えるシスターの私が言うのだからそれは間違いない。
孤児院で一人寂しく育った私を、こんな雪の中でのたれ死させる……そんな分かり易い悲劇を、主がお許しになることがあろうか――
「……って…」
何だかすごく悲しくなってきた。
「破門されて何言ってるんだか、私…」
私は仰向けのまま、くじいた自分の足首に目をやる。少し動かすだけでも痛みが走った。
土手から転げ落ちた先が雪だったのは不幸中の幸いだったが、あまりに惨めな自分の姿に立ち上がろうという気力は既に失せていた。
「…お腹すいた…」
夕焼け染まる空が、何だか滲んできた。もう色々なことが無意味に思えてくる。
親代わりの司祭の顔が脳裏に浮かぶ。最期まで私を心配して…あなたは考えて行動しなさいと言われていた昔が何だか懐かしい。
確かに…後から馬車が来ると思って道を外した結果、土手から滑落したのだから、その言葉は当たっていたわけだ。
――そんなことだから教会からも追い出されて…
「……」
こんなことだったら…さっきの馬車にとびきりのお金持ちが乗ってるとか、その人に見初められるとか…そんなうまい話があるぐらい、人生平等に出来ていても良さそうである。
まあ自分は主に身を捧げているから、許されないことではあるが…
「ん」
破門されたから結婚は自由か――よし。
頭の中を色々妄想が駆けめぐる。
よしってなんだよ……
だめだ…頭がぼんやりしてよく考えがまとまらない――
「何でにやけてるんですかね…この娘」
頭上からおっとりとした声が聞こえてくる。
うっすら目を開けると、膝に手を当てお下げ髪の女性が心配そうにこちらをのぞき込んでいた。
ぱちりと二人の目が合う。
「…ぁっ」
何か返事をしようと思っても、うまく声が出てこない――
「これは……止血した方いいわね」
この人…何言ってるんだろう…
少し意識がはっきりとして、私は上半身だけをゆっくりと起き上がる。
「とりあえず拭いた方がいいわ」
彼女はエプロンから取り出したハンカチを私の髪の毛に当てる。
頬を生暖かい感触が伝っていった。
「血……かぁ」
ああ……額…切れてたんだ…
「あの…?」
「ちぃぃぃぃぃ!」
喉が破裂しかねないほどの絶叫を上げる私。
だめだって、昔から血を見ると
――私、修道院を追い出されたのだって――
ぐらっと体が倒れ込む。なぜか知らないが、たぶん昔嫌なことでもあったのか、血を見ると失神する奇癖があるのだ。
「ちょっ…」
視界が黒く染まる。
……私は生の終わりを確信した――
(1)――――
気がついたら全身を柔らかい感触が包み込んでいた。何となく自分が夢の中にいることは理解した。
だから荒唐無稽にあふれ出てくる情景も現実じゃない。
司祭の死後、修道院に入れられた私に向けられた軽蔑の視線。
そう、神に仕える人達が決して外では見せない姿。私に見せたのは、孤児である私への――
「……」
視界が徐々に鮮明になってくる。どうやらふかふかのベッドに自分は横たえられているようだ。
窓から差し込むまばゆい光が自分を襲い、急速に意識が覚醒してくる。
確か…土手から落ちて…あれ、前後の状況がよく分からない。
私は体を起こし周りを見渡してみた。
置物や掛けられたコートを見る限りここは女性の部屋のようだ。
持ち主の性格を表しているように、よく整頓されている。
私とは……大違いである。
例外は机に積まれた羊皮紙の山で、印章と達筆な文字から見るに契約書の類のようだ。
寝室だというのに棚には高そうな本があふれている。周りの様子から、朧気に商人の家にでも担ぎ込まれたかと、私は思った。
ようやく体に力が戻ってくる感触を得て、私はベッドから降りる。
床に足が付くと、足首を布の感触が包み込んだ。寝間着のズボンが長すぎるのだ。
ぶかぶかの寝間着姿に私は首をかしげる。
自分の荷物袋に入れたものでは無く、この長さに合う身長といったら――
「ああ…」
