セリナ編 第十四章 エレナの入学④ 入学後の学校
数日が過ぎた。エレナは相変わらず元気で、朝になると自分から支度をし、ランドセル代わりの小さな鞄を背負って玄関に立つ。
「お兄ちゃん、今日はね、お歌を習うんだよ」
「へえ、楽しみだね」
そんな何気ない会話が、今の俺には何より大切に思えた。
学校では、エレナは自然と周囲に溶け込んでいった。
年上の子に声をかけられても臆することなく、同い年の子とはすぐに手を取り合って笑う。
その姿を遠目に見ながら、胸の奥が少しだけ緩む。
大丈夫かもしれない。だが、完全に安心できない自分がいる。校庭の端、廊下の角、視線が一瞬だけ逸れる場所。どこかで、誰かが見ている気がしてならなかった。
セリナ姉も同じだったのだろう。剣術の稽古を終えた後でも、エレナの動線を無意識に確認しているのが分かった。
「疲れてない?」
俺が声をかけると、セリナ姉は少しだけ笑った。
「平気よ。これくらいで音を上げてたら、お姉ちゃん失格だもの」
その言葉に、冗談めかした響きはあったが、本心も混じっている。セリナ姉は昔からそうだった。守ると決めたら、最後までやり切ろうとする。
放課後。エレナが校門を出てくるのを待つ間、俺は校舎の影に目をやった。誰もいない。だが、確かに何かが引っかかる。
「ルーメン兄ちゃん!」
エレナの声がして、思考が途切れた。
「今日はね、転ばなかったよ!」
「えらいね」
そう言って頭を撫でると、エレナは得意そうに胸を張る。その無垢な仕草に、胸が締め付けられる。
帰り道。道端の花を見つけて立ち止まり、エレナがしゃがみ込む。
「セリナ姉ちゃん、これきれい」
「本当ね。名前は分かる?」
会話は穏やかで、夕暮れの風も優しいそれでも、俺の意識は周囲に張り付いたままだった。
家に着くと、母さんが出迎えてくれる。
「今日も無事だった?」
「うん、楽しかった!」
エレナの即答に、母さんは安堵の表情を浮かべる。
だが、俺とセリナ姉は、目を合わせて小さく頷くだけだった。
夜。ベッドに入っても、すぐには眠れなかった。何も起きていない。それは事実だ。だが、違和感は消えない。理由の分からない不安ほど、厄介なものはない。
俺は静かに呼吸を整え、魔力の流れを感じ取る。まだ幼いが、それでも自分の中に確かにある力。この力は、いつか使う時が来るのだろうか。そう考えながら、目を閉じた。
エレナの、あの笑顔を守るためなら。その時が来ても、迷わない。そんな決意だけが、胸の奥で静かに灯っていた。
翌朝。まだ薄暗い時間に目が覚めた。窓の外では、鳥の声が小さく響いている。居間に降りると、すでにセリナ姉が起きていた。剣を磨きながら、何かを考え込んでいる。
「セリナ姉、早いね」
「ルーメンも」
それだけの会話。だが、お互いに同じことを考えているのが分かる。今日も、無事に。
朝食の席では、エレナが昨日の出来事を嬉しそうに話していた。新しくできた友達のこと。歌の時間に褒められたこと。全部が輝いて見える。
母さんは微笑みながら聞いているが、視線は時折、俺とセリナ姉に向く。
きっと察しているのだろう。何も言わないのは、信じているからだ。
登校の道。三人並んで歩く影が、朝日に伸びていく。
「ねえねえ、今日はおんぶなしで帰るよ!」
「本当?」
「うん、がんばる!」
その言葉に、セリナ姉は少し驚いた顔をしてから、優しく笑った。
「偉いわね。でも、無理はしないで」
「はーい!」
校門が見えてくる。エレナは少しだけ立ち止まり、振り返った。
「ルーメン兄ちゃん、セリナ姉ちゃん」
「なに?」
「いってきます!」
元気な声。小さな背中が、校庭の中へと走っていく。
その姿を見送ってから、俺は深く息を吐いた。ほんの数秒の出来事なのに、肩の力が抜ける。
「……成長してるわね」
セリナ姉がぽつりと言った。
「うん」
それしか言えなかった。
昼休み、校庭の隅でエアリスと話をした。エレナの様子を聞くと、「元気だよ」と即答が返ってくる。
「セリナちゃん、相変わらずすごく気にしてるね」
「姉だからね」
「ルーメンもでしょ?」
図星だった。苦笑して誤魔化す。
放課後。今日のエレナは、自分の足で最後まで歩いた。
「できたよ!」
誇らしげな顔に、思わず拍手してしまう。
「すごいじゃない」
「えへへ」
家に着くと、母さんが言った。
「少しずつ、みんな変わっていくのね」
その言葉が胸に残る。変わっていく。成長していく。それは喜ばしいことだ。だが同時に、守るべきものが増えていくということでもある。
夜。布団に入り、天井を見つめる。この先、何も起きないとは限らない。今日感じた違和感が、ただの気のせいで終わる保証もない。
それでも、エレナが笑って学校へ通える日々を守るためなら。俺は、どんな力でも受け入れる。まだ幼い自覚と、未熟な覚悟。それでも、胸の奥で確かに形を持ち始めていた。
こうして、エレナの入学の日々は、静かな不安と小さな希望を抱えながら、確かに動き出したのだった。
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