セリナ編 第十二章 セリナという姉④ セリナ姉の生き方
翌朝。まだ太陽が昇り切らない時間に、セリナ姉はすでに起きていた。庭先から、木剣が風を切る音が聞こえてくる。一定の間隔。無駄のない動き。呼吸と剣が、きれいに噛み合っている。いつものことだ。それでも俺は、布団の中で、しばらく動けずにいた。昨夜の言葉が、まだ胸の奥で温かく残っていたから。
庭に出ると、朝露で草が濡れていた。セリナ姉は、俺に気づくと、動きを止めた。
「早いわね、ルーメン」
「……セリナ姉こそ」
「習慣だから」
そう言って、額の汗を拭う。剣を振る姿は、もう子供のそれじゃない。
でも、俺には分かる。その根っこが、「強くなりたい」じゃなく、「守りたい」から来ていることを。
「ねえ、セリナ姉」
「なに?」
「どうして、そんなに剣、頑張ってるの?」
素朴な疑問だった。
でも、聞いてはいけないことのような気もしていた。セリナ姉は、少し考えてから、木剣を地面に立てかける。
「……ルーメンはさ」
「お姉ちゃんって、何だと思う?」
「え?」
「妹や弟ができたら、自然になるもの?」
俺は、答えに迷った。自然、なのか。役割、なのか。
「……わからない」
正直に言うと、セリナ姉は、少しだけ笑った。
「だよね、私も、分からない」
意外だった。いつも迷いなく、前を向いているように見える姉が、そんなことを言うなんて。
「でもね」
セリナ姉は、視線を空に向ける。
「私、決めたの、“お姉ちゃんでいる”って」
その言葉は、宣言のようでもあり、祈りのようでもあった。
「誰かに言われたわけじゃない、でも、ルーメンが生まれた時、エレナが生まれた時、この子たちを守るのは、私なんだって、そう、思っちゃったのよ」
俺は、息を呑んだ。それは、義務でも、強制でもない。選択だ。しかも、たった一人の子供が、自分で選んだ生き方。
「だからね、強くなりたい、剣が上手くなりたい、誰かが怖い思いをするなら、前に出たい、それだけ」
それだけ、と言ったけれど。その「それだけ」が、どれほど重いものか、俺は前世で嫌というほど知っている。前世では、守る覚悟を持たなかった。その結果、守れなかった。今世では、この人は、最初から背負っている。何も知らない年齢で。何も失っていないはずの段階で。
「……セリナ姉」
「ん?」
「ありがとう」
それしか言えなかった。でも、その一言には、前世と今世、両方の感情が詰まっていた。セリナ姉は、一瞬きょとんとしてから、照れたように笑う。
「なにそれ、急に、変なルーメン」
そう言いながら、俺の頭を軽く撫でた。その仕草は、いつものセリナ姉そのものだった。でも、俺は知っている。この人が、どれだけの覚悟で、その「いつも」を続けているか。だからこそ。俺の中で、またひとつ誓いが増えた。セリナ姉が、姉でいられなくなるほど苦しむ日が来たら。その時は、俺が前に出る。それが、この世界で生きる俺の、最低限の資格だ。
学校に向かう道は、いつもと同じだった。朝の空気。土の匂い。遠くから聞こえる、子供たちの声。それなのに、今日は、妙に視線を感じた。俺に、じゃない。セリナ姉に。前を歩く背中に、いくつもの視線が突き刺さっている。
尊敬。畏怖。羨望。そして、恐れ。混ざり合った感情が、無言の圧として漂っていた。
「……見られてるね」
俺がそう言うと、セリナ姉は肩をすくめる。
「いつものことよ」
その言い方が、やけに軽かった。軽く言うことで、自分に言い聞かせているみたいだった。
校門をくぐると、空気が変わる。ざわつきが、一瞬で静まる。誰かが、ひそひそと囁く。
「……セリナだ」、「……あのセリナ?」、「この前も、三人まとめて倒したらしいよ」、「逆らわない方がいいって」
言葉の端々が、耳に刺さる。セリナ姉は聞こえていないふりをして、いつも通りに歩く。でも、俺には分かる。聞こえていないわけがない。
教室に入ると、俺の周囲はすぐに埋まった。
「ルーメン、昨日の算術の問題さ、これ、どうやるの?、一緒にやろうぜ」
人は集まる。それは、“害のない存在”だと見られている証拠でもある。
一方で。セリナ姉の周囲には、不自然な空白があった。誰も、近づかない。話しかける子も、必要最低限だ。
胸の奥が、ざわついた。これは、守られている状態じゃない。隔てられている。
休み時間。校庭で、俺は年上の子に呼び止められた。
「なあ、ルーメン、お前の姉ちゃんさ」
「……なに?」
「あれ、ちょっとやりすぎじゃね?」
胸が、冷える。
「やりすぎって?」
「だってさ、逆らったら終わりだろ、誰も何もできねえじゃん」
その言葉の裏にある感情は、嫉妬と恐怖が混ざったものだった。
「……セリナ姉は、誰かをいじめたりしない、先に手を出したこともない、ただ、守っただけだ」
年上の子は、鼻で笑いながら「そう言うと思った、でもさ、強いってだけで、怖いんだよ」
その一言が、胸に突き刺さった。強さは、善悪を問わない。前世で、嫌というほど知った現実だ。
その日の帰り道。俺は、少し遅れて歩いた。前を行くセリナ姉の背中を、見つめながら。いつもより、少しだけ小さく見えた。
「セリナ姉」
「なに?」
「……学校、楽しい?」
間があった。ほんの一瞬。でも、確かに。
「……楽しいわよ」
答えは、即答だった。だからこそ、胸が痛んだ。
「ルーメン、強いってね、便利なの、誰も、弟や妹に手を出さなくなるから」と振り返らずに言った。
その声は、穏やかだった。穏やかすぎた。
「でもね、強いと、一人になることも、あるの」
俺は足が、止まる、言葉を失った。
セリナ姉は、振り返って、笑った。いつもの笑顔。でも、どこか遠い。
「大丈夫よ、私はお姉ちゃんだから」
その一言で、すべてを片付けようとしていた。
帰り道、俺は黙って歩いた。胸の奥で、何かが形を変え始めている。守られるだけで、いいのか。このままで、いいのか。その問いは、小さく、でも確実に、俺の中に根を張った。
この日を境に、俺は初めて、「セリナ姉の強さ」を無条件で喜べなくなった。それは、否定じゃない、覚悟の始まりだった。
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