……ようやく思い出してきた。確か、担ぎ込まれたんだ。
土手で気を失った後、あの馬車に乗せられ……
薄目で見た光景は、高台と大きな館。朦朧とする意識の中で、何かスープを飲まされたことも思い出した。
額に手を当てると傷はふさがっている。
手当を受けて体を拭かれて、無理矢理着替えさせられて――他にも誰かいたような気もするが――
「う~ん…おかしいなぁ…」
何かもっと重要なことがあった気がする。
私は反射的に首筋に手を当てた。
そう、朦朧とした意識の中で不思議に思ったことがあったんだ。
確か枕元に司祭服を着た人もいて私の首から――
「ああ!」
首筋に手をやるとそこにあった刻印札がなくなっていた。
あれを勝手に外すと大変なことになるのに――慌てて私は辺りを見渡した。
「あら、目が覚めたのね」
部屋の扉を開けて、長身の女性が入ってきた。
お下げ髪…私をここに連れてきた人だ…
「…あの……」
「これですか?」
彼女の手元には探していたものが握られている。私は焦った。
普段から首にぶら下げているその小さな札には、名前と良くも悪くも自分の身分を示す記号が打ち込まれている。
あれがないとこの先、どこに行くにも困るのだ。
「どうしました?」
私の置かれた事情は知っているはずなのに、この人は面白そうにこちらを見つめている。
そもそも領主か司祭の立ち会いがないのに外すことは重罪なのに――
「…あれ?」
司祭――枕元にいたのは……いや…なんで?
「ジゼルさん、落ち着きましたか?」
「――?」
彼女は私の寝間着のボタンを付け直し、袖をまくっていた。だらけた身なりが引き締まり、動きやすくなる。
戸惑う私を尻目に、彼女はドアの方へ手をかざす。
「まずは起きて食事にしましょう。その後に一つずつ説明しますね」
(2)――――
「ウィヅ、ここで家事全般を取り仕切っています」
彼女に紹介された女性はぺこりと頭を下げた。二人とも同じような背格好だが、年齢はウィヅさんの方が下のように見える。二十歳くらいか――知的なお姉さんといった感じだ。
「ジゼルです…はじめまして」
私もぺこりと頭を下げた。
どこか冷淡な彼女の表情は、有無を言わさぬものがある。
そして整った前髪と、きりっと光る眼鏡がさらに彼女を印象づけていた。
「昨日あなたをお風呂に入れたのは私なんですけどね」
ウィヅさんは苦笑する。
「…うっ…」
「無理はないですね、意識はあって無いようなものでしたから」
下がった眼鏡を直しながら彼女は微笑んだ。きっと悪い人じゃなさそう…
「私は執事長のエリゼと申します。料理と……ここの執務を担当してます」
私を助けてくれた女の人は、穏やかを体現したかのような声と表情を持っている。長いお下げ髪が印象的だ。
どことなく…私よりもシスターに向いているような、穏やかな雰囲気を持っている人だ。
続けて私は二人の格好を観察する。
灰色と白を基調としたエプロンドレスは微妙に作りが違うが二人の立場を表している。
絵に描いたような使用人達である。
う~ん…どうやらあの時うっすら思った妄想が体現したわけだ。
とりあえず金持ちの屋敷に拾われたことだけは確かなようである。
「…聞いてます?」
「ああ…すいません」
エリゼさんはにこやかな表情を変えず私の前に紅茶を置いた。
朝食は修道院の薄味に慣れた私にしてみれば食べ応え満点だったが、少々の胃もたれも感じ始めている。
これで使用人の料理というのだから……こういう生活をしている人もいるんだなと、妙な感心をしてしまう。
「これですけど…」
エリゼさんは私の刻印札を無造作にテーブルに置く。やはり夢ではないようだ。枕元にいた司祭はこれを外していたんだ。
「もういらないものですから捨てておきます」
「……」
私は少し眉をひそめた。見ず知らずの私に…何故こんなことを…
教会に属する者はその階級に応じたロザリオが支給され、国境や街の関所を自由に越えることが出来る。
