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エレナ編 第三十八章 エレナ④ ふたつの手

閉じ込められていたエレナの言葉が終わると、部屋の中は、深い静けさに包まれた。

責める声も、言い返す声もない。

あるのは、吐き出された「事実」だけだった。


ルーメンは、二人の手を握ったまま、目を閉じる。

指先から伝わる魔力の感触は、やはり同じだった。

流れも、うねりも、暴走の質も。

(……どちらも、同じエレナだ)

改めて、確信する。


強さを選んだエレナも、閉じ込められていたエレナも、どちらかが「偽物」ではない。

どちらも、同じ始点から生まれた存在だった。


ルーメンは、ゆっくりと目を開いた。

「二人とも」

声は低く、落ち着いている。

「ここまで、よく話してくれた」


まず、閉じ込められていたエレナを見る。

「辛かったことを、ちゃんと言葉にしてくれてありがとう」


次に、今まで外にいたエレナへ。

「そして……謝罪を、逃げずに口にしたことも」

二人の間に、わずかな緊張が走る。


ルーメンは続けた。

「まず、はっきりさせておく」

「どちらかが正しくて、どちらかが間違っている、という話じゃない」

今まで外にいたエレナが、わずかに息を詰める。


「でも」

ルーメンの声に、重みが加わった。

「やってはいけないことは、やった」

「縛って、閉じ込めて、誰にも知らせずに隠す」

「それは、理由がどうであれ、人にやっていいことじゃない」

今まで外にいたエレナは、唇を強く噛みしめる。

反論はない。

ただ、その言葉を真正面から受け止めていた。


「一方で」

ルーメンは視線を移す。

「閉じ込められていたエレナが、今ここで怒鳴らず、責め尽くさず、話すことを選んだこと」

「それは、とても強いことだ」

閉じ込められていたエレナは、少しだけ驚いたように目を見開いた。


「強さは、剣や魔術だけじゃない」

「耐えて、言葉にして、向き合うことも、立派な強さだ」

ルーメンは、二人の手を、さらにしっかりと握る。


「だから、僕はこう考えている」

三人の視線が、一点に集まる。


「二人を、引き離すつもりはない」

「かといって、どちらかを押し込めたままにも、しない」


今まで外にいたエレナが、不安そうに口を開く。

「……じゃあ、どうするの?」

その声には、強気さは残っていなかった。

ただ、戸惑いと恐怖が滲んでいる。


ルーメンは、すぐに答えなかった。

少し間を置いてから、はっきりと言う。

「これから、三人で決める」

「二人が、どう在りたいのか」

「どうやって、エレナとして生きていくのか」

「僕は、そのための手伝いをする」

「命を裁くためじゃない。戻る道を作るために、だ」


部屋の空気が、ほんのわずかに変わった。

まだ、答えは出ていない。

だが、話し合う「場」は、ここに確かに生まれていた。



ルーメンの言葉のあと、部屋は再び静かになった。

だが、先ほどまでの沈黙とは違う。

重く押し潰すような静けさではなく、考えるために与えられた間だった。


最初に視線を落としたのは、今まで外にいたエレナだった。

ベッドの縁に座ったまま、自分の膝の上に置いた手を見つめている。

「……正直に言うね」

声は小さく、だが、逃げのない調子だった。

「私、自分が何をしたか、全部ちゃんと覚えてるわけじゃない」

閉じ込められていたエレナが、わずかに顔を上げる。


今まで外にいたエレナは続けた。

「押し入れに閉じ込めた時のことも、“そうした”っていう事実は分かってるけど……その間の感覚が、ところどころ抜け落ちてる」

