セリナ編 第十七章 セリナの異変① 異変の始まり
第十七章 セリナの異変
朝まで降り続いていた雨のせいで、学校へ向かう道はいつもとはまるで違う顔をしていた。踏み固められた土は水を含んで柔らかくなり、あちこちに水溜まりが残り、草の先からは雫がぽつりぽつりと落ちている。空はすでに晴れ間を取り戻しつつあったが、空気はまだひんやりとしていて、雨上がり独特の匂いが鼻をくすぐった。
俺とセリナ姉、そしてエレナは、いつものように手を繋いで登校していた。エレナの小さな手はまだ頼りなく、少し気を抜くとすぐに離れてしまいそうになる。そのたびにセリナ姉がさりげなく握り直してくれるのを、俺は横目で見ていた。
「今日は足元気をつけてね、エレナ。滑りやすいから」
セリナ姉がそう声をかけると、エレナは元気よく「うん!」と返事をした。その声はいつも通り明るかったが、雨でぬかるんだ道を見ていると、俺の胸の奥に小さな不安が芽生えた。
そんな時だった。
「あ――!」
エレナが急に声を上げた。何事かと思う間もなく、エレナは空を指差して目を輝かせる。
「にじだ! きれい!」
雨上がりの空に、薄く、しかしはっきりとした虹が架かっていた。淡い七色が、まだ湿った空気の中でぼんやりと揺れている。それを見た瞬間、エレナは嬉しそうに手を振りほどき、ぱっと走り出してしまった。
「エレナ、待っ――!」
セリナ姉の声が届く前に、エレナの足はぬかるんだ地面を踏み抜いた。ぐしゃり、という嫌な音とともに、エレナの身体が前のめりに崩れ落ちる。
「うわっ……!」
派手な音を立てて転び、エレナは地面に倒れ込んだ。次の瞬間、エレナの泣き声が辺りに響く。
「いたい……!」
俺とセリナ姉は、ほとんど同時に駆け寄った。俺は膝をつき、すぐにエレナの様子を確認する。膝と手のひらに泥がつき、皮膚が擦れて赤くなっていた。
「大丈夫、すぐ治すから」
俺はウォーターボールで清水を生み出し、そっとエレナの傷口を洗い流す。泥が落ちると、擦り傷がはっきりと見えた。すぐにヒーリングを施すと、淡い光がエレナの身体を包み、赤みはみるみる引いていく。
「ヒーリングで治った? 他に痛いところない?」
セリナ姉はハンカチを取り出し、エレナの顔や手を丁寧に拭いてあげながら、何度も問いかけていた。その声には、いつも以上の緊張が滲んでいる。
「……うん。大丈夫。ごめんね、おねえちゃん。にじがきれいだったから……」
エレナは涙を拭いながらそう言った。セリナ姉はほっとしたように息を吐き、優しく頭を撫でる。
「もう、急に走り出したら危ないでしょう。ちゃんと一緒に歩こうね」
そう言いながらも、その手は少し震えているように見えた。
その時だった。ふと視線を上げた俺は、違和感に気づいた。
エレナにヒーリングをかけたばかりのはずなのに……
なぜか、セリナ姉の手のひらと膝に、エレナと同じ位置に、うっすらと赤い傷が浮かんでいる。
「……セリナ姉?」
思わず声が漏れた。
「どうしたの?怪我してる。ほら、手と膝……」
セリナ姉は一瞬きょとんとした顔をして、自分の手のひらを見下ろした。
「え……? ほんとだ。あれ? 私、転んだっけ……?」
困惑したように首を傾げるセリナ姉。だが、その表情には思い当たる節がない様子がはっきりと浮かんでいた。
「剣術の練習で、どこかぶつけたのかしら……」
そう呟くセリナ姉に、俺は違和感を覚えながらも言った。
「ヒーリングするよ。傷、見せて」
俺はセリナ姉にもヒーリングを施した。光が収まると、傷はすぐに消えたが、胸の奥に引っかかるものは消えなかった。
……おかしい。
エレナが転んだ直後、ほとんど同時に、同じ場所にセリナ姉の傷が現れた。偶然にしては出来過ぎている。だが、その時の俺は、それをはっきりと異常だと断定するには至らなかった。
この時はまだ、これが始まりに過ぎないことを、俺は知らなかった。
その日以降、妙な違和感は、はっきりとした形を伴って俺たちの前に現れ始めた。
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