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白いバン

作者: まぶりん
掲載日:2026/02/14


「あ…あの…私…そろそろ…帰らなきゃ…」

 夕暮れ前の公園。まおのその一言に、公園内の子供たちの動きが、ピタリと止まる。ボール遊びの流れ、その一瞬を切り取ったまま、その場に静止する子供たち。

 「なんだよぉ〜…まお〜…またかよぉ〜…お前最近付き合い悪いぞ〜…」

 その場で立ち尽くして、ボールを地面にバウンドさせて、ぼやく少年。

 「ま…まお…?…」

 まおの様子に違和感を覚えたかる、まおに手を伸ばすが…

 「ごめんねっ…かるくんっ…い…行かなきゃ…」

 まおはかるの方を見ることもなく、その手をスルリとすり抜けるように、そそくさと足早に去っていった。

 あっ…まおっ…

 まおの背中を目で追うしか出来ないかる。公園を囲むように配置された巨大なコンクリート製のプランター。そこに植えられた低緑樹が視界に入る。その緑の上からボディの上半分を覗かせている白いバン。

 またあの白いバン…最近…よく停まってるな…。何となくバンに目をやって。

 「おーい!…かるー!…何やってんだよー!…続きやんぞー!…」

 お…おうっ…、子供たちを振り返るかる。駆け足で輪のなかに戻る途中、もう一度まおの方を振り返った。まおの姿はもうなかった。あの白いバンも…。


 授業中も、チラチラとまおの方を見るかる。左斜め前の窓際に座り、黒板とノートに目を上下させているまお。

 俺の気のせいかな…?。まおはノートを取るのに集中しているように見える。やはりただの思い過ごしなのかな…。でも、やっぱり…最近のまお…何だか変だ…。そう思ったら、鉛筆を握り締めている手に、力が入り過ぎているようにも見える。時折、ノートから目を逸らして、何か思い詰めているようにも見える。でもわからない…ただ微かな違和感…その小さな塊が胸の奥に引っかかっている…。

 そういえば…

 いつからなんだろう…まおの様子に違和感を感じるようになったのは…

 そういえば…

 まおが遊びの途中で帰るようになってからだよな…

 なぜだがわからないが、ふとあの白いバンが頭に浮かんだ。

 そういえば…

 あの白いバンが、あそこに停まるようになって…から…だよ…な…。


 数日後、いつもの公園。いつものボール遊び。まおの方をチラチラと目で追い、遊びに集中できないでいるかる。ボールを持った男子に追いかけられて、笑顔で逃げ回るまお…。当てられそうになって…それを笑顔で避けるまお…。ボールをぶつけられて…笑っているまお…。

 ふっ…やっぱり…考え過ぎだよな…いつものまおだ…。まおの笑顔を見ていると、胸の奥の小さな塊はなくなっていた。

 よーし!…まおっ!…これ避けてみろよー!…。つられて笑顔になるかる。ボールを高々と振りかざして、まおにぶつけようとした時…。

 私…もう…行くね…

 まおの言葉が耳に入り、ピタリと動きを止めるかる。まおの顔から、先ほどの笑顔は消えていた。まおの視線は、公園の外に向けられている。今度は間違いない、わなわなと少し震えている。かるの胸の奥に、またあの硬い感触が甦る。反射的に、まおの視線を追うかる。あの白いバンが停まっていた。

 かるー!…何やってんだよー!…ボール寄こせよー!…

 あ…あぁ…

 かるー!…ボールいったぞー…

 えっ…あっ…う…うん…

 転がるボールを追って公園の端まできたかる。その目の前を、あの白いバンが走り去る。その一瞬、後部座席に座っているまおの姿が目に入った。

 …!?…えっ…ま…まお…!?…

 若い男2人に挟まれて、真ん中で小さくなっているまお…。窮屈そうに…居心地が悪そうに…身体を固め、俯くまお…。それとは対照的に、ふんぞり返り、ニヤついた両側の男たち…。運転席と助手席の男は、前を向いたまま談笑しているように見えた。