「ただ、軽かったの」

「体も、気持ちも。迷いがなくて、怖いものがなくて」

その言葉は、自慢でも、開き直りでもなかった。

むしろ、自分でも理解できない異常を、

恐る恐る確認するような口調だった。

「だから……あなたが、どれだけ怖かったか、今こうして聞いて、初めて“現実”として分かった」


閉じ込められていたエレナは、しばらく黙っていた。

視線は伏せたまま。だが、逃げてはいない。

やがて、静かに口を開く。

「私は……」

声は、まだ震えている。

「正直、許せない気持ちは残ってる」

今まで外にいたエレナの肩が、びくりと揺れた。

「真っ暗な中でね、毎日思ってた」

「なんで私なの、って。どうして私が閉じ込められるの、って」

指先が、ぎゅっとシーツを掴む。


「でも……あなたが、私を“邪魔だから”って切り捨てたんじゃなくて」

「強くなりたくて、怖くて、どうしていいか分からなくなってたってことも……今は、分かる」

それは、完全な許しではない。

だが、理解しようとする意志だった。


閉じ込められていたエレナは、

顔を上げて、まっすぐに見る。

「だから、私は条件を出す」

今まで外にいたエレナが、息を詰める。

「もう一度、勝手に決めないこと」

「私を、一人で処理しようとしないこと」

「怖いなら、怖いって言って」

「分からないなら、分からないって言って」

それは、要求であり、境界線だった。


今まで外にいたエレナは、一瞬、目を伏せ、そして、はっきりと頷いた。

「……分かった」

短いが、迷いのない返事。

「約束する」


ルーメンは、二人の様子を静かに見届けてから、口を開いた。

「今の話で、一つだけはっきりしたことがある」

二人の視線が集まる。

「二人とも、エレナとして生きる意志がある」

「逃げたいわけでも、壊したいわけでもない」

「ただ、やり方を間違えただけだ」


ルーメンは、二人の手を握り直す。


「だから次は、“どう戻るか”を考える」

「怖がらなくていい。急がなくていい」

「でも、ここから先は、三人で進む」

その言葉に、二人のエレナは同時に、小さく息を吐いた。

まだ不安はある。まだ恐れも残っている。

だが、今この瞬間、三人は同じ場に立っていた。



ルーメンは、二人の手をしっかりと握ったまま、目を閉じた。左右から伝わってくる感触は、確かに違う。

今まで外にいたエレナの手は、温かく、力がある。

魔力の巡りも強く、速い。

制御しきれず、前へ前へと流れ出ようとする奔流だ。


一方、閉じ込められていたエレナの手は、まだ少し冷たい。

だが、奥の方に、粘り強い芯がある。

外に溢れ出ることはない代わりに、

内側で静かに、確実に在り続ける流れ。


(……同じだ)

ルーメンは、確信する。

方向も、性質も、表れ方も違う。

だが、根にある魔力の波長は、完全に一致している。


二つではない。

分かれて見えていただけで、元は一つの流れだ。


「二人とも」

静かな声で呼びかける。

「怖かったら、手を離していい。途中で止めたくなったら、止める」


今まで外にいたエレナが、少し強がった笑みを浮かべる。

「……ここまで来て、それはないでしょ」


閉じ込められていたエレナも、ゆっくりと首を振った。

「私も……離さない」

その言葉に、嘘はなかった。


ルーメンは、深く息を吸い込む。

胸の奥で、意識を研ぎ澄ます。

これは、修復ではない。

矯正でも、排除でもない。

分けられてしまった流れを、

無理やり押し戻す魔術ではない。


(……繋ぎ直す)

