エアリス編 第三章 魔術の特訓 ~無詠唱魔術の開花~⑤ 5属性
父との約束を交わした翌日から、僕の生活はこれまでの常識を遥かに超える速度で回り始めた。
「十二歳までは極端に魔術のみの道へは行かせない」という父の言葉は、裏を返せば「学校の枠組みの中であれば、どれほど魔術を極めても良い」という意味でもあった。僕は学校に通い、姉セリナと共に通学路を歩き、午前中の座学をこなすというルーメンとしての日常を維持しながら、その空いた時間のすべてを修練へと注ぎ込んだ。
リリィ先生は、父の出した条件に当初は肩を落としていたが、僕の「学校での学びと並行して特訓を受ける」という姿勢を見て、即座に特別カリキュラムを組んでくれた。
「ルーメン君、いいわね。あなたが十二歳になるまでの間に、私が教えられるすべての基礎と応用を、この学校の授業内で叩き込みますよ」
リリィ先生の青い瞳は、昨日までの驚愕を超え、一人の弟子を育てる情熱に燃え上がっていた。
僕は彼女の指導の下、火・水・風・土、そして癒しの全五属性魔術を、文字通り瞬く間に吸収していった。
無詠唱という最強の武器を持つ僕にとって、魔法の構築は「言葉による制約」を受けない、自由なイメージの表出そのものだった。
初位の魔法を完全に自分のものとした僕は、そのまま中位、そしてついに、成人してようやく使えるようになる「上位魔法」の全五属性すべてを、この五歳の年齢で習得してしまったのだ。
「……信じられないわ。火、水、土、風、そして聖なる癒し……。五歳の子供が、すべての上位魔法を無詠唱で放つなんて。これはもう、魔術の歴史を書き換えるどころの話じゃないわよ……」
リリィ先生は、僕が手のひらの上で完璧に制御された上位火炎魔法「フレイムバーン」や、上位の癒し魔術「ブライトヒーリング」を披露するたびに、呆然と立ち尽くしていた。
だが、僕自身は浮き足立つことはなかった。
掌を開けば、そこには詠唱も何もなく、ただ僕の意思に従って寄り添う白銀の光が生まれる。この魔力の感覚、この現象の理。それを究めることは、僕にとって呼吸をするのと同じくらい自然で、切実なことだった。
魔術においては神童の名を欲しいままにし、五歳にして上位マスターとなった僕だったが、一方で、父ランダルとの剣術修行においては、常に分厚い「壁」にぶつかっていた。
毎日、放課後の校庭、あるいは屋敷の庭で父と向かい合う。
模擬剣がぶつかり合う鈍い衝撃。
父の放つ気合の咆哮。
それらを受け止めるたび、僕の脳裏には今世とは無関係な、けれど魂に深く刻まれた「負の記憶」がフラッシュバックするのだ。
(――痛い。……また殴られるのか? ……また、否定されるのか?)
かつて受けた暴力の記憶、人格を否定されるような冷酷な仕打ち。それらが呼び覚ます生理的な恐怖と拒絶反応が、剣を振るう僕の腕を、どうしても強張らせてしまう。
痛みそのものよりも、「痛みを伴う暴力的な状況」への根源的な苦手意識が、僕の成長を阻害していた。
父ランダルは、僕のその不自然な怯えを、修行不足ゆえの未熟さと捉えていたのだろう。
「ルーメン! なぜそこで剣を止める! 剣は心で振るものだと言ったはずだ! 恐怖を断ち切れ!」
「……はいっ、父さん……!」
そんな葛藤の中にありながらも、僕は父の期待に応えるべく必死に食らいついた。
一対一の『厳流型』と、集団戦を想定した『陣越型』。これらは父の徹底した基本指導により、五歳の肉体でありながら「中位」まで習得することに成功した。
だが、闇討ちや不意打ち、撤退戦を主とする『背散型』だけは、どうしても苦手意識を克服できず、「初位」の域を出ることができなかった。奇策や「正攻法ではない」動きが、僕の魂に残る「正しくあらねばならない」という呪縛に触れるのか、最後まで身体に馴染まなかったのだ。
「……背散型は、生き残るための型だ。だか、お前にはまだ、その泥を啜ってでも生き抜くという執念が足りないようだな」
父の言葉に、僕は悔しさを噛み締めながらも、自分の精神的な脆さを認めざるを得なかった。
季節は巡り、ルゼリアの丘を冷たい冬の風が吹き抜け始めた。
僕が学校に通い始めてから、もうすぐ一年が経とうとしている。
この一年で、僕は父との約束通り、読み書きと算術をほぼ完璧にマスターした。文字を覚えたことで、前世の記憶にある様々な知識をこの世界に応用する準備も整った。
学校の帰り道、緋色の髪を美しくなびかせながら、セリナ姉が僕の隣を歩いている。
「ルーメン、本当に凄いわね。私なんて、いまだにリリィ先生に『ウォーターボールの形状が歪んでいる!』って怒られているのに、あんたは五属性の上位マスターだなんて」
セリナは笑いながら僕の肩を叩く。彼女は剣術においては父譲りの才能を遺憾なく発揮し、すでに中位の上を伺うほどの実力者となっていた。
家に戻れば、0歳の妹エレナが母リオラに抱っこされている。
この五歳の体には、あまりにも重いほどの才能と、それ以上に重い「守るべきもの」が詰まっていた。
雪が舞い始めたある夜。僕は自室の窓から、銀世界に変わる庭を見つめていた。
掌を開けば、そこには無詠唱で灯る、静かな光の玉がある。
五歳にして、五属性の上位魔法を習得。
厳流型・陣越型の中位習得。
読み書き算術の完遂。
(……土台は、できた。父さんの言う『自立するための準備』は、この一年で驚くほどの形になった)
僕は静かに瞳を閉じ、明日から始まる「五歳の締めくくり」、そして間もなく訪れる六歳の誕生日への期待を胸に、深い眠りへとついた。
梅の花が言っていた、《ハーモニック・リコンストラクション》という世界の歪みを再構成する力。その真実に触れるための資格を、僕は今、確実に手にしつつあった。
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