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リリィ編 第五十三章 リリィ先生と魔物討伐訓練③ 森の入り口、ゴブリン討伐

森に入って、どれくらい歩いただろうか。時間の感覚はすでに曖昧で、足音と呼吸、木々の影だけが現実として残っている。

そんな中、父さんの足が不意に止まった。次の瞬間、低く短い声が飛ぶ。「来るぞ」その一言で、空気が一気に張り詰めた。


正面の茂みが大きく揺れ、獣とも人ともつかない甲高い声が響く。姿を現したのは、ゴブリンだった。数は五体ほど。小柄だが、棍棒や錆びた刃物を振り回し、こちらに向かって一直線に駆けてくる。動きは速く、距離は一気に詰まっていく。


父さんが半歩前に出ながら、俺の方を振り返った。「ルーメン、行けるか?」その問いには、確認以上の意味があった。俺に判断を委ね、実践の場で選ばせるための問いだ。胸が一瞬、強く脈打つ。


同時に、背後から落ち着いた声が重なる。

「ルーメン君、前にゴブリン討伐について教えましたよね。落ち着いて、大丈夫ですか?」

リリィ先生の声は、決して急かさない。だが、甘やかしでもない。俺がどう動くかを、静かに見極めている。


視界に映るゴブリンの足運び、腕の振り、武器の角度。それらが、一つ一つ分解されて頭に入ってくる。距離、速度、風向き。これまでの訓練が、自然と結びついていく感覚があった。


「はい、行けます」

自分の声が、思っていたよりも落ち着いて響いた。恐怖が消えたわけではない。だが、それに支配されてはいない。


父さんは頷き、一歩引いて道を空ける。その動作だけで、信頼が伝わってきた。リリィ先生も、俺の肩越しにゴブリンの動きを追いながら、余計な言葉を挟まない。


俺は足を止め、重心を落とす。魔力を一点に集め、狙いを定める。先頭を走るゴブリンが、口を大きく開け、叫び声を上げた。その瞬間、俺の中で迷いが消えた。


「ファイヤーボール」


詠唱と同時に、火球が放たれる。森の中での戦いとはいえ、まだ入口付近だ。燃え広がる心配はないと判断した。

火球は正確に、先頭のゴブリンの胸元を捉え、爆ぜる。間を置かず、二発目、三発目。次々と放たれる火球は、狙いを外さない。


倒れていくゴブリンを見ながら、俺は確かに感じていた。これはただの魔術発動ではない。相手を見て、距離を測り、意図して当てる行為だ。リリィ先生が言っていた「的確に当てる」という意味が、初めて実感として胸に落ちてきた。


最後の一体が地に伏したとき、森は再び静寂を取り戻した。父さんが低く息を吐き、「大丈夫そうだな」と呟く。その声に、ほんのわずかな安堵が混じっているのが分かった。


リリィ先生は俺の方を見て、小さく微笑んだ。

「いいですね、落ち着いて判断できています。でも、これで終わりではありませんよ」

その言葉は、評価であり、次への予告だった。


俺は頷き、もう一度呼吸を整える。最初の遭遇は、無事に乗り越えた。だが、この森は、まだ何も本気を見せていない。そのことを、肌で感じながら、俺は次の一歩を踏み出した。



倒れたゴブリンの身体が、森の地面に転がったまま動かなくなっていくのを横目で確認しながら、俺はゆっくりと魔力を落ち着かせた。戦いは一瞬だったはずなのに、体の内側では長い時間が流れたような感覚が残っている。呼吸を意識しなければ、すぐに荒くなってしまいそうだった。


父さんは剣に手を掛けたまま、周囲を警戒している。倒れた敵ではなく、その先を見る視線だ。森では、一体倒せば終わり、ということはほとんどない。その現実を、父さんの背中が語っていた。


「今の、良かったぞ」

短く、だが確かな評価だった。褒め言葉というより、状況判断の確認に近い。俺はそれに、言葉ではなく、もう一度頷きで返す。


リリィ先生は、少し距離を置いた位置から、俺の立ち位置と足の向きを見ていた。

「ルーメン君、今の攻撃で何を意識しましたか?」

不意に投げられた問いに、俺は一瞬考える。


「距離と……動きです。あと、倒す順番」

そう答えながら、自分でも驚いていた。頭で考えるより先に、体が動いていた部分が多い。それでも、確かに意識していた要素がある。


「そうですね。今までは、魔術を“出す”ことが中心でした。でも今は、相手を見て、当てる位置を決めて、結果を想像してから発動していました。それが、とても大事なんです」