祈りに近い感覚で、言葉を紡ぐ。


「ハーモニック・リコンストラクション」


囁くような詠唱だった。

次の瞬間、三人を包む空気が、ゆっくりと変わる。

強い光ではない。目を焼くような輝きでもない。

まるで、冬の朝に差し込む陽だまりのような、穏やかで、逃げ場のない温かさ。


今まで外にいたエレナが、息を詰める。

「……なに、これ」

「引っ張られてる感じが……しない」

閉じ込められていたエレナも、驚いたように呟く。

「……怖くない」

「勝手に、混ざっていく感じ……」


魔力は、ぶつからない。競わない。押し合わない。


強さは、弱さを飲み込まない。

弱さは、強さを縛らない。


ただ、互いの隙間に、自然に流れ込んでいく。

今まで外にいたエレナの中で、欠けていた感覚が、静かに戻ってくる。

焦りだけが先走っていた理由。

誰かを突き放していた理由。

「止まれなかった」感情の正体。


閉じ込められていたエレナの中で、押し殺していた思いが、ようやく言葉を持つ。

怖かった。苦しかった。それでも、誰かを憎みきれなかった理由。

二人は同時に、互いを見た。

責める視線ではない。測る目でもない。


「あ……」

今まで外にいたエレナの声が、かすれる。


「……私、忘れてた」

閉じ込められていたエレナが、微笑む。


「うん。でも、思い出した」

光が、ゆっくりと強まる。

それは爆発ではなく、収束だった。


二つの輪郭が、溶けるように重なり、境界が、意味を失っていく。

ルーメンは、最後まで手を離さなかった。


次の瞬間、座っていた両隣のエレナたちは、ルーメンの前に両手を繋いだ状態で立っていた一人のエレナだった。


両手を握りしめたまま、呆然と立ち尽くしている。

「……あれ?」

目を瞬かせ、自分の手を見て、胸に触れる。

「なんか……」

「戻った、っていうより……ちゃんと、いる」


ルーメンは、ゆっくりと微笑んだ。

「それでいい」

「強さも、優しさも、怖がる心も、全部お前だ」


エレナの顔が、ぱっと明るくなる。

「……お兄ちゃん」

「うん」

「私……一人だよね?」

「そうだ。エレナは、エレナ一人だけだ」

エレナは、ぎゅっとルーメンに抱きついた。

「よかった……」

その声は、強さでも、弱さでもなく、ようやく統合された“エレナ”のものだった。


こうして、長く歪んでいた魔力暴走は、静かに収束した。

壊すことで強くなったわけではない。

消すことで救われたわけでもない。

向き合い、認め合い、繋ぎ直した結果だった。

そしてそれは、エレナがエレナとして生き直す、確かな始まりでもあった。



光が、ゆっくりと収束していく。まぶしさが引いたあと、部屋には、静けさだけが残った。

最初に動いたのは、エレナだった。

自分の両手を、確かめるように見つめる。指を開き、握り、もう一度、胸の前で確かめる。


「……あれ?」

声が、少し上ずる。

「お兄ちゃん……何か……元のエレナに戻ったみたいだよ」

不安と期待が、同時に滲んだ声だった。

「もう……もう一人のエレナは、いないの?」


ルーメンは、ゆっくりと頷いた。

否定でも、断言でもなく、確信を伴った静かな肯定だった。


「エレナは、ひとりだよ。二人も、いない」

エレナの瞳が、ぱっと見開かれる。


「エレナとエレナは、魔力暴走状態にあったから、二人になってしまったんだ。でも、もう大丈夫だ」

一歩、近づいて、言葉を重ねる。

「今は、ちゃんと、ひとつに戻ってる」


一瞬の沈黙。そして次の瞬間、エレナの顔が、くしゃりと崩れた。

「……ほんとに?」

「ほんとだよ」

「……やった……!」

小さな声が、弾けるように大きくなる。

「やったー!!」

感情が、堰を切ったように溢れ出す。

「エレナ……エレナ、両方、大好き!」

自分自身を、抱きしめるように腕を回し、そのまま、勢いよくルーメンに飛びついた。


「お兄ちゃん、ありがとう!」

ぎゅっと、力いっぱい抱きつく。

「エレナのお兄ちゃんは……お兄ちゃんしかいないよ!」

顔を埋めて、泣き笑いの声で叫ぶ。

「だいすき!」

その体温は、確かだった。

逃げ場のない不安も、尖った攻撃性も、どちらもない。

ただ、まっすぐで、温かいエレナが、そこにいた。

ルーメンは、そっと背中に手を置いた。

(……戻った)

いや、違う。

(……前よりも、ちゃんと“ここ”にいる)

剣術の鋭さも、魔術の冴えも、そして、人を思いやる心も。


どちらかが消えたわけではない。

どちらかが負けたわけでもない。

積み重ねてきた努力と、元々持っていた優しさとが、ようやく、同じ場所に並んだだけだ。


エレナは、優しくて、思いやりがあり、そして、剣術も魔術も上手なエレナになった。

それは奇跡ではない。

誰かに与えられた結果でもない。

エレナ自身が、選び、耐え、歩いてきた道の先にあったものだった。


ルーメンは、胸の奥で、静かに息を吐く。

(……よく、頑張ったな)

その言葉は、声にはしなかった。

今はただ、この瞬間を壊さないように。

ひとつになったエレナの重みを、確かに受け止めながら。


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