第二話:エリート崩れの執刀医
「……痛覚遮断率、30%に低下。神経パルス同調、良好」
冷徹なモノローグと共に、
氷室ケイは手術用メスのように鋭い軌道で、
バイオ・ビーストの喉元を切り裂いた。
青いスーツが脈動する。
ケイの視覚には、敵の生体構造がサーモグラフィのように浮かび上がり、
急所が赤く明滅して見えていた。
(右腕の腱を切断。所要時間、0.5秒)
次の瞬間、ケイの右腕の甲殻が変形し、
高周波で振動するブレードが形成される。
一閃。
巨大な蜥蜴のような怪物の腕が、
音もなく切断され宙を舞う。
「すげえな、先生。鮮やかなもんだ」
無線からノイズ混じりの声が聞こえる。
レッドこと、桐生アキトだ。
アキトは怪物の正面で、その巨体を真正面から受け止めていた。
赤黒いスーツが蒸気を吹き出し、
ミシミシと音を立てて怪力に耐えている。
「無駄口を叩くな、13号。僕が隙を作る。君がとどめを刺せ」
「へいへい。命令すんなよ、『ブルー』」
ケイは舌打ちしたくなったが、こらえる。
痛みでそれどころではないからだ。
ブルーのスーツの特性は『超感覚』と『再生』。
その代償として、ホストであるケイの神経は、
常人の百倍の感度でスーツと直結されている。
風が触れるだけで皮膚が焼けるようだ。
心臓の鼓動一つ一つが、鐘の音のように頭に響く。
(この苦痛は罰だ。あの日の医療ミスへの……)
かつて天才外科医と呼ばれた氷室ケイは、
権力者の手術における不可解なミスで全てを失った。
医師免許、信頼、財産。
残ったのは膨大な賠償金のみ。
このスーツは、彼に残された最後の手術道具だった。
『心拍上昇。捕食衝動が増大しています。鎮静剤を投与しますか?』
ヘルメット内のAIが冷淡に告げる。
ケイは首を振った。
薬で感覚を鈍らせれば、この精密な動きはできない。
「13号、今だ! コアを潰せ!」
「おうよッ!」
アキトが咆哮と共に跳躍する。
レッドのスーツが異常膨張し、右腕が倍ほどの太さに膨れ上がる。
純粋な打撃。
インパクトの瞬間、衝撃波が周囲のガラス窓を粉砕した。
怪物の胸部が弾け飛び、紫色の血飛沫を撒き散らして巨体が沈む。
「……標的沈黙。作戦完了だ」
ケイは膝をついた。
戦闘が終わると、アドレナリンで麻痺していた激痛が一気に押し寄せてくる。
視界がホワイトアウトする。
スーツが、ケイの脊髄から養分を吸い上げている感覚。
指先の感覚が消えていく。
(まだだ……まだ僕は、死ねない)
作戦後のロッカールームは、汗と消毒液のにおいがした。
変身を解除したケイの背中は、どす黒い痣で覆われていた。
スーツが寄生していた痕跡だ。
「おい先生、大丈夫かよ。顔色わりぃぞ」
アキトが缶コーヒーを投げてよこす。
ケイはそれを受け取ろうとして、手が震えて取り落とした。
カラン、と乾いた音が床に響く。
「……私の手を、気安く使うな」
「なんだよ、せっかく奢ってやったのに」
アキトは肩をすくめて、自分でその缶コーヒーを拾って開けた。
「俺たちは仲間じゃない。同じ飼い主に飼われている犬同士だ。
馴れ合いは不要だ」
「冷たいねえ。ま、俺もテメェみたいな
インテリ変態とは仲良くする気はねえけどな」
アキトはニヤリと笑った。
その笑顔は、どこか皮肉めいていたが、不思議と嫌味はなかった。
ケイは自分の震える手を見つめた。
かつて命を救っていた手。
今は、自らの命を削って怪物を殺す手。
「……次の出撃はいつだ」
「明日の午後だとよ。今度は港湾地区だそうだ」
「そうか」
ケイはロッカーを閉め、よろめく足取りで出口へと向かった。
出口の自動ドアの向こうには、イージス製薬の巨大なロゴが、
夜のネオンに照らされて不気味に輝いていた。