その言葉を聞いて、胸の奥がわずかに熱くなる。認められたという感覚よりも、これまで自分が見落としていたものに、ようやく手が届いた感覚に近かった。


森の奥から、かすかな物音がする。枝が折れる音、落ち葉を踏む足音。まだ敵がいる。

俺は反射的に、次の魔術を組み立て始めていた。だが、すぐにリリィ先生の声が飛ぶ。

「待ってください。今は、撃たない」


その一言で、俺は動きを止める。焦りがあったことに気づかされる。

「今の音は、距離があります。無闇に魔術を使えば、位置を知らせるだけです」


なるほど、と心の中で頷く。魔術が使えるようになったからこそ、使わない判断も必要になる。これもまた、実践なのだ。


父さんが一歩前に出て、低い声で言う。

「今のファイヤーボール、威力も精度も十分だ。ただし、森では視界が狭い。次は、もっと数が出るかもしれん。その時は、魔術の種類も考えろ」


その言葉に、俺は先ほどの戦闘を思い返す。確かに、火球は強力だが、森の中では使いどころを間違えれば危険になる。


それでも、はっきりとした手応えがあった。狙ったところに、狙った通りに当てられた感覚。偶然ではない。実力として、自分の中に残っている。


リリィ先生は、そんな俺の表情を見て、少しだけ声を柔らかくした。「いい経験になりましたね。でも、ここからが本番です。油断せず、次に備えましょう」


俺は深く息を吸い、再び森の奥へと視線を向ける。魔物討伐は、まだ始まったばかりだ。しかし、確実に一歩、前に進んだ。その実感だけは、揺るぎなく胸に残っていた。



ゴブリンを仕留めた直後の静けさは、森では決して「安全」を意味しない。むしろ、次の気配が息を潜めるための、短い猶予に過ぎなかった。俺は無意識に肩に力が入り、呼吸が浅くなっていることに気づく。魔術を放つ瞬間よりも、その直後のほうが、体は緊張を引きずるものらしい。


「今の判断は良かったです。ただし、良かったからといって、同じやり方を繰り返すのは危険です」

評価と同時に、釘を刺す。その切り替えの速さが、実戦経験の厚みを物語っていた。


俺は一度、足の裏に意識を落とす。地面の感触を確かめ、重心を整え、呼吸を数拍分、ゆっくり深くする。さっきまで胸の奥で跳ねていた心音が、少しずつ一定のリズムに戻っていくのが分かった。


「ルーメン君」

リリィ先生の声は低く、森に溶けるように届く。

「森では、成功体験が一番の罠になります。今は当たった、倒せた、だから次も同じでいい。そう思った瞬間に、隙が生まれる」


父さんも、剣を下げることなく周囲を見渡したまま、短く付け加える。

「油断は、命取りだ。特に、魔術師はな」

その言葉には、数え切れない実戦の記憶が滲んでいた。


俺は頷き、はっきりと返事をする。

「はい。分かりました。……次も、落ち着いてやります」

言葉にしたことで、決意が自分の内側に固定される。

「ええ、それでいい」


リリィ先生は小さく肯いた。

「焦らず、呼吸を整えて、相手の動きを“待つ”こと。魔術は、早く出すことより、正しい瞬間に出すことのほうが重要です」


その教えは、先ほどの精密射撃と地続きだった。的確に当てるためには、視線、距離、呼吸、魔力の流れ。すべてを一つに束ねる必要がある。


森の奥で、葉擦れの音が重なる。単独ではない。複数だ。俺は反射的に魔力を高めそうになるが、すぐに抑える。今は“待つ”。


「いいですね、その抑え」

リリィ先生が小声で言う。

「今の判断ができれば、次の一手が生きます」


俺は視線だけを動かし、音の方向と距離を測る。胸の内は静かだ。緊張はあるが、焦りではない。先ほどまでの戦いが、確かに自分を一段、押し上げている。


「さあ、行こう」

父さんが先に歩き出す。俺は一歩遅れて続き、最後にリリィ先生が位置を取る。その隊形が、自然と出来上がっていることに気づき、背筋が伸びた。


成功の余韻に浸る暇はない。森は、次の問いをすでに用意している。俺は呼吸を整えたまま、静かに前へ進んだ。



森の奥へ一歩踏み込んだ瞬間、空気の質が変わった。湿り気を含んだ匂いが肺に張りつき、光は枝葉に切り刻まれて、足元まで届かない。さっきまでの小競り合いが嘘のように、ここでは音が吸い込まれる。踏みしめる枯葉の微かな鳴きさえ、すぐに消えるのが分かった。


「ここから先では、火魔術は使わないでくださいね」

リリィ先生の声は、強くも弱くもなく、ただ確信だけを帯びていた。

「燃え広がれば制御できませんし、煙は視界と判断を奪います。森は“敵”そのものになる」


俺は頷きながら、頭の中で選択肢を組み替える。火を封じるということは、破壊力を捨てる代わりに、制御と安全を取るという判断だ。実戦では、威力よりも継続性が生死を分ける。さっき教わったばかりの教えが、ここで即座に意味を持った。


父さんは歩調を落とし、剣先を低く保ったまま周囲を観察している。枝の折れ具合、地面の擦れ、風向き、森に残るわずかな痕跡を拾い集める目だ。俺はその背中を見ながら、魔力の流れを抑え、いつでも出せる位置に留める。出さない準備こそが、最初の準備だ。


「水や風、土を使い分けましょう」

リリィ先生は続ける。

「森では“倒す”より“通す”ことが重要な場面も多い。道を切り開く、距離を取る、足を止める。目的は討伐でも、生存が最優先です」


その言葉で、俺の視野が広がる。魔術は単発の解ではない。状況を繋ぐための連続した判断だ。さっきのゴブリン戦で掴んだ“当てる”感覚に、今度は“選ぶ”感覚が重なる。


湿った地面に足を置くたび、ぬかるみがわずかに応える。転べば終わりだ。俺は重心を低くし、歩幅を一定に保つ。魔力を足裏へ薄く回し、滑りを抑える。派手さはないが、確実だ。


「いい姿勢です」

リリィ先生が小さく言う。

「そのまま行きましょう」


遠くで枝が揺れた。風ではない。生き物の重みだ。父さんが合図もなく進路を半歩ずらす。俺はそれに合わせ、視線と魔力を移す。森は、こちらの判断を一瞬遅らせるために、無数の罠を用意している。


火を使わない。その制約が、逆に森の輪郭を鮮明にした。燃やせば終わるはずのものが、燃やせないからこそ、形と距離と速度として迫ってくる。俺は喉を鳴らし、静かに息を整えた。ここから先は、派手な正解はない。あるのは、積み重ねた選択だけだ。


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