セリナ編 第十九章 セリナの代償行為④ 代償の証
その翌日だった。
昼過ぎ、母さんがセリナ姉の部屋を訪ねたのは、洗濯物を持って行くためだったらしい。しばらくして、家の奥から、はっきりとした母さんの声が聞こえてきた。
「セリナ、その傷と痣、どうしたの!?」
思わず、俺は立ち上がった。
「ちょっと、見せなさい! 服の中も……何これ……!」
その声は、明らかに動揺していた。
「酷い怪我じゃない! すぐに母さんがヒーリングしてあげるから!」
俺は、胸騒ぎを抑えきれず、部屋の前まで行く。扉は閉まっている。中からは、セリナ姉の声は聞こえない。
しばらくして、扉が開いた。
母さんが、蒼白な顔で出てきた。
そして、まっすぐに俺の方を見る。
「ルーメン……大変なの」
母さんの言葉を聞いた瞬間、胸の奥が冷たくなった。
「セリナの身体が……全身、傷と痣だらけなの」
俺は何も答えられず、ただ反射的にセリナ姉の部屋へ向かった。
扉を開けると、部屋の中は静まり返っていて、セリナ姉はベッドの縁に腰掛けたまま、項垂れていた。
「……セリナ姉」
声をかけても、反応はない。俺はそっと近づき、視線を落とす。
包帯で隠しきれなかった腕の一部に、紫色の痣が浮かんでいる。昨日までは、確かになかったはずの傷だ。
「……見せて」
小さくそう言うと、セリナ姉は一瞬だけためらい、ゆっくりと袖をまくった。
息を呑んだ。腕、肩、肘。場所も形も不揃いな傷と痣が、いくつも残っている。
どれも浅いものではない。だが、致命傷でもない。
……それなのに、残っている。
「……いつから、こんなに」
問いかけても、セリナ姉は答えない。
俺はすぐ癒し魔術をかけた
「ヒーリング」
淡い光が、セリナ姉の腕を包む。いつもなら、これで十分なはずだった。
光が消える。……変わらない。
「……もう一度」
今度は、より集中する。魔力の流れを丁寧に整え、傷の一つひとつを意識する。
再び、「ヒーリング」
それでも、傷は残ったままだった。胸の奥が、ざわつく。
「……中位を使う」俺は迷わず、次の段階へ進んだ。
「キュアヒーリング」
光は、先ほどよりも強く、広く広がる。母さんも、祈るように見守っている。
だが……結果は同じだった。痣は薄くもならず、傷も閉じない。
「……どうして」
声が、震えた。今まで、これで治らなかった怪我はない。まして、命に関わるほどの深手でもないのに。
俺は、唇を噛みしめる。
「……上位を使う」
母さんが、はっと顔を上げた。
「ルーメン、それは――」
「大丈夫」
自分に言い聞かせるように言い切り、
「ブライトヒーリング」
温かく、包み込むような光が、セリナ姉の全身を覆った。空気が震え、魔力の流れがはっきりと感じ取れる。
これなら。そう確信した。
光が、ゆっくりと収まる。俺は、恐る恐る、再び傷を見る。
……残っている。消えていない。痣も、傷も、そのままだ。
「……嘘だろ」
思わず、呟いていた。
母さんは、口元を押さえ、声を失っている。
俺は、震える指で、別の場所を確認する。脚、背中、脇腹。どこも同じだった。癒し魔術が、拒まれている。そんな感覚が、背筋を走る。
「……まだ」
俺は、息を整え、最後の手段に意識を向ける。
セリナ姉が、かすかに顔を上げた。
「……ルーメン」
「大丈夫」
その言葉が、どれほど自分に向けたものだったか、分からない。
俺は、覚悟を決める。……聖位。今の俺が使える、最も強い癒し。
それでも駄目なら……その先を、考えなければならない。
魔力の発動に集中し始めた瞬間、胸の奥に、強い不安が湧き上がった。
それは、魔術師としての恐れだった。もし、これでも治らなかったら。俺は、その答えをまだ、受け止めきれていなかった。
魔力の流れを一点に集め、余計な揺らぎをすべて切り捨てる。傷を“治す”のではなく、本来あるべき状態へ戻す……そのイメージだけを、ひたすら強く思い描いた。
「リジェネレイトヒーリング」
これまで何度も使ってきた魔術だ。骨折も、深い裂傷も、命に関わる傷さえ、これで救ってきた。
……頼む。胸の奥で、強く願う。
光は、これまでよりも長く留まっていた。部屋の空気が、静かに震える。母さんが、息を詰めたまま見守っているのが分かる。やがて、光がゆっくりと薄れていった。
俺は、喉を鳴らしながら、セリナ姉の腕に視線を落とす。……残っている。痣も、傷も、そのままだ。
「……そんな」
俺はもう一度、もっと集中して、2度目のリジェレネイトヒーリングを施した。
しかし、何も変わらなかった。思わず、言葉が漏れた。あり得ない。聖位の癒し魔術が、効かない?
俺は慌てて、別の箇所を見る。肩、脚、背中。どこも、変わらない。
「……どうして」
母さんの声が、震えていた。
俺は答えられなかった。いや、答えが分からなかった。魔力は、確かに流れた。魔術そのものは、正常に発動していた。それなのに。
「……セリナ姉」
声をかけると、セリナ姉はゆっくりと顔を上げた。
「……やっぱり、だめ?」
その問いに、胸が締め付けられる。
「……今は、まだ」
嘘はつけなかった。
セリナ姉は、少しだけ困ったように笑った。
「……そう」
その反応が、余計に苦しかった。痛みを訴えない。怖がりもしない。まるで、最初からこうなることを分かっていたかのようだ。
「……痛くないの?」
俺がそう尋ねると、セリナ姉は少し考えてから、首を振った。
「痛い、けど……我慢できる」
その言葉に、ぞくりとした。我慢できる、という問題じゃない。我慢しなければならない状態そのものが、異常なんだ。
「……母さん」
俺は、ゆっくりと振り返った。
「これは、普通の怪我じゃない」
母さんも、静かに頷いた。
「ええ……そうね。癒しが効かないなんて……」
部屋に、重い沈黙が落ちる。俺は、必死に考えを巡らせた。
エレナは、怪我をしなくなった。黒い影も、見なくなった。それなのに、セリナ姉の傷は増え、残り続けている。時間が経つほど、悪化している。
「……何かが、続いてる」
思わず、口に出ていた。
「終わったように見えて、終わってない」
母さんが、俺を見る。
「ルーメン……」
「まだ、分からない」
正直に言った。
「でも……これは、外からの傷じゃない」
癒し魔術が効かない理由は、そこにある気がした。
「……内側から、続いてる」
自分の言葉に、背筋が冷える。もし、原因がセリナ姉の内側にあるのなら。そして、それが今も進行しているのなら。
「……一人には、させられない」
俺は、拳を握りしめた。今は、まだ答えがない。でも、確かなことが一つだけある。このまま様子を見るわけには、いかない。その確信だけが、胸の奥に重く残っていた。
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