エアリス編 第五章 エアリスの異変② ゼフィラ家の理由
夕闇が迫るジャンヤ川の畔で、身体が風に溶けていくというエアリスの絶望的な独白を聞き、独りで帰路についた僕の心は、泥のように重い沈黙に支配されていた。
屋敷へと続く坂道を登りながら、俺は考える、何が原因でエアリスがこんな事に?誰に相談すれば? 五歳の僕が持つこの世界の知識だけでは、彼女を救う糸口さえ見つからない。無詠唱魔術という「力」はあっても、その力の使い道が分からないのだ。
重い足取りで玄関を潜り、夕食の灯りが漏れる居間へと向かった。茶色の髪を汗で滲ませ、ただ一点を見つめる僕の異変に、母リオラはいち早く気づいたようだった。僕は意を決して、帰って父さんと母さんにエアリスのことを聞いてみた。 深刻な表情で切り出した僕の問いに、父ランダルは眉を寄せ、母リオラは悲しげに瞳を伏せた。
すると母さんの口から、これまで僕たちが知ることのなかったゼフィラ家の過酷な背景が、薪の爆ぜる音と共に語られ始めた。
「エアリスちゃんのお父さんは昔、兵士で、怪我をして、もう兵士を続けられないからって、エアリスちゃんのお母さんとここに引っ越して来たのよ、」
母の声は静かだが、その内容はあまりにも重かった。領主の端くれである我が家とは違い、彼らには安定した生活の基盤がない。怪我を抱えた父と、幼い三姉妹。その家計がどれほど過酷なものか、想像するに余りあった。
「だから、エアリスちゃんのお家大変みたいなの、最近聞いたんだけど、エアリスちゃんのお母さん、病気になったらしいのよ」
追い打ちをかけるような不幸の連鎖に、僕は息を呑んだ。
「その病気お母さんの癒しの魔術でも治らなくて、調べてみたら、街の高い聖水でしか治らないみたいなの、エアリスちゃんも可哀想よね」
聖水。それは教会の神官が祈りを捧げ、莫大な魔力を込めて作り出す奇跡の雫だ。だが、それはあまりにも高価で、困窮しているゼフィラ家に手が出る代物ではない。
僕は堪らず、母さんに詰め寄った。
「母さん、友達のエアリスが困ってるんだから、教えてくれてもいいじゃない」
なぜ、もっと早く言ってくれなかったのか。そうすれば、僕にだって何かできたかもしれないのに。
母リオラは申し訳なさそうに、僕の茶色の髪を優しく撫でた。
「でも、こんなよその大変な話を簡単に話す訳にもいかないし、あなた達にしても心配かけるだけだと思ったのよ」
それは、親としての、そして領主の妻としての苦渋の配慮だったのだろう。僕は溢れそうになる感情を抑え、小さく頷いた。
「そっか、そうだね。教えてくれてありがとうね、お母さん」
その夜、僕は自分の部屋で、母から聞いた話を反芻していた。
エアリスには相当なストレスと不安がかかっている、親がいっぱいいっぱいだっていうのに、自分のことでは迷惑かけられないとか思うだろうし。
彼女のあの優しさが、自分自身を追い詰める毒になっていたのだ。家事、育児、そして病床の母への不安。
でも、ストレスや不安は分かるけど、姿が消えるって、どうなったら繋がるの?何か方法は、そうだ、明日リリィ先生に相談してみよう。
僕が唯一信頼できる魔術の権威、リリィ・アーデント。彼女なら、この異常事態に答えを出してくれるかもしれない。
翌日学校に行き、授業を受け、魔術授業の後にリリィ先生に、相談したいことがある、と告げ、リリィ先生は了承してくれた。
放課後の静かな教室。僕は昨日、川辺で見たエアリスの異変、そして母から聞いたゼフィラ家の事情をすべて打ち明けた。
リリィ先生にエアリスのことを相談する、リリィ先生は「エアリスさん、学校に来れなくなっているって言ったのは、そういう理由だったのね」と、深い溜息をついた。
