セリナ編 第十八章 リリィ先生の癒し魔術⑤ ルーメンの分析
エレナは母さんに促されて、部屋へ向かう。
「……おやすみ」
小さな声でそう言って、振り返らずに階段を上っていった。その背中を見送りながら、俺は強く拳を握る。
「ルーメン」
不意に、セリナ姉が俺を呼んだ。
「……さっきのこと」
声が低い。
「リリィ先生に、相談したんでしょ?」
「うん」
「……それで、何か分かった?」
俺は正直に首を振った。
「まだ、何も」
セリナ姉は、小さく息を吐いた。
「そう……」
その声には、安堵と、失望が入り混じっていた。
「でも、放っておくわけには、いかないってことだけは、はっきりした」
セリナ姉は、しばらく黙っていた。そして、ゆっくりと背を向ける。
「……私が、ちゃんとするから」
その言葉が、やけに重く聞こえた。
その夜、布団に入っても、なかなか眠れなかった。目を閉じると、椅子ごと倒れたエレナの姿が浮かぶ。まだ、この章では、答えは出ない。
夜は、静かだった。あまりにも静かで、昼間に起きた出来事が夢だったのではないかと錯覚しそうになるほどだった。
家の中はすでに寝静まり、聞こえてくるのは、壁の向こうで風が木々を揺らす音と、遠くで鳴る虫の声だけだ。
俺は布団に横になったまま、天井を見つめ、何度も深く息を吸っては吐いていた。
ブライトヒーリングは、確かに発動していた。リジェネレイトヒーリングも、間違いなく成功していた。
詠唱も、魔力の流れも、何一つおかしくなかった。リリィ先生が確認し、俺自身も感じ取っていた。
「それなのに、あの影は、ブライトヒーリングの中に入ってきた」
思い返すと、はっきりしている。ブライトヒーリングがエレナを包み込んだ、その「直後」ではなく、「最中」に、影は動いた。まるで、治されることを理解した上で、その前段階を狙うかのように。
「普通じゃない……」
癒し魔術は、本来、身体と魂に直接作用する。外部からの干渉を遮断するほど強力ではないにせよ、少なくとも、これほど露骨に入り込まれることはない。
にもかかわらず、あの黒い影は、何事もなかったかのようにエレナへ向かい、そして……倒れさせた。
「……じゃあ、狙われているのは」
そう考えた瞬間、胸の奥がひやりと冷えた。俺は、布団の上でゆっくりと体を横向きにし、目を閉じる。だが、すぐに瞼の裏に浮かぶのは、昼間の光景だった。
倒れたエレナ。泣き叫ぶ声。そして、そのすぐ隣で、立ったまま動けなくなっていたセリナ姉。
「……セリナ姉」
エレナが倒れた瞬間。ほとんど時間差もなく、同じ場所に浮かび上がった傷。倒れてもいない。何かにぶつかった様子もない。それなのに、痛みだけが、確かにそこにあった。
偶然じゃない。何度も繰り返されてきた出来事が、今日、はっきりと一本の線になった。
「エレナに起きていることと、セリナ姉に起きていることは……繋がってる」
それも、かなり深いところで。布団の中で、拳を握りしめる。指先に、じわりと力がこもる。
セリナ姉は、何も言わない。怪我をしても、理由を誤魔化し、ただ「大丈夫」と繰り返す。それが、余計に胸を締めつけた。
一人で抱え込んでいる。そう感じた瞬間、息が詰まるようだった。
「……このままじゃ、いけない」
リリィ先生は「数日様子を見る」と言っていた。確かに、それは正しい判断かもしれない。だが、今日の出来事で、俺の中の何かが変わった。
傷を治すだけでは、追いつかない。原因に触れなければ、根っこに手を伸ばさなければ、同じことは、必ず繰り返される。
翌朝のことを考えると、胸が重くなる。それでも、目を背けるわけにはいかなかった。
「……次に何か起きたら」
俺は、暗闇の中で、静かに決意を固めた。エレナを守るために。そしてセリナ姉が、これ以上苦しまないために。夜は、まだ深かった。
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