平民は財布や荷物袋に入る小さな身分票を生まれた国から渡され、それが身分を示すのである。
そして…身分の低い人間…例えば私のように破門された修道女や罪人は、誰が見て分かるように金属の板に身分が打刻された札を首から下げなくてはならない。
それがどこの国でも同じ決まりである。
どこに行くにも高い通行税が掛けられ、職にもまともに就くことが出来ない最下層の身分をそうやって晒す羽目になるのだ。
神様がいるとしたらずいぶんな仕打ちである…
「なんでこんな物を首から外すのに一軒家が建つ金がかかるんでしょうね…」
ウィヅさんはテーブルに置かれた打刻札を手に取る。
「あらウィヅは知らないの?」
エリゼさんがちらりとこちらを見た。こちらに気を使っているのだろうか……
私は戸惑いながらも小さく頷いた。教会にいた身としては、「免罪符」の目的はその裏まで知っている。
「修道院に入れられる娘っていうのはね、大抵は後継者争いに絡まないように押し込められる貴族の娘なの。
だから必ずしも素行がいい訳じゃなくて、破門されることもあるでしょ?」
「はぁ」
「そこで高い免罪符と一緒に戻され、それが教会の収入源にもなっているってことね」
一般の人にはあまり知られていない教会の裏事情を見事に総括するエリゼさん。ウィヅさんも、なるほどというように感心していた。
「でも自分の娘ならいざ知らず……こんな」
エリゼさんが唇に手を当てる。
「こんな捨て子ですか?」
自嘲気味に自分を指差す私。言わんとすることは分かるし、慣れていた。
親代わりの司祭が亡くなり孤児院から居場所の亡くなった私は、後任の司祭の紹介で修道院に入れられた。
しかしそこで待っていたのは執拗な嫌がらせである。生まれつき不器用で、要領悪い私は格好の標的になったわけだ。誰かがしでかした失態も全て私のせいになり……そう、そんな時に……教会で営む診療所で薬棚をひっくり返したのは――
うう…思い出しただけで頭がくらくらしてきた。
「……」
「そんな暗い顔をしないで……」
いつの間にか呟いていた私の独り言にくすくすと笑うエリゼさん。
「私達の方で教会から免罪符を発行してもらいましたから、もうあなたは自由です。
身分も平民に戻してあります。公爵の公認ですから正式な身分ですよ」
「そんなこと出来るんですか?」
驚いた。免罪符に加えて、新しい身分を発行するなんて、どれだけお金がかかるやら想像もつかない。
「造作もないですわ…ここは公爵の邸宅ですからね」
「えっ?」
「あなたを土手から担ぎ上げて馬車に乗せた後、公爵がこれを外すように指示されたんですよ」
「……」
私は言葉を失った。ただ気まぐれにしてはやることが大きすぎる。
「倉庫の骨董品が一つなくなりましたが、大した散財ではありません」
私の心情を察したのか表情一つ変えずエリゼさんが言う。
「それに今回の件を借金としてあなたに押しつけることはないと思います。そういう風に私が処理しましたから」
「でも…」
昔からただより高い物はないと言う。自分では到底持てない重荷を変わって持ってくれた――その真意が分からない。
何とも言えない気持ち悪さが私を襲う。
「その…公爵様は…」
「今はお会いになれません」
ウィヅさんは腕を組みながら言った。その声の調子に、瞬時に歓迎されていない雰囲気を掴む私。昔から人のそういう機微には鋭いのだ。
「なんでこんなこと…」
「そうですね…理由は説明されていません」
エリゼさんは相変わらず微笑んでいた。他意は無さそうに…見える。
「グリ……っと、公爵は今、病に伏しています。
そのうち紹介できると思いますよ」
そう言うとエリゼさんはカップに残った紅茶を飲み干した。
「さてと……とりあえず…あなたについてですが」
彼女はウィヅさんを一瞥すると立ち上がった。
「特に指示は受けてませんが、しばらくここで働いてもらいましょう。私の権限で人は雇えますし、その方あなたも気が楽でしょ?」
