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セリナ編 第十二章 セリナという姉② 生きる指針

あの日以来、俺にとって「学校」という場所の意味は変わった。それまでは、ただ通う場所だった。勉強をして、遊んで、家に帰る、それだけの場所。

けれど、あの出来事を境に、学校は油断すると牙をむく場所になった。同時に、セリナ姉がいる限り、絶対に一線を越えさせない場所にもなった。


俺は無意識のうちに、校門をくぐるたびにセリナ姉の姿を探すようになっていた。教室に入る前。休み時間。下校の時間。視界のどこかに、セリナ姉の姿が見えるだけで、胸の奥が落ち着いた。それは依存だったのかもしれない。けれど、当時の俺には、それしか拠り所がなかった。

セリナ姉は、何も変わらなかった。あの日、誰かを怒鳴りつけ、追い払ったことなどなかったかのように。いつも通り剣術の練習をし、いつも通りエレナの世話をし、いつも通り俺に声をかけた。

「ルーメン、今日の読み書きどうだった?算術、分からないところあったら後で見る?」

その「いつも通り」が、どれほど俺を救っていたか。当時の俺は、まだ言葉にできなかった。ただ、普通でいさせてくれることが、どれほどありがたいか。それだけは、体で理解していた。

ある日、帰り道で、俺はふと聞いてみた。

「……セリナ姉」

「なに?」

「もしさ、あのとき……」

「もし、俺が一人だったら、どうなってたと思う?」

歩きながら、地面を見つめて聞いた言葉だった。本当は答えなんて、分かっていた。

セリナ姉は、少しだけ歩調を緩めた。

「どうなってた、って?」

「その……」

「やっぱり、俺、いじめられてたのかなって」

一瞬、沈黙が落ちる。

セリナ姉は、前を向いたまま、はっきりと言った。

「たぶん、なってたわね」

即答だった。

「でもね」

そのまま、続ける。

「それって、ルーメンが弱いからじゃない、そういうことする人間が、弱いだけ」

俺は顔を上げた。

「だからね、もし、私がいなかったとしても」

セリナ姉は、少しだけこちらを見て、微笑んだ。

「いつか、誰かが助けてくれたと思うよ、ルーメンは、そういう人だから」

その言葉の意味を、当時の俺は半分も理解できなかった。けれど、不思議と胸が軽くなったのを覚えている。前世の記憶では、助けてくれる人はいなかった。あるいは、いても、手を差し伸べる前に引っ込めてしまった。だからこそ、セリナ姉の存在は、異質だった。守ることを、ためらわない。怒ることを、恐れない。「お姉ちゃんだから」という言葉を、言い訳にしない。ただ、当たり前のように、俺を守った。それが、どれほど特別なことなのか。それを理解するのは、もっと後のことになる。

エレナが生まれてから、セリナ姉はさらに変わった。いや、変わったというより、深まった、と言った方が正しい。エレナが泣けば、真っ先に駆け寄る。エレナが転べば、誰よりも早く抱き上げる。エレナが笑えば、誰よりも嬉しそうに笑う。

「エレナ、かわいい、もう、天使みたい」

そう言いながら、頬を緩めるセリナ姉の姿を、俺は何度も見た。同時に思った。この人は、きっと。守るためなら、無理をする人だ。その無理が、いつか自分を傷つけることになっても。それでも、止まらない人だ。その予感は、まだ言葉にならないまま、心の奥に沈んでいた。

だから今でも、はっきりと言える。セリナ姉は、剣術が好きな活発な女の子だ。弟妹思いで、優しくて、強い。そして、俺にとって、最初に「守られた人」だった。この事実は、これから先、どれだけ時間が経っても変わらない。


セリナ姉は、俺に「強さとは何か」を教えた人だった。それは、剣を振る強さでも、声を張り上げる強さでもない。もっと静かで、もっと厄介な、覚悟の強さだった。

セリナ姉は、俺に「逃げるな」と言ったことは一度もない。「立ち向かえ」とも言わない。「強くなれ」とも、言わなかった。ただ一つ、いつも同じことを言っていた。

「何かあったら、すぐ言いなさい」

その言葉の裏にあったのは、「あなた一人で抱えなくていい」という、無言の約束だった。

俺は、前世で「弱音を吐くこと」を覚えなかった。弱音を吐いても、状況は変わらなかったからだ。むしろ、吐いた瞬間に立場が悪くなることの方が多かった。だから、この世界に来てからも、俺は自然と「我慢する側」に回っていた。

困っても言わない。怖くても顔に出さない。つらくても、平気なふりをする。それが、生き延びる術だと思っていた。

けれど、セリナ姉は、それを許さなかった。

「ルーメン、さっきから元気ないでしょ」

「……そんなことないよ」

「嘘。歩き方が違う」

そんなふうに、何度も見抜かれた。最初は、鬱陶しく感じたこともある。放っておいてほしい、と思ったこともある。でも、セリナ姉は引かなかった。

「無理してる顔してる、大丈夫じゃない時は、大丈夫って言わなくていいの」

そう言われるたび、胸の奥がざわついた。言っていいのか?頼っていいのか?その葛藤を、俺は毎回飲み込んだ。

それでも、セリナ姉は待ち続けた。


ある日、些細なことで、俺は泣いた。理由は覚えていない。算術の問題が解けなかったのかもしれないし、前世の記憶が不意に蘇ったのかもしれない。ただ、気づいた時には、涙が止まらなくなっていた。

セリナ姉は、何も言わず、俺の横に座った。背中をさすってくれるわけでもなく、慰めの言葉をかけるわけでもなく。ただ、そこにいた。それだけで、俺は泣けた。

「……ごめん」

しばらくして、俺はそう言った。

「なんで謝るの?」

「だって……、泣くなんて、情けないかなって」

セリナ姉は、少し驚いた顔をした後、真剣な声で言った。

「情けなくなんかない、泣くのは、ちゃんと感じてる証拠よ、感じることをやめたら、人は壊れるの」

その言葉は、深く刺さった。前世で、俺は「感じること」をやめていた。痛みも、怒りも、悲しみも、全部押し殺していた。だから、壊れかけていた。セリナ姉は、それを直感的に理解していたのかもしれない。

剣術の稽古をしているセリナ姉の背中を、俺は何度も見た。振り下ろす剣は迷いがなく、踏み込みは鋭く、姿勢は真っ直ぐだった。でも、剣を置いた後のセリナ姉は、いつも柔らかかった。エレナを抱き上げる手。俺の頭を撫でる指先。母さんの話を聞く時の表情。その全部が、同じ人間のものだった。

「強さと優しさは、別物じゃない、両立できる」それを、言葉ではなく、存在そのもので教えられた。だから、俺は決めていた。いつか、自分もこうなりたい、と。誰かを守る時、声を荒げなくてもいい。力を誇示しなくてもいい。ただ、そこに立ち、手を差し出せる人間に。

セリナ姉は、俺の“理想の人間像”そのものだった。この頃の俺は、まだそれを自覚していない。でも、後になって振り返れば分かる。俺が誰かの魔力に寄り添おうとする時。誰かの心に耳を澄まそうとする時。「治す」より先に「理解しよう」とする時。その原点には、必ずセリナ姉がいた。

だから、この章で、はっきりと書いておく。セリナという姉は、単なる「家族」ではない。俺にとって、人として生きる指針をくれた、最初の存在だった。


最後まで読んで頂きありがとうございます


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