表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
91/114

セリナ編 第二十一章 セリナの救済③ 傷と痣の消失

俺は何も言わず、その手を握ったまま、隣に座り続けた。今のセリナ姉に必要なのは、説明でも理屈でもない。ただ、泣いていい場所だった。

そのとき、廊下から慌ただしい足音が聞こえた。


「……セリナ? どうしたの?」

扉が開き、母さんが部屋に入ってくる。

泣き声を聞きつけたのだろう、少し強張った表情で、俺とセリナ姉を見比べた。


「ルーメン、何を……」

言いかけて、母さんは言葉を止めた。

セリナ姉の腕。首元。足元。そこにあったはずの、無数の傷と痣が、一切消えている。


「……え?」

母さんは一歩近づき、息を詰めるようにしてセリナ姉の腕を取った。


「……ない……?」

次に、服の上からそっと背中に触れる。確かめるように、何度も。


「……全部……消えてる……」

母さんの声は、震えていた。

俺は静かに言った。


「セリナ姉の話を、全部聞いた。それで……気持ちに寄り添って、一緒に整えただけだよ」

母さんは、ゆっくりとセリナ姉の前にしゃがみ込んだ。


「……セリナ」

セリナ姉は、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げる。


「……ごめん……なさい……」

絞り出すような声だった。


「心配……かけて……お姉ちゃんなのに……ちゃんと……できなくて……」

その瞬間だった。母さんは、迷いなくセリナ姉を抱きしめた。強く。逃がさないように。でも、痛くならないように。


「……違うわ」

母さんの声は、優しく、はっきりしていた。

「そんなに辛かったのに、誰にも言えずに頑張ってたんでしょう」

セリナ姉の肩が、びくりと揺れる。


「気づいてあげられなくて……ごめんね」

母さんは、セリナ姉の髪を、何度も撫でた。


「セリナはね、今のままで、もう十分立派なお姉ちゃんよ」

顔を上げ、まっすぐ目を見て続ける。


「父さんも、私も、ルーメンも、エレナも。みんな、そう思ってる」

セリナ姉の瞳が、揺れた。


「そんなに気負わなくていいの。誰かを守るために、自分を壊す必要なんて、ないのよ」

母さんは、少しだけ微笑んだ。


「これからはね、ちゃんと自分のための時間も使いなさい。あなた自身の未来のために」

「……うん……」

セリナ姉は、母さんの胸に顔を埋めて、声を上げて泣いた。今度は、恐怖や罪悪感の涙じゃない。救われた人間が流す、安堵の涙だった。

俺は、その光景を少し離れた場所から見守りながら、胸の奥で思う。


(……本当に、よかった)

この家族は、ちゃんと繋がっている。壊れそうになっても、離れそうになっても、また手を取り合える。

セリナ姉は、救われた。そして、これから、前に進める。


それから数日が過ぎた。あれほど張り詰めていた家の空気は、少しずつ、元の温度を取り戻していった。朝になれば朝の音がして、夕方には夕方の匂いがする。当たり前だったはずの時間の流れが、ようやく自然に感じられるようになった。


セリナ姉は、部屋に閉じこもることがなくなった。朝はきちんと起きて、母さんを手伝い、エレナの身支度を見てやる。ただ、以前と違うのは、その距離感だった。


「エレナ、靴ひも結べる?」

「うん、できるよ」

そう言って、エレナが少し不器用に結ぶのを、セリナ姉は横で見守る。手を出したくて、でも出さない。焦らず、口を出しすぎず、ちゃんと待つ。


結び終えたエレナが胸を張ると、セリナ姉は柔らかく笑った。

「できたね。えらいよ」

その声には、以前のような切迫感はなかった。守らなきゃ、という義務ではなく、見守りたい、という自然な気持ち。


俺は、その様子を少し離れた場所から見ていた。

(……少し、大人になったな)


無理に背伸びをしていた「お姉ちゃん」じゃない。自分の弱さを知った上で、それでも誰かのそばに立てる、そんな在り方。

エレナも、確かに変わっていた。転ぶことは、ほとんどなくなった。歩き方も、走り方も、どこか慎重で、でも怯えてはいない。


「ルーメン兄ちゃん、みて」

そう言って、少しだけ高い段差を、ぴょんと跳ぶ。

「……すごいじゃないか」

そう言うと、エレナは誇らしげに笑った。

「もうね、だいじょうぶなの」

その言葉を聞いて、セリナ姉の肩が、ほんの少しだけ緩む。


それでも、夜になると、時々、セリナ姉は考え込むような表情をする。完全に不安が消えたわけじゃない。けれど、それを一人で抱え込むことは、もうしなくなっていた。

「……ルーメン」

ある晩、そう呼ばれて、隣に座る。

「私さ……」

少し迷ってから、続けた。


「また、怖くなったら……ちゃんと、言うね」

その一言に、胸が温かくなる。

「うん。それでいい」

俺はそう答えた。

助けることも、助けられることも、どちらか一方じゃなくていい。この家族は、そうやって、また前に歩いていく。

窓の外には、静かな夜。風は穏やかで、影はただの影だった。もう、追いかけてくるものはない。


最後まで読んで頂きありがとうございます


少しでもお気に召しましたら、ブックマークと☆の評価をお願いします。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