 「ま…まおっ…」

 次の日の放課後、赤いランドセルを背負って、トボトボと歩いているまおの背中に、かるは声をかけた。

 「まお、ちょっと…いいか…?」

ゆっくりとした足取りのまま、止まらないまお。

 「あ…あのさ…まお…話が…あるん…だ…」

 そこでピタリと足を止めるまお。まおは肩に掛かったランドセルをぎゅっと握りしめた。

 キョロキョロと辺りを見渡すかる。

 「えーっとっ…ここじゃあ…ど…どっかで…その…話せる…とこ…」

 ここでは話せないこと…。

 俯いたまおの表情は見えなかったが、緊張しているのがヒシヒシと伝わってくる。そうは言ったものの、小学生のかるには、話せる場所といえば、あの公園しか思い浮かばない。でも、あそこだけは…、あの場所だけは…。

 じゃあ…公園…行く…?、まおの言葉にハッとするかる。

 えっ…!?…やっ…いや…で…でも…。口ごもるかるに…

 今日は…大丈夫…だから…


 公園のベンチに並んで座る2人。重い沈黙が流れる。

 「かるくん…話…って…」

 先に口を切ったのはまおだった。

 「あ…あのっ…そのっ…お、お前…最近何か様子が変だな…って…」

 何も答えないまお。ただ地面を見つめている。

 「それで…その…何か…あったの…かなってっ…」

 あははっ…上手く笑えないかる。

 「何か…って…」

 ギクリとするまお。

 「あ…あのっ…白いバン…」

 声が裏返りそうになるかる。

 ぎゅっとスカートの裾を掴むまお。

 「ほ…ほらっ…最近…よ…よく停まってただろっ…」

 何とか声を戻すかる。チラリとまおのほうを見る。地面を見つめたまま何も言わないまお。しばらくまおの横顔を見つめてから、ようやく決心をするように、

 「お前が…あのバンに乗ってるとこ…俺…見たんだ…」

 また重く長い沈黙が流れる。

 「そっか…かるくんは…見たんだ…」

 まおがポツリと呟いた。


 「なっ…何なんだよっ…あのバンっ!…なんでお前が乗ってんだよっ!…誰だよっ!…あの人たちっ!…」

 そこまで一気にまくし立てるかる。まおの顔をマジマジと見つめて、返事を待つ。また重い沈黙の粒子が、細胞に染み込んでくる感覚。全身に力を込めてそれに耐えた。しかし、まおの口からは意外な言葉が返ってきた。

 「かるくん…覚えてる…?」

 「…えっ…」

 「ほら…あの日…二人で隣の町に行ったでしょ…」

 「えっ…隣の…あっ…あぁ…」

 「あの日…かるくん…先に帰ったじゃない?…」

 あの日のことが脳裏に甦るかる。

 まおと二人、自転車で遠出をしようという話になった。行く先も、目的地も何もなかった。ただ二人でいれば何でも良かった。まおから誘ってくれたのが嬉しかった。それはデートなんて呼べるものではなくて、ただ二人で自転車をこいで…話して…笑って…。

 「あの日…かるくん…先に帰ったでしょ…留守番しなきゃいけないの忘れてた…って…」

 「あ…あぁ…」

 喉の奥から何かがせり上がっていく感覚。

 「それで…私…道に迷って…ウロウロしてたの…そしたら…あの車が近づいてきて…」

 わかっていた…もう随分前から…きっと…って…でも…この先を聞くのが怖い…。

 「どこ行くの?…道迷ったの?…俺らが送っていこっか?…って…声…かけられ…て…私…大丈夫です…って…断った…んだ…けど…車が止まって…いいから送っていってやるよ…って…無理やり…車の中…に…」

 聞きたくない…これ以上…。

 今まで幾度も振り払ってきた不安、それはかるを苦しめた。でもそれは、あくまでも漠然とした霧のようでしかなかった。まおの口から直接話される言葉は、何かが身体にぶつかるような衝撃だった。

