セリナ編 第十九章 セリナの代償行為③ 肌を隠す
あれから、数日が経った。朝の家の中は、久しぶりに落ち着いた空気に包まれていた。
エレナは転ぶこともなく、泣き声を上げることもない。歩く足取りはまだ慎重だが、以前のように地面を怖がる様子はなく、時折、小さな笑顔も見せるようになっていた。
「ほら、もう大丈夫だよ」
俺はそう言って、エレナの手を取る。エアリスも隣でうなずき、「リリィ先生の癒し魔術、すごかったよね」と明るく声をかけた。
「うん……すごかった」
エレナは小さくそう答えた。その表情は、完全に元気とは言えない。それでも、あの頃の怯え切った目つきは消えている。
それだけで、胸の奥に張りついていた不安が、少しずつ溶けていくのを感じた。
やっと、終わったのかもしれない。そう思いたかった。だが、その横で。セリナ姉は、明らかに違っていた。
朝食の席でも口数は少なく、エレナが話しかけても、ワンテンポ遅れて返事をする。視線はどこか遠く、時折、何もない空間を見つめるように黙り込む。
「セリナ姉?」
俺が声をかけると、はっとしたようにこちらを見る。
「……なに?」
「大丈夫?」
そう聞くと、セリナ姉は少し困ったように笑った。
「大丈夫よ。エレナも元気になってきたし……ほら、もう安心していいでしょ」
その言葉は、どこか自分に言い聞かせているようだった。
エレナが怪我をしなくなったこと。それは確かに、喜ぶべきことだ。
それなのに、セリナ姉の中にある緊張は、まるで解けていなかった。むしろ、日が経つごとに、別の重さ
を増していくように見えた。
「……落ち込んでる場合じゃないのは、分かってるんだけど」
ぽつりと、セリナ姉が呟いたのは、その日の夕方だった。
「なんだか……怖いの」
「怖い?」
俺が聞き返すと、セリナ姉は少し言葉を探すように視線を伏せた。
「何かに追われてるみたいな気がして……また、怪我するんじゃないかって思っちゃうの。理由は分からないのに」
その言葉に、俺の胸に違和感が走る。怪我をしていたのは、エレナだ。黒い影に追われていたのも、エレナだった。
それなのに、どうして、今、セリナ姉がそんなふうに怯えているのか。
「……エレナは、もう大丈夫だよ」
俺はそう言った。
「うん……分かってる」
セリナ姉は頷く。けれど、その表情は、少しも軽くならなかった。
まるで、安心してはいけないと、自分に言い聞かせているかのように。
俺は、その理由を、まだ掴めずにいた。
その日から、セリナ姉の服装が変わった。
長袖の上着を羽織り、ズボンも足首まで隠れるものを選ぶようになった。まだ季節はそこまで冷え込んでいない。それなのに、肌を露出しない格好を徹底している。
「セリナ姉、寒いの?」
俺がそう聞くと、セリナ姉は少しだけ間を置いてから首を横に振った。
「ううん。寒いってほどじゃないけど……なんとなく、ね」
その言い方は曖昧で、それ以上踏み込ませない壁を感じさせた。
エレナは、少しずつ元気を取り戻していった。朝も自分から起きてくるし、食事も前より食べる。外に出るのも、怖がらなくなった。
「きょうはね、ころばなかったよ」
そう言って誇らしげに話すエレナに、母さんも微笑む。
「よかったわね」
その光景を、セリナ姉は少し離れたところから見ていた。笑ってはいる。でも、その笑顔は、どこか作られたもののように見えた。
夜になると、セリナ姉は部屋にこもることが増えた。扉の向こうからは、物音ひとつ聞こえない。まるで、そこに誰もいないかのように静かだった。
「……母さん」
ある日の夜、俺は小さな声で呼びかけた。
「なに?」
「セリナ姉……最近、様子おかしくない?」
母さんは一瞬、言葉に詰まったように視線を逸らした。
「……気づいてたのね」
「うん」
母さんはため息をつき、静かに続ける。
「元気がないのは、エレナのことがあったからだと思ってた。でも……」
そこで言葉を切り、少し迷うような間があった。
「最近、部屋から出てきた時の歩き方が、少し変なの。足をかばうような……」
胸の奥が、ひやりと冷えた。
「怪我、してるってこと?」
「聞いても、大丈夫だって言うだけで……」
母さんは困ったように眉を寄せた。
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