「ご家族のことは、先生が街の教会につてがあるから、聖水を安く譲って貰えないか、相談してもらってきてあげるわ、可愛い生徒が辛い思いをしているんだから」
先生の力強い言葉に、一筋の光が見えた気がした。しかし、先生の青い瞳はすぐに、それ以上に暗い陰を帯びた。
「それよりも、エアリスさんの身にはかなり異変が起きているわね。そうね、風の噂程度に聞いた話だけど、今、各地で異常な現象が少ないけど起こっているみたいなの」
「原因は分からないけど、噂では、神罰だとか、教会に背いたせいだとか、魔族の仕業だとか、悪い魔力が流れ込んでいるんじゃないかとか、色々言われてるわ」
リリィ先生の言葉は、五歳の僕にはあまりにも重い現実だった。
「エアリスさんのことも、教会に行った時に聞いてみるわね。そういう現象の人の治療に当たった神官もいるみたいだから。分かったら、ルーメン君にも伝えるわね、明日の研究室の帰りにでも聞いてみるわ、心配だろうけど、ちょっと待っててね」
先生はそう言って僕を宥めようとしたが、僕は自分の足で動くことを決めていた。
分かりました、とルーメンは頷き、リリィ先生に「両親の許可が貰えたら、僕もリリィ先生に明日ついて行ってもいいですか?エアリスのことが心配でいてもたってもいられないんです」と告げると、
リリィ先生は僕の目をじっと見つめた。その瞳に宿る、五歳児とは思えぬほどの強い意志に、彼女は驚き、そして納得したように頷いた。
「わかったわ、さっそく、ご両親に聞いてらっしゃい、出発は明朝、日が昇る前の暗い時間よ」、と言われ、ルーメンは「分かりました、帰って両親に聞いてきます」と答えた。
僕は学校を飛び出し、夕暮れの道を全速力で駆けた。
エアリスを救うための第一歩が、ようやく形になろうとしていた。
家に戻った僕は、まず母さんにその想いをぶつけた。
ルーメンはさっそく家に帰り、母にその事を告げる、母は「街ねぇ、ルーメンが行って足でまといにならないかしら、街も見てみたいだろうけど、わかったわ、お母さんはルーメンの気持ちを尊重してあげる、あとはお父さんを説得することね、もう少ししたら帰ってくるはずよ」と言われた。
母さんの信頼に応えるためにも、僕は父さんを説得しなければならない。
しばらくすると父が帰ってきた。
居間に重厚な沈黙が流れる中、母さんが僕の決意を先に父に伝えてくれた。
「お父さん、ルーメンがリリィ先生とエアリスのことで明日街に行きたいって、私としては、ルーメンがこんなに言うんだし、エアリスちゃんのことも放っておけないから、リリィ先生も一緒だから尊重してあげたいの」
父ランダルは腕を組み、厳しい視線を僕に向けた。
「ルーメン、エアリスちゃんのことが、そんなに心配か、気持ちは分かるが、ルーメンが行ったところで、リリィ先生に気を遣わせるだけだ。」
父の言葉はもっともだった。五歳の子供を、魔物の出る外の世界へ連れて行くリスクは大きい。けれど、僕は引かなかった。
「お願いします、お父さん、エアリスを助けたいんです」
その必死の叫びに、父の瞳が微かに揺れた。
「そうか、ルーメンも街を見に行くぐらいならいいだろう、気持ちも分からんでもない、リリィ先生に父さんからもお願いしておくよ、さあ、学校に行って、リリィ先生に挨拶に行こう」
父の許しを得た僕は、その足で再び学校へと向かった。
父と俺は学校に行き、一緒にリリィ先生に頭を下げてお願いしてもらった。「分かりました、ランダル先生、ルーメン君のことは大丈夫です、きちんと私が守ってあげますよ、お気になさらずに、明朝から出発して、その次の朝に帰ってきます、ルーメン君をお預かりしますね」、「ありがとうございます、よろしくお願いします」。
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