私は強く頷いた。間髪を入れずにウィヅさんが一枚の紙を差し出す。
「そこに名前を書いてくれれば、期限を定めずにこの家の使用人として雇われることになります。
もちろん条件は公爵と相談しますが……とりあえず見習いとして私からお給料は出すことにしましょう」
エリゼさんが文章を指差しながら説明してくれた。私はどこか上の空だ。舞い上がる感情を…震える腕を押さえて私は署名する。
これで捨て子から破門された修道女を経て、初めて職に就けるわけだ――
(3)――――
「着替えが終わったら声を掛けてください」
ウィヅさんに連れて行かれたのは、普段は客間として使われている部屋ということだ。貴族や商人等向けでなく、家の修繕などに訪れる業者向けのなので、自分の分相応の造りにはなっているが、客間を自由に使っていいのだから、ずいぶん豪気な話である。
「当面はそれ一着しかないので大事に着てくださいね」
渡された服に袖を通す私。髪飾りとして初めて付けるリボンがくすぐったかった。
「教会では、どんなことしてたんですか?」
「掃除…洗濯…食事作りの一通りは……出来ます」
私は曖昧に答えた。出来るというよりは、やったことのあることと言った方が正確だからである。
「そうですか」
ようやく着替え終えた私は鏡の前でくるりと回ってみる。まるで別人のようだ。
「こことここ…しっかり留めてください」
ウィズさんが腰に手を回しエプロンを縛ってくれた。ほんのりと彼女の髪から上質の香水の香りが漂ってくる。
何だか自分まで上品になった気分になる。
「まずはこの館にある物を見てもらいましょう…ウィヅも付いてきて」
「…はい」
私達はエリゼさんを先頭に台所を抜けて廊下に出た。台所や食卓、客室、書斎等、一階は公国の執務のための部屋と、使用人の生活のための寝室等が配置されている。
玄関は吹き抜けで空を見ることが出来た。
全体として採光に細かな配慮が成されていて、調度品と相まって明るい雰囲気を醸し出している。
中でもピアノの置いてある客室は、私の目を輝かせた。
「この階段ですが…」
二階は公爵様の部屋があると言い私はエリゼさんか公爵様の許可がない限り上がってはいけないと言われた。
「上と地下の倉庫も含めて十五部屋あります。まあ公爵邸ですが田舎の町ですからこれでも規模は小さいんですよ」
…確かに私が住んでいた修道院よりは狭いが、あそこは数十人が暮らしている。ここは私を入れても四人…
「って…使用人の数、少なくないですか」
こういう人達って大勢の使用人を抱えている印象があったのだが……
「公爵様は少し気難しい方でして、信用できる人しか手元に置かないんです」
「…はぁ」
エリゼさんの言葉に、私は少し違和感を覚えた。
「信用できるって…私の何を持ってそんな……」
「修道院から来た娘に悪い娘はいませんよ。破門された経緯も想像はつきますし」
「…でも」
そう言われてもあまり信じることは出来なかった。
それぐらい身分を変えるということは簡単に出来ることではない……
「それに人手が少し足りなくなってきたところですから、ちょうどいいことは確かですよ」
エリゼさんはそっと私の肩にぽんと手を置いた。
「はい……」
とりあえず納得することにした。下手な勘ぐりを入れてやぶ蛇になることもないだろう。
「他に何か聞きたいことはありますか?」
今まで見てきた場所を思い出して少し考える私。そういえばこういう家に足りない物がもう一つあった。
「警備とかはどうしてるんですか…その女の人だらけだと泥棒とか来たら」
「ここは高台ですし、通じる道を兵士を使って塞げば狼藉者も入ってこれません。盗られて困るほど蓄財もしてません」
エリゼさんは気楽にのたまった。調度品一つでもくすねればしばらく生活できる身としては、複雑な気分だ。
「それに彼女に護身術の心得があります」
話題を振られウィヅさんはおどけるように構えてみせる。私にその心得はないが、隙が無いように見える。
