エアリス編 第二章 異世界の学校 ― 魔術と剣術 ―④ 剣術のあとで
「よし、次は一対一での模擬戦だ。ルーメン、お前はセリナと一緒にやれ」
「はい!」
セリナが僕の前に立ち、優しく微笑む。
「ルーメン、お姉ちゃんが教えてあげるからね。構えて!」
模擬戦、とは言っても、僕にとっては完全な「指導」だった。
セリナが放つ、手加減されているはずの剣撃を、僕は必死に木剣で受け止める。
(――重い! 姉さんの剣、細い腕なのに、こんなに重いのか!)
前世で剣道などの武道の経験が一切なかった僕にとって、木剣同士がぶつかり合う衝撃は、脳を直接揺さぶられるような激しさだった。
(……剣術の修行、これは想像以上に大変そうだ。でも……)
僕の脳裏に、家で僕の帰りを待っている母リオラの優しい笑顔と、まだ小さなエレナの温もりを思い出す。
「家族を守れる男になるには、剣術が必要だ」
あの日、父が真剣な表情で僕に語った言葉。それが、折れそうになる僕の心を支える。
(……やってやる。僕の中に眠る魔術の才能だけじゃ、守りきれないものがあるかもしれない。剣を振れる強さが、きっと僕の助けになるはずだ)
セリナに教えられながら、泥にまみれ、何度も床を転がりながら、僕は必死に食らいついた。緋色の髪を揺らしながら指導してくれる姉の存在が、この過酷な修行を唯一、温かな時間に変えてくれていた。
ルゼリアの学校には、前世のような「給食」というシステムは存在しない。
午前中に座学と、過酷な実技が終わる頃、陽は高く昇ってから少し傾き始めた時間であった。
「今日の授業はここまでだ。解散!」
父の声が響くと、生徒たちが一斉に帰り支度を始める。
僕はと言えば、もう指一本動かすのも億劫なほどに疲れ果てていた。
(……一日目、なんとか乗り切った。でも……ここからまた、あの道を帰らなきゃいけないのか)
五歳の身体にとって、学校までの数キロの道程は、既に限界を超えていた。
「父さん、今日は馬で来てるんだよね? ……乗せていってくれないかな?」
僕は、後片付けをしている父に、藁をも掴む思いでおねがいしてみた。
父ランダルは一瞬、申し訳なさそうな顔をしたが、首を振った。
「悪いな、ルーメン。これから午後、街の方に急な用事が入ってしまったんだ。……頑張って、セリナと一緒に歩いて帰ってくれ」
「え〜っ、残念……。ルーメン、大丈夫? おんぶは無理だけど、手は繋いであげるからね」
セリナも肩を落としたが、すぐに僕の手を引いて歩き始めた。
夕暮れのジャンヤ川の畔。緋色の髪の姉と、茶色の髪の弟が、トボトボと影を長く引きながら家路につく。
一歩進むごとに、足のふくらはぎに熱い鉄を押し当てられたような痛みが走る。
(……足、パンパンだ。でも、明日は魔術の日。母さんが家事で忙しい間、いつも薪の火を絶やさずに料理をしていたあの魔術の正体が、明日分かるんだ……)
僕は痛む足を必死に動かしながら、まだ見ぬ魔術の授業への期待を、明日の活力へと変えていくのだった。
翌朝、僕、ルーメン・プラム・ブロッサムは、全身を襲う凄まじい筋肉痛と共に目を覚ました。
特にふくらはぎと太ももは、昨日往復したあの長い道のりの代償として、鉛を詰め込まれたかのように重く、鈍い痛みを発している。
(……五歳の身体には、やっぱり昨日の強行軍は厳しすぎたな。でも、今日は待ちに待った『魔術』の日だ……)
僕は痛む足を引きずりながら、階下へと降りた。
リビングに入ると、いつものように母リオラが朝食の準備を整えていた。彼女の手元をじっと観察していると、これまで当たり前だと思っていた光景の中に、ある「違和感」を見つけた。
この家には、ガスコンロも電磁調理器もない。それなのに、母さんは薪に直接火をつけることなく、平然と大鍋を煮込み、鉄板を熱している。
(あれ……? 今まで深く考えていなかったけど、母さんはどうやって火を管理しているんだ?)
よく見ると、母さんが薪にそっと指先を触れ、何かを囁いた瞬間、パチパチと元気な火が生まれ、瞬時に最適な火力へと調節されていた。
(魔術だ。……日常の、あんなにさりげない動作の中に魔術が溶け込んでいる。母さんは魔術を『生活の知恵』として使いこなしているんだな)
家事と育児に追われ、僕に教える暇がないと言っていた母さんだが、その背中は雄弁に語っていた。この世界ルシアークにおいて、魔術は決して特別な誰かだけの儀式ではなく、生きるための切実な技術なのだと。
「ルーメン、おはよう。今日は魔術の授業ね。リリィ先生は少し厳しいけれど、とても優秀な方だから。しっかり教わってくるのよ」
「うん、母さん。……行ってきます」
朝食を終えた僕は、昨日と同じように玄関先で待っていたセリナ姉の手を取った。
彼女の鮮やかな緋色の髪が、朝の清々しい風に揺れている。
「今日も頑張って歩くわよ、ルーメン! 魔術の日はね、頭も使うから甘いものをしっかり食べておかないとダメなんだから!」
セリナは僕の茶色の髪をくしゃくしゃに撫でると、力強く僕の手を引き、再びルゼリアの通学路へと踏み出した。
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