 それから、まおはポツリポツリと…単語をそっと置くように話し始めた。

 しばらく走って…

 どっかに停まって…

 シート倒されて…

 うん…脱がされた…

 うん…全部…

 うん…見られ…たよ…

 笑って…た…

 それで…

 …触られた…

 …舐められ…た…

 指も…

 入れて…きて…

 うん…痛かっ…た…

 あの人たち…の…も…

 やらされ…て…

 うん…手とか…

 あとは…うん…

 

 かるはただぼんやりと聞くことしかできなかった。胸がギュッと締め付けられて、言葉を発することができなかった。かるの頭には、その時、別のシーンが浮かんでいた。授業中に振り向いたまお…かるくんっ…笑って話しかけるまお…その袖口からまおの膨らみかけの乳首がチラリと一瞬見えて…。それを何度も何度も思い返したこと。じゃあ…他の男子だって…嬉しさと悶々と嫉妬に苛まれて…そんな複雑な気持ちで過ごした日々…。それを…あの男の人たちは…服を…ぜ…全部…脱がせて…ま…まおを…裸…にし…て…まおの裸を…そ…そんな…


 「…すごく…たかった…」

 「…えっ?…」

 そこまで抑揚を感じさせなかったまおの告白。感情を必死で抑えつけていた、淡々とした口調。それはもう限界にきていた…かるにも緊張が走る。

 「私っ…必死で抵抗したんだよっ!…でもっ!…でも…すごい力で抑えつけられてっ!…」

 まおは突然…堰を切ったようにボロボロと泣き出した。

 「すごく痛くってっ!…怖くってっ!…早く終わってってっ!…でも…終わらなくってっ!…やっと終わったって思ったら…次の人がっ!…それでっ…それでっ…私っ…」

 「まおっ!…もういいよっ!…もう聞きたくないよっ!!」

 もう聞きたくない、これ以上、考えたくない。だけど…だけど…ボロボロと泣いているまおを見つめるかる。だけど…

 「ま…まお…まだ…その…人たち…に…」

 泣きじゃくるまおの肩が止まった。見つめることしか出来ないかる。しばらくの沈黙の後…コクリ…まおは無言で頷いた。

 「なんでだよっ…ど…どうして…」

 「…られて…」

  「…えっ…」

 「生徒手帳…見られ…て…それで…」

 涙を拭いながら、真っ赤になった鼻をすするまお。

 どこで会える…

 って…

 それで…

 この公園…

 そしたら…

 じゃあ…俺らの車見たら…

 またボソリボソリと言葉を区切るまお。

 絶対にこいよ…

 …って…

 それで…

 いつも…

 あの人たちの家…

 …に…

 うん…そう…

 家…

 わかんない…

 わかんないよ…

 どこかもわかんない…

 そこで…

 あの人たちに…

 ううん…

 そんなこと…

 言えるわけないよ…

 心配かけたくないもん…

 だから…

 目をつぶって…

 我慢してたら…

 あの人たち…

 満足したら…

 帰してくれる…

 …から…


 そこまで言って、まおは話すのをやめた。辺りは暗くなり始めていた。かるは、まおに掛ける言葉を探していた。何も見つからない。いや、言葉は胸に溢れるほど詰まっている。たくさんの言葉…。でも、どれを言えばいいのか…。どう言えばいいのか…。かるが黙って俯いていると、まおはすくっと立ち上がった。

 「私ねっ…かるくんのこと…ずっと好きだったんだよっ…」

 座り込んだまま、まおを見つめるしかないかる。その口角は少し上がっていたけれど、笑っているのか、哀しそうなのかわからなかった。

 「かるくん…聞いてくれて…ありがとね…じゃあね…」

 まおは立ち去っていく。夕闇に消えていくまおの小さな背中。

 好きだったんだよ…、まおからの過去形の告白…。明日も学校に行けばまおに会える。これからも…。でも、もうあの頃のまおには二度と会えないんだろうな…かるはそんな風に感じていた。

 かるはいつまでも、独りベンチに座り込んでいた。

 

 それから数ヶ月後、まおは転校した。

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