…力は無さそうだが、あまり喧嘩とかしたくない相手かもしれない…
「わ、わかりました…」
「ではこんなところでいいですね。この部屋から掃除を始めましょう」
「はい!」
私はやる気満点で元気よく答えた。
(4)――――
「……」
「……」
二人の沈黙が部屋を支配する。
エリゼさんと別れ、ウィヅさんと一緒に掃除を始めたのだが、私の元気が続いたのは三部屋目までだった。
これだけ広い屋敷になると日常の掃除と言ってもやることは多い。それに修道院のように人海戦術に任せるわけにもいかない。
調度品の扱い方にも一つ一つ注意点があり、神経をすり減らしていく。
「あっ…」
緊張疲れから注意散漫になった私は床に置いてあったバケツをひっくり返す。
……それも…これで二回目である。
「……」
「ごめんなさいっ!」
私は慌てて床を拭いた。大事に着てくれと言われた服のスカートをそれで濡らしたと気付いたのはその後だ。
「あっ…」
「ここはもういいです……」
私のあまりの醜態に呆れたように大きくため息を付くウィヅさん。
「片付いたら洗濯をしましょう」
ウィヅさんの声の調子は平静を装っていたが、微かに上がる肩を見るに、怒っていることは間違いないようである。
失敗しないようにびくびくと怯えていくうちに、私の動きはどんどんぎこちなくなっていく。今洗っているのは女性物の下着で、そこには昨日まで着ていた私の物もあった。
「あっ……」
お約束のように桶の中に洗剤を落としてしまった。
「……」
「……」
即座にウィヅさんの視線が突き刺さる。
「すいません…」
その後も失敗続きの散々な仕事ぶりで、一日通して彼女の私への心証は相当悪くなったのは間違いない。
その日最後の仕事は台所での炊事だった。これはエリゼさんが取り仕切るので、あの視線からは少し解放される。
「ウィヅもジゼルも何か疲れてない?」
「色々ありましたから」
冷たいウィヅさんの声が私を責めるように響いた。
「そう?」
エリゼさんは気付かないのか、鼻歌交じりにスープを煮込んでいた。
「それの皮を剥いてもらえるかしら」
「はい」
ジャガイモと包丁を手にする私。
「道化 じゃないんですから手を切らないでくださいね」
ウィヅさんの声に私の手がビクリと震える。
指先を包丁が走るとうっすらと赤い物がしみ出してきた。
「ひぃぃぃ」
私の悲鳴とともに皿が床に落ちた。
バリンという音ともにウィヅさんの歯ぎしりが聞こえてきた気がした。
「あなた…喧嘩売ってるんですか」
「ひぃっ」
……ここも追い出される…
考えれば考えるほど恐い想像が頭をもたげる。
免罪符の代金返せと言われて、返せる当てもなく、どこか悪い人に身売りされ――
私の眼からはぼろぼろと涙がこぼれてきた。
「まあウィヅったら、まあそんな恐い顔したらせっかくの美人が台無しですよ」
「…」
「わたし…」
自分の声が声になっていない。床にぺたりと張り付いた足は自覚できるほど震えていた。
「大丈夫よ、追い出したりはしないからね」
エリゼさんは間に入って私の頭を優しく撫でてくれた。
「人間何か取り柄はあるから
それに、ちょっとドジなのも微笑ましいじゃない」
エリゼさんの言葉にウィヅさんの口元がひくっと歪んだことを私は見逃さなかった。
「でも…掃除洗濯料理……ちょっと今は任せられないから…
他に何かしていたことはない?」
ハンカチで私の涙をぬぐいながらエリゼさんが尋ねる。
「えっ…と…子供に歌ったり…本を読んであげたり……あと…」
孤児院育ちゆえ、孤児院の手伝いはよくやっていた。でもここで役立つ技量ではない。
「オルガン…弾けます…」
私は声を振り絞るように答えた。
「…?」
賛美歌を弾くオルガンなら、修道院でもその腕前を認められていた。
偉い司祭がやってくる安息日のお祈りにも指名されて賛美歌を弾いていた。
