セリナ編 第十八章 リリィ先生の癒し魔術② ブライトヒーリング中に
そして、ふと何かを思い出したように、顔を上げた。
「そう言えば……ルーメン君」
「はい」
「あなた、癒し魔術は……聖位まで、使えましたよね?」
突然の問いに、少しだけ驚きながらも、俺は頷いた。
「はい。初位から、聖位まで、一通りは」
リリィ先生は、小さく頷きながら続ける。
「それなら、まずは上位の癒し魔術――ブライトヒーリングを施してみてはいかがでしょう」
「ブライトヒーリング……」
「ええ。それでもだめなら、聖位のリジェネレイトヒーリングを」
リリィ先生の声には、慎重ながらも、一つの可能性に賭けようとする意思があった。
「癒し魔術は、本来“負の状態”を整えるものです。その黒い影が、何らか闇魔術の産物であれば……消滅、もしくは弱体化させられるかもしれません」
俺は、その言葉を噛みしめるように聞いていた。
「……そうですね」
可能性は低くても、何もしないよりは、はるかにいい。
リリィ先生は、こちらを見て、少しだけ柔らかい表情になった。
「それに……」
一瞬、言葉を切る。
「ルーメン君も、相当ショックを受けているように見えます」
俺は、何も言えなかった。図星だったからだ。
「よければ、私があなたにも、癒し魔術を施しましょうか?」
その申し出に、胸の奥が少しだけ緩んだ。
「リリィ先生、よろしくお願いします」
俺たちは深く頭を下げた。
リリィ先生との話を終え、俺とエアリスは教室へ戻った。廊下を歩きながら、胸の奥に溜まった不安が、足取りを重くしているのをはっきりと感じていた。
(本当に、癒し魔術で止められるのか)
自分で提案したはずなのに、確信はなかった。だが、他に手段がない以上、進むしかない。
教室に入ると、セリナが窓際の席に座っていた。背筋は伸びているが、いつものような張りのある雰囲気はなく、どこか力が抜けている。
俺は、セリナの前に立ち、できるだけ穏やかな声で切り出した。
「セリナ姉。最近のエレナに起こっている現象……やっぱり、普通じゃない」
セリナは、ゆっくりと顔を上げた。
「……うん」
それだけ答えて、視線を落とす。
「だから、リリィ先生に相談してきた。癒し魔術を施してもらうことにしたんだ」
一瞬、セリナの指がきゅっと握られるのが見えた。
「……そう」
声は低く、感情を抑え込んでいるようだった。
「先生が、直接?」
「そうしてもらうことにしたよ」
そう伝えると、セリナは小さく息を吐いた。
「……分かった」
元気なさげに、短くそう言う。
その反応に、胸が少しだけ痛んだ。反対されるかと思っていたが、そうではなかった。それが、かえって不安を煽る。
次に、エレナのところへ行く。
エレナは机に座っていたが、いつものように落ち着きなく動く様子はなく、膝の上で手を組んでいた。
俺が近づくと、ゆっくりと顔を上げる。
「エレナ」
「……なに?」
声も、少し弱い。
俺は、しゃがんで目線を合わせた。
「こけて怪我しないようにね。リリィ先生に、癒し魔術をしてもらおう」
エレナは、一瞬きょとんとした顔をしてから、小さく頷いた。
「……せんせい、たすけてください」
その言葉に、胸が締め付けられる。
必死に頼むその姿は、三歳の子どもが背負うには、あまりにも重かった。
「お願いします」
リリィ先生が教室に入ってきた。その場の空気が、自然と引き締まる。
「では、始めましょう」
優しいが、はっきりとした声だった。
椅子を中央に置き、エレナを座らせる。
セリナは、そのすぐ後ろの席に座り、離れようとしなかった。
「大丈夫ですよ、エレナちゃん」
リリィ先生は微笑み、エレナの頭にそっと手を置いた。
「痛いことは、しませんからね」
エレナは小さく頷くが、その表情は硬いままだ。
リリィ先生が、静かに詠唱を始めた。
「大いなる神の力よ、魂の癒しを与え、
聖なる加護の力をこの御霊に授けたまえ……」
教室の空気が、ふわりと変わる。
「――ブライトヒーリング」
次の瞬間、柔らかく、あたたかな光がエレナを包み込んだ。陽だまりのような光が、教室の床や壁に反射し、静かに揺れる。
「ああ……」
思わず、安堵の声が漏れた。これで、きっと。
光に包まれたエレナは、最初、きょとんとした顔をしていた。
次いで、その表情が少しずつ緩み、肩の力が抜けていく。
「……あったかい」
小さな声で、そう呟いた。
セリナは、その様子を食い入るように見つめている。指先は強く握られ、祈るようだった。俺もエアリスも、同時に胸を撫で下ろした。
だが、その安堵は、ほんの一瞬しか続かなかった。
床に、異変が走った。
教室の明るい床の上を、黒い影が、すっと滑るように近づいてくる。まるで、光を避けるかのように、机と椅子の影を縫いながら。
「……っ!」
俺たちはが息を呑む。
次の瞬間、その影は、エレナの座る椅子の下へ潜り込んだ。
「危ない――!」
声を上げるより早く、ガタンッという大きな音が教室に響いた。
椅子が、派手に倒れた。
「きゃっ――!」
エレナは、椅子ごと後ろへ倒れ込み、床に転がった。
「エレナ!!」
俺とエアリスは同時に駆け寄った。
リリィ先生も目を見開き、明らかに動揺している。
「……そんな……」
エレナを起こし、すぐに状態を確認する。
幸い、倒れ方が悪くなかったのか、大きな怪我はなさそうだったが、驚きと痛みで涙を浮かべている。
「大丈夫だよ、エレナ。ほら、見て」
俺はすぐにヒーリングを施し、擦れた部分を癒す。
その光景を見ながら、リリィ先生が、焦った様子で口を開いた。
「……私、詠唱を間違えましたか?」
視線が、俺に向く。
「ルーメン君、合ってましたよね?」
その声には、はっきりとした不安が滲んでいた。
「間違っていません。詠唱も、発動した魔術も、間違いなくブライトヒーリングでした」
「……そうですよね」
リリィ先生は、唇を噛みしめる。
エレナを椅子に座らせ、もう一度落ち着かせる。
その時、ふと視線を動かすと、セリナが、腰を押さえていた。表情は硬く、歯を食いしばっている。
「……セリナ姉?」
声をかけると、はっとしたように顔を上げた。
「……なに?」
だが、その動きは明らかにぎこちない。
黒い影は、さっき確かに見えたはずだ。
だが、セリナは何も言わない。
見えなかったのか。それとも……。
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