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セリナ編 第十五章 エレナへの怪しい雲行き② セリナの激昂


場に漂っていた張りつめた空気は、すぐには消えなかった。子どもたちは様子をうかがうように距離を取り、広場は妙に静かになっていた。

セリナ姉は、エレナを抱き寄せたまま、まだ周囲を鋭く見回している。怒りが完全に収まったわけではない。それは、横顔を見れば分かった。

「……本当に、ただの偶然?」

低い声で、誰にともなくそう呟く。

「エレナが、こんなふうに泣くなんて……」

その言葉には、怒りよりも、強い不安が滲んでいた。


エレナは、セリナ姉の服をぎゅっと掴みながら、しゃくり上げるように息をしている。さっきまでの大声の泣き方ではなく、怖さを思い出したような、心細い泣き方だった。

「おねえちゃん……」

小さな声で呼ぶと、セリナ姉はすぐに表情を緩め、頭を撫でる。

「大丈夫よ、エレナ。もう平気。お姉ちゃんがいるから」

その声音は優しかったが、どこか自分に言い聞かせているようにも聞こえた。

俺は立ち上がり、改めてエレナの様子を確認する。ヒーリングは効いている。傷も、もうほとんど分からない。

「本当に大丈夫だよ。痛みも、もう残ってないはず」

そう伝えると、エレナは涙を拭きながら、こくりと頷いた。

「……うん」

その様子を見て、エアリスも少し安心したように微笑む。

「よかった。びっくりしたね、エレナちゃん」

エレナは、エアリスの方を見て、ようやく小さく笑った。


だが、その和らいだ空気の中で、セリナ姉だけは、まだ納得しきれていない顔をしていた。

「……誰かが、ぶつかったはずなのよ」

ぽつりと、しかしはっきりと。

「気づかなかっただけ、なんて……」

言葉を途中で切り、セリナ姉は首を振る。

「……いいえ。今は、考えすぎね」

そう言い聞かせるように言いながらも、視線は再び広場をなぞっていた。

そのときの俺は、セリナ姉の反応を「心配性な姉の過剰反応」だと思おうとしていた。


その日は、エアリスも一緒に、四人で帰ることになった。校門を出て、いつもの道を歩き始める頃には、さっきまでの騒ぎが嘘のように、空気は少しずつ落ち着いていた。

エレナはというと

「もう、だいじょうぶだよ!」

少し赤くなった目をこすりながらも、さっき転んだことなど忘れてしまったかのように、元気を取り戻していた。

「おにいちゃん、エアリスさん、みて!

さっきね、がっこうのすみっこにね、きれいなおはながあったの!」

無邪気に話すその声に、俺とエアリスは顔を見合わせて、ほっと息をつく。

「本当? それは今度、ゆっくり見に行かないとね」

「うん!おねえちゃんもいっしょに!」

エレナはそう言って、セリナ姉を振り返った。

けれど、

「……ええ、そうね」

セリナ姉の返事は、少し遅れた。歩調は乱れていない。足取りも、いつも通りだ。けれど、明らかに様子が違っていた。視線は前を向いたまま、どこか遠くを見ているようで、エレナの話にも、完全には意識が向いていない。

「セリナ姉?」

俺が声をかけると、一瞬だけ、はっとしたようにこちらを見る。

「あ、ごめんなさい。何でもないわ」

そう言って、いつものように微笑もうとする。けれど、その笑顔は、どこかぎこちない。

エアリスも、それに気づいたらしい。何も言わず、そっと様子をうかがっている。

エレナは気づいていない。楽しそうに、今日あったことを次々と話している。

なのに、セリナ姉だけが、この帰り道の中で、ひとり取り残されているように見えた。その背中は、エレナの手をしっかり握っているのに。守っているはずの姉が、何かに追い詰められている。

そんな、言葉にできない違和感が、静かに胸の奥に残っていた。


翌日も、エレナは泣いた。

場所は違った。時間帯も違った。けれど、状況は、昨日とよく似ていた。

校舎の廊下で、人の流れが少し落ち着いた頃。

突然、聞こえてきたのは、エレナの、あの泣き声だった。

「……っ!」

俺とエアリスが駆け寄ると、エレナは床に座り込んで、膝を押さえていた。

「また……ぶつかられたの?」

俺がそう聞くと、エレナは涙を浮かべたまま、こくりと頷く。

「うん……うしろから……」

だが、周囲を見回しても、誰かが立ち止まっている様子はない。

人はいた。確かに、近くを歩いていた生徒はいた。けれど、「今、誰かがぶつかった」と言えるほど、近くにいた人間はいなかった。とりあえず、俺はエレナの前にしゃがみ、すぐにヒーリングを施す。淡い光が、擦りむいた膝を包み込み、傷はあっという間に塞がった。

「……もう痛くない?」

「うん……ありがとう、おにいちゃん」

エレナはそう言って、涙をぬぐう。

その様子を見て、セリナ姉は、昨日と同じように唇を噛みしめていた。

「……また、なのね」

低く、抑えた声。


それから先は、まるで決まりごとのようだった。数日後。また別の日。また別の場所。

エレナは、何度も転び、そのたびに泣いた。肘。膝。手のひら。傷はすべて、軽いものだった。

ヒーリングをすれば、すぐに治る。けれど、

「多すぎる……」

エアリスが、ぽつりと漏らしたその言葉が、俺の胸に、そのまま落ちた。一度や二度なら、不注意で済ませられる。だが、同じような出来事が、あまりにも続きすぎている。

セリナ姉は、そのたびにエレナを抱き寄せ、周囲を鋭く睨みつけていた。まるで、「見えない誰か」を探すように。

その視線の強さが、日に日に増していくのを、俺は、はっきりと感じ始めていた。


最後まで読んで頂きありがとうございます


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