まあそれが新たな妬みの原因になってたりしたのだが…とりあえず自分の拠り所はそれしかない。
「では聞いてみましょう…ここにはピアノしかありませんが」
「え…今からですか」
ウィヅさんが怪訝な表情を浮かべる。
「いいじゃない。近所迷惑にはなりませんから」
(5)――――
スープの火を止めてエリゼさんに連れて行かれたのは来客用の部屋である。私の部屋ではなく上客用の部屋で、広さも装飾もわけが違う。
ようやく泣きやんだ私は、初めて触れるピアノに慎重に触れてみた。
「これだけは壊さないでくださいね」
エリゼさんが優しい声でからかってくれた。その声に悪意がないのはすぐに分かる。
「はい」
修道院での嫌な経験からか、悪意を持って…今日も自分が悪いとは言え、ウィヅさんのように苛立ちを自分にぶつけてくる人の前では、どうも自制を失ってしまうのだ。
そんな私に気遣ってエリゼさんは演奏が終わるまで黙っているようウィズさんにきつく命じていた。
「…よし」
大きく息を吸い、鍵盤を一音叩く。
ポンっと、オルガンよりも素早い立ち上がりで音が響く。これがすごくいい感触だった。
曲は頭にたたき込まれた賛美歌だが、今日は自分なりの変調も加えてみることにした。
少しテンポを上げて、私は指先に神経をとがらせる。もちろん「聴衆」の反応を見ることも忘れない。
破門されてから酒場で小遣い稼ぎに培った腕を全て見せなくてはならない。
「……」
ちらりと脇目を振ると、エリゼさんは感心しているようだ。
「……ふぅ」
あっという間に一曲が終わってしまった。
少し遅れてパチパチと拍手が響いてきた。
「すごい…これならお金が取れますわね」
「確かにこれなら遠方から奏者を呼ぶこともないですね」
そう言うウィヅさんは無表情で私を凝視していた。
「……あの…どうでしょうか…」
「演奏は悪く無かったです」
ウィヅさんは私から視線を逸らし、口をとがらせていた。
何を怒っていたんだろう……自分としてはいい演奏だったと思うんだけど…
「最近は客人が来ませんから…それほど役に立つとは言えません」
肩を震わせながら彼女は冷たく言い放った。
「だいたいあなたのせいで沢山お金を使いましたから、それぐらいの貢献じゃ足りません。
鍵盤も激しく叩きすぎ、消耗を考えてください!」
彼女は立ち上がると苛立っているようにバタリと扉を閉めて出て行ってしまった。
残されたのは目を丸くした私と苦笑するエリゼさんである。
「気にしないで、素直じゃないから…あの娘」
「はぁ…」
「私は最高と思いましたよ。出来れば毎日聞かせてくださいね」
エリゼさんはそう言うと「ウィヅをなだめに行く」と言ってやはり外へと出て行く。
とたんに部屋は静かになった。
緊張から解放され、体から力が抜けていく。
その後、もやもやとした気持ちを抱えながら食事を取りエリゼさんとお風呂に入ったら、もう眠気が最高潮に達していた。
「…ああっ」
思えばこの館での一日目は散々だった。
身分が一夜にして変わり、ここでもやっぱり私は役に立たず、ウィヅさんの心証はどんどん悪くなっていく。エリゼさんは…逆に何でも許してくれるのが恐い。
そしてまだ見ぬ公爵は何でこんな私を…
まあ……考えても仕方がない――
私は疲れ切った体を横たえて眠りに付いた。
(6)――――
「それで、どうするんですか」
「そうそう、昨夜一生懸命考えましたが…」
寝ぼけ眼で食堂にはいると二人はもう朝食を食べていた。
私は朝の低血圧と着替えに手間取り少し遅れたようである。
「…ジゼルさん」
ウィヅさんが席に着いた私の腰の辺りにじろりと視線を向ける。
「うぁ…すいません」
慌ててエプロンの紐を締め直すと私は既に用意された食事に手を付けた。
「……っと…話を続けますね」
エリゼさんは早々と食事を終えて紅茶を自分のカップに注いでいた。
「ジゼルの仕事なんですけど…」
その言葉に心臓がドキリとなった。いきなり深刻な話が襲ってきたようだ。
