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エアリス編 第六章 ルーメンの初討伐① リリィの指導

 その日の朝、世界はまだ深い藍色の闇に包まれていた。窓の外では、ルゼリアの丘を撫でる風が、夜の名残を惜しむように微かな音を立てている。

 翌朝、母に起こされ、朝早くに学校に行った。

 「ルーメン、起きなさい。リリィ先生がお待ちよ」という母リオラの静かな声が、眠りの淵に沈んでいた僕の意識を引き戻した。まだ五歳の僕の肉体にとって、この時間の起床は酷く酷なものに感じられたけれど、今日という日が持つ重みが、僕の瞼を力強く押し上げた。

 キッチンからは、早起きした母が焼いてくれた温かなパンの匂いが漂ってくる。僕は眠い目を擦りながら、昨夜用意した小さな革鞄を肩にかけた。母は、僕の茶色の髪を丁寧に整え、その小さな肩を優しく抱きしめた。

 「気をつけてね、ルーメン。リリィ先生の言うことをよく聞くのよ」

 母の手に宿る微かな震えが、僕には分かった。五歳の息子を、魔物が出るかもしれない村の外へ送り出す母親の不安。僕はその温もりを胸に刻み、静かに頷いて屋敷を出た。

 学校へと続く道は、昼間の賑やかさが嘘のように静まり返っていた。霜の降りた地面を踏み締める音が、やけに大きく響く。校門の前に辿り着くと、そこには一台の立派な馬車と、凛とした佇まいの女性がいた。

 リリィ先生は馬車に乗って出発の準備ができていた。

 彼女の青い髪は、夜明け前の薄明かりを受けて神秘的な光を放っている。僕が近づくと、彼女は優しく微笑んで手を挙げた。

 「おはよう、ルーメン君、準備はしてきたかな、さて、イーストレイクへ出発しましょうか」、

 その声は、朝の冷たい空気を震わせるように澄んでいた。

 「おはようございます、リリィ先生、よろしくお願いします。」

 僕は少し背伸びをして挨拶を返した。緊張で少し声が上ずってしまったが、先生は僕を気遣うように馬車の中へと招き入れてくれた。

 馬車の車輪が動き出し、ルゼリアの景色がゆっくりと後方へ流れていく。

 「道中魔物が出るかもしれないが、ゴブリン程度の弱い魔術なので、ルーメン君、試しに魔術を放つといいよ、いい経験にもなるでしょう」

 先生の言葉に、僕の心臓がドクリと跳ねた。実戦。それは、平和な庭で行ってきた修練とは決定的に違う「生死の境目」を意味していた。



 リリィ先生と俺は馬車に乗り、イーストレイクへと向かう、

 馬車の窓から見える景色は、次第に僕の知らない深い森や広大な荒野へと変わっていった。ガタガタと揺れる馬車の振動が、僕の不安を増幅させる。そんな僕の様子を察したのか、道中、リリィ先生は魔物にでくわした時の、心構えと魔術の使い方を教えてくれた、

 「いい、ルーメン君。魔術は自分の内なる魔力を形にする技術だけれど、実戦ではそれ以上に『心』が重要になるのよ」

 先生は指先で窓の外の森を指差した。

 この辺りに出るのはほとんどがゴブリン、たまに出てくるブラッディーラビットはほとんどが逃げていくがたまに向かって来ることがある。

 ゴブリン。緑色の醜い肌を持ち、集団で襲いかかる悪意の塊。そしてブラッディーラビット――その名の通り、愛らしい外見に似合わぬ凶暴な爪と牙を持つ魔物。五歳の僕が本や噂でしか聞いたことのなかった存在が、今、この道のどこかに潜んでいるのだ。

 リリィ先生の講義は、具体的で実践的なものだった。

 ゴブリンは火魔術の初位のファイヤーボールで良いとのこと、周りが枯れ草だらけなら土魔術初位のサンドストーンでも良いこと。

 「火は効果的だけれど、環境をよく見なさい。火災を起こして自分が逃げ場を失っては意味がないからね」

 その冷静な分析に、僕は何度も頷いた。

 さらに、ブラッディーラビットが向かって来た時は風魔術初位のウインドブリーズか土魔術初位のサンドストーンで良いとのこと。

 「あれは動きが速いから、風で体勢を崩すか、土で足場を奪うのが正解よ」

 先生の言葉を、僕は脳裏に深く刻み込んでいった。僕には「無詠唱」という圧倒的なアドバンテージがある。けれど、それをいつ、どのように放つべきか。その戦術的な判断こそが、今の僕には欠けている「経験」だったのだ。



 講義はさらに熱を帯びていく。

 魔術は闇雲に放たずに、引き付けて狙いを定めて確実に放つこと、

 「魔力は無限じゃない。特にあなたのような若いうちは、一発の重みを知りなさい」

 先生の瞳が、真剣な光を湛えて僕を射抜く。

 しかし、一度かわされても二度目の魔術が放てるぐらいの余裕くらいは持っておくことを教えてもらった。

 「常に『次』を考えなさい。一発目にすべてを賭けてはいけない。それは魔導士としての、そして一人の人間としての生存戦略よ」

 リリィ先生の言葉は、五歳の僕の心に、武術家である父ランダルの教えとはまた違う「知的な厳しさ」として染み込んでいった。父は「魂で打て」と言い、リリィ先生は「理で射抜け」と言う。その二つが、僕という人間の中で少しずつ融合していくのを感じた。

 ルゼリアの村を出てリリィ先生の講義が終わって、しばらく休んでいたら、

 心地よい揺れと緊張からの解放で、僕はいつの間にか微睡みの淵にいた。窓の外、流れる雲はどこまでも高く、世界の広さを思い知らされる。

 けれど、その静寂を破ったのは、リリィ先生の鋭い一言だった。

 「ルーメン君、起きて」

 リリィ先生に起こされて「ルーメン君、ゴブリンが出たよ、やってみるかい?」と言われ、

 その瞬間、眠気は一気に霧散した。窓の外、街道の先から、あの醜悪な叫び声が聞こえてくる。

 心臓が肋骨を突き破らんばかりに打ち鳴らされる。手が、震えている。

 僕は拳を強く握りしめ、前世での「恐怖に屈した自分」を頭の中から追い出した。

 戸惑いながらも「はい、やってみます」と答えた。

 五歳の少年の掌に、白銀の光が、静かに、けれど激しく宿り始めた。

 人生で初めての「戦い」が、今、幕を開けようとしていた。


最後まで読んで頂きありがとうございます


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