セリナ編 第二十一章 セリナの救済④ 姉としての変化
朝の空気は、少しだけひんやりしていた。玄関先で靴を履きながら、エレナが小さく伸びをする。
「きょうも、いいおてんきだね」
その声は明るく、軽い。以前のような、周囲を警戒する硬さはもうなかった。
「そうだね」
俺が答えると、エレナはくるりと振り返り、両手を広げた。
「セリナねえちゃん、ルーメンにいちゃん、いこ!」
その一言で、自然と三人が並ぶ。セリナ姉は、少しだけ戸惑ったようにエレナを見てから、そっと微笑んだ。
「……うん、行こうか」
エレナが真ん中に来て、両側から手を繋ぐ。その距離は近いけれど、以前のように力が入ってはいない。ただ、温かい。
歩き出してしばらくして、エレナがぽつりと言った。
「ねえ、セリナねえちゃん」
「なあに?」
「がっこう、たのしいよ」
その言葉に、セリナ姉は一瞬、足を止めそうになって、それからゆっくり頷いた。
「そう。……それは、よかった」
「わたしね、もうころばないよ」
エレナは胸を張る。
「ちゃんと、まえ、みてあるくし」
「うん」
セリナ姉は、エレナの顔を見て、確かめるように言った。
「でもね、もし転びそうになったら、無理しなくていいのよ」
「うん」
「ちゃんと、周りに言っていいし」
「うん!」
そのやり取りを聞きながら、俺は胸の奥で思う。
(……大丈夫だ)
守ることは、縛ることじゃない。強くなることは、無理をすることじゃない。セリナ姉は、それを身をもって学んだ。
校門が見えてくる。子どもたちの声、走る足音、いつもの朝。エレナが少しだけ先に歩き出して、振り返った。
「セリナねえちゃん」
「なに?」
「ありがとう」
不意打ちの言葉だった。
「わたし、げんきだよ」
その一言に、セリナ姉の目が、少し潤んだ。
「……うん」
それ以上、言葉はいらなかった。
三人は並んで、校門をくぐる。影は、ただ足元に伸びているだけ。追ってこない。迫ってこない。ただ、朝の光の中に、静かにそこにあるだけだった。
教室へ向かう廊下で、エレナが友達に呼ばれて駆けていく。
「またあとでね!」
そう言って、小さな背中が人波に紛れていった。その後ろ姿を見送ってから、セリナ姉は、ふうっと小さく息を吐いた。肩の力が抜ける、その音。
「……ルーメン」
「なに?」
「ありがとうね」
唐突だったけれど、今度ははっきりとした声だった。
「助けてもらったこともだけど……」
言葉を探すように、少し間を置く。
「私が間違ってないって、ちゃんと、言ってくれたこと」
俺は首を振った。
「言っただけだよ。セリナ姉が、そうだったから」
セリナ姉は、少し困ったように笑う。
「前はね……“お姉ちゃんなんだから”って、そればっかり考えてた」
視線が、床に落ちる。
「強くなきゃ、守らなきゃ、泣いちゃだめで……」
「うん」
「でも、それで誰かを守れても、自分が壊れたら、意味ないって……今なら、分かる」
その言葉は、どこか大人びていたけれど、無理をしている感じはなかった。
「ルーメン」
「なに?」
「私、これからは……ちゃんと助けてもらうね」
一瞬、胸が詰まる。
「それでいいよ」
俺はそう答えた。
「兄弟なんだから」
その言葉に、セリナ姉は少しだけ目を見開いて、それから笑った。
「……そうよね」
「お姉ちゃんだからって、全部一人でやらなくていいのよね」
「うん」
「それに」
セリナ姉は、いたずらっぽく続ける。
「助けるのは、私の役目でもあるんだから」
「お互い様だね」
「ええ、お互い様」
チャイムが鳴る。いつもの音。いつもの朝。でも、その響きは、どこか違って聞こえた。重たい何かが、確かに終わった音。セリナ姉は、教室の扉の前で一度立ち止まり、俺を見た。
「ルーメン」
「うん」
「これからも、よろしくね」
「こちらこそ」
二人で、同時に笑った。それは、守る人と守られる人ではなく、並んで歩く兄弟の笑顔 だった。
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