「朝からそんな顔しないの。お払い箱にしようって話じゃないわ」
エリゼさんは笑った。
「あなたには裏庭の手入れを任せまようかと思います」
「…そう来るとは思いましたが…反対です」
間髪を入れずウィヅさんがガタリと立ち上がった。冷たい視線は私ではなく、エリゼさんに向かっている。
「あら、でもあの草むらは何とかしないといけないでしょ?」
庭って…私は窓から外を見る。綺麗に整った庭がそこにあった。
「そっちは正面の庭ですよ。崖側の方に使われなくなったテラスがあります」
エリゼさんは反対側を指差した。そうそう、昨日廊下から見た景色の中に、草むらの姿があったことを私は思い出す。
「この|娘<<こ>>に庭の手入れなんか出来るんですか?」
「……修道院でも…そこを任されてました」
昨日と同じように曖昧に私は答えた。
「何かとやらかしたあげくに、でしょ?」
それぐらいはお見通しのようで冷笑を浮かべてウィヅさんが言い放つ。だがすぐにエリゼさんにたしなめられると、彼女は席に戻った。
「いいんですか?」
怪訝そうにウィヅさんが確認している。どうも信用されてない……ようである。
「私が決めました。反対するなら正当な理由でないと受け付けませんよ」
きっぱりと言うとエリゼさんは部屋を後にしてしまった。
「まあ、そこまで言われたら反対は出来ませんね。雇われた身では」
小声で何か呟くとウィヅさんは私に顔を近付ける。
「あそこだけは慎重に手入れしてください。使用人ではあなたをかばえなくなります」
何やら意味深な言葉を私にささやくと彼女は仕事へ行ってしまった。
(7)――――
慌てて食事を終えると、落とさぬよう冷や冷やしながら台所へ食器を片付けエリゼさんのところへ向かう。
その後連れて行かれたのは件の裏庭である。
そこには自分の胸元まで草が伸びている。一昨日の雪にもめげずに立つすすきは、枯れかけてはいるものの、その存在を堂々と示している。
屋敷とは対称的な荒れ果てた庭に、私は呆れることしか出来なかった。
「二人だと、なかなかここまで手は回りませんからね…」
「はぁ…」
エリゼさんが私の表情に苦笑している。
「好きにやってください。ここならどれだけ壊されても見えませんしね」
……うう…もしかしたらエリゼさんにも信用されてないかも…
「お昼が出来たら呼びに来ます」
エリゼさんは鎌やほうきを置いて屋敷へ戻っていった。
「好きにやってもと言われてもなぁ……」
どこから手を付ければいいのやら――
まず私は辺りを観察することにした。
草をかき分けながら庭を一周する。昔は手入れされていたのか、花壇や芝生の跡がある。
配置はなかなか考えられているようで、草を刈りその跡を戻すだけでも見栄えのよい庭が出来るだろう。
とりあえずその草刈りから始めよう……それなら何も壊さずに出来る。
自分の中に浮かんだ情けない考えはさておいて、エリゼさんが残した手袋をはめると、
「あそこからだな…」
と、私はテラスに置かれたテーブルと倒れた椅子を元に戻し、鎌を掴んで草を刈り始める。
今は淡々とやることがあるだけで気分が落ち着く。
枯れかけの草はサクサクと切り取ることが出来、意外にも楽しくなってきた。
「うん、何か仕事してるみたい」
そんなどうしようもない独り言を呟きながら、一時間強で自分の部屋の面積ぐらいを草の支配から解放することが出来た。
「ふう……」
天候は汗ばむほどの陽気で、直射日光に照らされた頭がぼんやりしてきた。
エプロンドレスに麦わら帽子、手袋と頭にかぶる手ぬぐい。かなり情けない格好で日射しを防御したのだが、服の下は汗で濡れていた。
首筋をぬぐいながら立ち上がる。
空を仰ぐと見事な青空と…くろい…雲?
「あ…あれ…?」
同時にその時ぐらりと地面が揺れる。
うぁ…
「っと」
突然体の傾きが止まった。自分の肩を誰かが掴んで…いる?
「大丈夫かい?」
か細い少年の声が私に問いかけてきた。