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エレナ編 第三十八章 エレナ② 死の覚悟

~エレナの視点~


稲妻の球体が、目に眩しく焼き付く。

存在そのものが拒絶される感覚だった。

(……殺される)

それだけが、はっきりしていた。


「兄ちゃん……!」

声を振り絞る。


「待って、お願い……!」

喉が裂けそうになるほど叫んでも、稲妻の球体は消えない。

むしろ、膨張を続けている。


「……私、何か……」

言葉が、途切れる。


「何か……した……?」

その問いは、命乞いであると同時に、本心からの疑問だった。

(……何を、した?)

頭の中を、必死に探る。


押し入れ。縛る。閉じ込める。映像が、浮かばない。


あるはずの記憶が、霧がかかったように抜け落ちている。


「兄ちゃん……」

声が、震える。


「私……覚えてない……」

それは嘘ではなかった。

自分の中にあるのは、剣術が上達したこと魔術が冴えていたこと皆が自分を見ていたこと


そして、心と体が軽かった、という感覚だけ。

(……何かが、足りない)

その欠落を、エレナはようやく自覚し始めていた。


「……私……」

視線が揺れる。


「確かに、最近……何も、引っかからなかった」

怒っても、傷つけても、泣かせても。

胸が、痛まなかった。


「……それが、普通だと思ってた」

それが“強さ”だと。

迷わないこと。立ち止まらないこと。振り返らないこと。


「……でも……」

喉が、詰まる。


「兄ちゃんが、そんな顔する理由が……

分からないわけ、ない……」

稲妻の光を見つめながら、エレナは、初めて理解しかけていた。


自分は、何かを切り捨ててきた。

それが何なのか、まだ言葉にできない。


けれど。

「……私、怖い……」

その一言は、今までで一番“弱い”声だった。

恐怖は、雷ではない。

自分自身の中に空いた穴だった。


エレナは、稲妻の前で、初めて立場を失っていた。

強者でもなく、勝者でもなく。ただ、裁かれる側の子どもとして。



~ルーメンの視点~


稲妻は、もはや“魔術”ではなかった。

空気が裂け、光が悲鳴を上げ、世界の均衡そのものが引き裂かれている。


サンダーエクスプロージョン。

光属性上位魔術。

一撃で、区画一つを消し飛ばしかねない破壊。


その中心に、ルーメンの右手があった。

怒りが、制御を喰っている。


(……許さない)

思考は、もはや理屈を必要としていなかった。

縛った。閉じ込めた。押し入れという闇に、妹を投げ捨てた。


それだけで、十分だった。

動機など、関係ない。混乱も、恐怖も、関係ない。

結果だけが、罪を語っている。


「……覚悟しろ」

声は低く、静かだった。

だがその静けさこそが、取り返しのつかない段階に入った証だった。


「そんなことをするエレナは……家族でも、兄弟でもない」

言葉が、刃となって落ちる。


「死んでもらう」

稲妻が、さらに膨れ上がる。


空が、唸る。地面が、軋む。

魔力の奔流が、周囲の風景を歪ませていく。


エレナの視界が、白に染まる。

(……本当に……)

喉が鳴る。

(……殺される……)

理解した瞬間、膝が、震えた。


「ま、待って……!」

叫ぶ。

「違う……違うんだよ……!」

言葉は、必死だった。

「誤解……ほんとに、誤解……!」

だが、ルーメンの目には、届かない。


その瞳に映っているのは、泣き叫ぶ妹ではなく、闇に閉じ込められた“もう一人の妹”だった。


「……最後の言葉を聞いてやる」

冷酷なほど、淡々と。


「一言でも嘘をついたら、このまま、吹き飛ばす」

稲妻は、爆発寸前で停止している。


止まっているからこそ、余計に恐ろしい。

時間が、引き延ばされている。

逃げ場はない。助けも、ない。

そのはずだった。次の瞬間までは。


エレナの視界の端で、何かが、動いた。


窓の方。カタン、という音。そして。


「待って!!」

震えた声が、雷鳴を切り裂いた。


それは、この場にいるはずのない声だった。

ルーメンの動きが、ほんの一瞬、止まる。

その“一瞬”が、世界の運命を変えることになる。



~エレナの視点~


時間が、伸びきっていた。

稲妻は止まり、破壊は寸前で凍結し、世界は呼吸を忘れたように静まり返っている。


エレナは、その中心に立っていた。

足が、動かない。声も、喉の奥で凍りついている。


(……おかしい)

頭のどこかで、そう思った。

(……私、何を……)

怒鳴られた言葉が、刃のように胸に突き刺さる。

縛った。閉じ込めた。監禁した。

その言葉は、理解できる。意味も、分かる。


けれど。

(……実感が、ない)

思い返そうとすると、そこだけ、霧がかかったように曖昧だった。


覚えているのは。

剣が振れたこと。魔術が、思い通りに動いたこと。身体が軽くなって、視界が広がった感覚。


「……強くなった」

その事実だけが、やけに鮮明だった。


(……あれ?)

違和感が、胸の奥で小さく疼く。


(……私、何か……)

何かを、置いてきたような感覚。


だが、それが何かは分からない。


思い出そうとした瞬間、稲妻の光が視界を焼いた。


恐怖が、理解を追い越す。

(……死ぬ)

その予感だけは、あまりにも明確だった。


兄の目。

あの優しかったはずの瞳が、今は、完全に“裁く者”の色をしている。


(……兄ちゃん……)

声に出せない。

喉が、ひくりと鳴るだけ。


(……違う……)

言いたい。


(……そんなつもりじゃ……)

でも、「そんなつもりじゃなかった」が、罪を軽くする言葉ではないことを、彼女はもう理解していた。


膝が、崩れそうになる。

怖い。怖いのは、殺されることだけじゃない。


(……私、取り返しのつかないことをした……?)

怒り。恐怖。混乱。


それらが絡み合い、思考を奪っていく。

そのとき、背後で、空気が、わずかに揺れた。

誰かが、必死に走る足音。かすれた息遣い。


次の瞬間、その存在は、はっきりと声になる。

「……やめて……!」

震えた、それでいて必死な声。


その声を聞いた瞬間、エレナの中で、何かが、はっきりと割れた。

(……誰?)


振り向くよりも先に、心が、理解してしまう。

(……私だ)


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